ちょっと気になる 絵馬・・・
近隣の戦争遺跡をふらふらしていると,絵馬が気になってきました。
ということで,今まで見た絵馬をまとめてみました。
(「絵馬」の定義はよく知りませんが,
ここでは神社に掲げてあったものを「絵馬」とします。)
1.馬
(1)神馬図額二面 重要文化財(東京国立博物館に依託保管)
狩野元信 室町時代 (レプリカ) 賀茂神社(たつの市 室津)
(2021年12月のブログ参照)
2.祭
(1)梛八幡神社祭礼絵馬,弘化2年(1845年)(龍野歴史文化資料館)
梛(なぎ)八幡神社 (たつの市)(2020年8月のブログ参照)
(2)火揚げ
津市場稲荷神社(姫路市網干区)
3..討ち入り
(1)高野の仇討ち 明治5年(1872年)
賀茂神社 (2021年12月のブログ参照)
4.伊勢参り
(1)お陰参り図絵馬 文政13年(兵庫県立歴史博物館)
稲岡神社(姫路市青山)(写真)
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(2015年11月撮影)
5.地図
(1)吉福村絵図 天保8年
吉福八幡神社(揖保郡太子町)
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(2023年3月撮影)
6.戦争遺跡など
(1)「敵国降伏」
英賀神社(姫路市飾磨区)(2023年3月ブログ参照)
(2)奉納 凱旋紀念戦利品献納
二神社(姫路市余部区)
「明治□十七年八月」
「献之小銃丸」などの文字(2023年3月ブログ参照)
(3)賞状
正一位白川稲荷大明神(揖保郡太子町)
「 賞 状
歩兵第十聯隊
陸軍歩兵上等兵 ( 人名 )
明治四十二年度教練射撃ニ於テ
一等射手中成績優等ニ付第
二種徽章ヲ授與シ爰ニ其優等
ヲ賞ス
明治四十二年十一月十九日
歩兵第十聯隊長陸軍歩兵大佐□□□平岡茂」 (2023年4月撮影)
また,追加していくかもしれません。
とりあえず,今日はここまで・・・おもしろいです !(^^)!
でも・・・
神社って何でしょう?
私が思いつくイメージは,
豊作を祈ったり,子どもの成長を願ったり,お祭りをしたり,
中世では一味神水,近世ではおかげ参り,
そして近代は国家神道・・・
勉強したいことばかりがふえて,おいつきません。 (*´σー`)エヘヘ
追記:5月20日
*絵馬の推移 (滝口正哉『江戸の祭礼と寺社文化』162ページ)
①祈願や神祭み神の降臨を求めて生馬を献上する。
②生馬を簡略化した馬形(土馬・木馬)を献上(古墳などから出土している)。
③馬形を簡略化した板絵馬が登場(奈良時代,板絵馬を神社に奉納する習俗が生まれる)。
④神仏習合思想が強まった影響で,寺院にも奉納されるようになる(鎌倉時代以降,共同体の共同祈願として奉納される)。
⑤室町時代中期に馬以外の図が登場し,形状・図柄・仕様が多種多様となる。そして,大型化した扁額形式の大絵馬と,民間信仰的要素の強い小絵馬とに二極分化していく。
⑥豪華な大絵馬が現われ,絵馬堂(額堂)が登場(桃山時代)。
⑦江戸時代になると個人祈願・現世利益を反映して図柄が多彩になっていく。
⑧文化文政期(1804~30)になると,江戸庶民の間で小絵馬が流行し,祈願内容が多彩になっていく。
近隣の戦争遺跡をふらふらしていると,絵馬が気になってきました。
ということで,今まで見た絵馬をまとめてみました。
(「絵馬」の定義はよく知りませんが,
ここでは神社に掲げてあったものを「絵馬」とします。)
1.馬
(1)神馬図額二面 重要文化財(東京国立博物館に依託保管)
狩野元信 室町時代 (レプリカ) 賀茂神社(たつの市 室津)
(2021年12月のブログ参照)
2.祭
(1)梛八幡神社祭礼絵馬,弘化2年(1845年)(龍野歴史文化資料館)
梛(なぎ)八幡神社 (たつの市)(2020年8月のブログ参照)
(2)火揚げ
津市場稲荷神社(姫路市網干区)
3..討ち入り
(1)高野の仇討ち 明治5年(1872年)
賀茂神社 (2021年12月のブログ参照)
4.伊勢参り
(1)お陰参り図絵馬 文政13年(兵庫県立歴史博物館)
稲岡神社(姫路市青山)(写真)
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(2015年11月撮影)
5.地図
(1)吉福村絵図 天保8年
吉福八幡神社(揖保郡太子町)
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(2023年3月撮影)
6.戦争遺跡など
(1)「敵国降伏」
英賀神社(姫路市飾磨区)(2023年3月ブログ参照)
(2)奉納 凱旋紀念戦利品献納
二神社(姫路市余部区)
「明治□十七年八月」
「献之小銃丸」などの文字(2023年3月ブログ参照)
(3)賞状
正一位白川稲荷大明神(揖保郡太子町)
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「 賞 状
歩兵第十聯隊
陸軍歩兵上等兵 ( 人名 )
明治四十二年度教練射撃ニ於テ
一等射手中成績優等ニ付第
二種徽章ヲ授與シ爰ニ其優等
ヲ賞ス
明治四十二年十一月十九日
歩兵第十聯隊長陸軍歩兵大佐□□□平岡茂」 (2023年4月撮影)
また,追加していくかもしれません。
とりあえず,今日はここまで・・・おもしろいです !(^^)!
でも・・・
神社って何でしょう?
私が思いつくイメージは,
豊作を祈ったり,子どもの成長を願ったり,お祭りをしたり,
中世では一味神水,近世ではおかげ参り,
そして近代は国家神道・・・
勉強したいことばかりがふえて,おいつきません。 (*´σー`)エヘヘ
追記:5月20日
*絵馬の推移 (滝口正哉『江戸の祭礼と寺社文化』162ページ)
①祈願や神祭み神の降臨を求めて生馬を献上する。
②生馬を簡略化した馬形(土馬・木馬)を献上(古墳などから出土している)。
③馬形を簡略化した板絵馬が登場(奈良時代,板絵馬を神社に奉納する習俗が生まれる)。
④神仏習合思想が強まった影響で,寺院にも奉納されるようになる(鎌倉時代以降,共同体の共同祈願として奉納される)。
⑤室町時代中期に馬以外の図が登場し,形状・図柄・仕様が多種多様となる。そして,大型化した扁額形式の大絵馬と,民間信仰的要素の強い小絵馬とに二極分化していく。
⑥豪華な大絵馬が現われ,絵馬堂(額堂)が登場(桃山時代)。
⑦江戸時代になると個人祈願・現世利益を反映して図柄が多彩になっていく。
⑧文化文政期(1804~30)になると,江戸庶民の間で小絵馬が流行し,祈願内容が多彩になっていく。
神社の話、興味深く読んでます。私も今ひとつよくわかりません。
先日 Eテレで「消えゆくニッポンの記録~民俗学者神崎宣武」を見ました。
神崎は民俗学を研究しながら故郷の岡山で神主もしている方です。
それを見ていろいろ考えさせられました。頭の中で消化しきれていないのでいないので、間違っているかもしれませんが、
神道は明治に神仏分離で国家神道になり、それ以前と以後では神社のあり方も大きく変わったようです。神崎は以前を大事に考えているようでした。
神社というものを考えるとき、どっちに重きをおくかなのではと思いました。
でも、これはまた古文書や歴史とはちょっと違う学習になりますね。
私はもう後期高齢者でもそこまでは手が出せません。
話変わりますが、古文書をやっていて疑問なのですが、江戸時代は宗門人別で人々は皆檀那寺の檀家になりますよね、神社の神主さんはどうしたのだろう思っています。いつか誰かに聞いてみたいことです。
長々とわけのわからないこと失礼しました、
ATSUさんはまだお若いですからいろいろ興味もって励んでください。
いつもありがとうございます。
Eテレの番組は見ていないので,何とも言えませんが,今,検索していて,おもしろそうな本を見つけました。その名もずばり,『江戸時代の神社』,高埜利彦著,岩波日本史ブックレットです。
そのうち,またお返事しますので,少々お待ちください。
ところで,私は昨年,還暦を迎え,「人生これからだ!」と勢いづいています。
ちなみに,最近始めた地域の勉強会の先生は,89歳のピッカピカに頭さえわたる先生です。(はげているのではありません(笑)すばらしい頭脳の持ち主の才女です。)
後期高齢者・・・とおっしゃる雪花さま,これからですよ。
お互い,楽しみましょうね !(^^)!
「文化遺産の世界」の,滝口 正哉著「江戸のパワースポット巡り ②庶民信仰で人気だった寺社」より,
「彼ら(江戸庶民)のなかにはストレス発散や娯楽を求めて寺社を訪れる者、自然とのふれあいや名所・名物を堪能して好奇心や知識欲を満たす者、何らかの願いを果たすために願掛けをする者などさまざまであった。」
「江戸の神仏は当時の社会状況を反映した独特の慣習を持っていたが、中身は現代の人々とさほど変わっていないこともわかるだろう。江戸の人々が神社仏閣に向けた想いは、時空を超え形を変えパワースポットとして現代に受け継がれているのである。」
ということで,
滝口正哉『江戸の祭礼と寺社文化』をとりあえず,図書館で予約。(面白そうだったら購入するつもりです。)高埜利彦『江戸の寺社』は明日,コンビニの到着予定!
おもしろくなってきました。
続きは後日。
いろいろ情報ありがとう。
早速 当地の図書館にあるかどうか検索してみましたが、ありませんでした。滝口正哉氏の他の本はありましたが。
「江戸時代の神社」は購入しようと思います。
この手の本いろいろあるのですね。
少しずつ読んでみようと思います。
また、よい本があったら教えてくさい。
すぐに再びコメントをくださり,ありがとうございます。
高埜利彦『江戸の寺社』はまだ30ページほどしか読んでいませんが,いまのところ,天皇や幕府の視点から書かれています。滝口正哉『江戸の祭礼と寺社文化』は,まだ読んでいませんが,目次を見る限りでは,江戸時代の庶民の視点が中心のような気がします。
続きは後日改めて。
とりあえず,簡単に感想を書きます。
最近,渡辺尚志『言いなりにならない江戸の百姓たち』など,百姓のそれも「言いなりにならない」という視点から読む本が多かったのですが,久しぶりに支配の側面からの本を読んだように思います。
江戸幕府による神社統制の中から,うまくのし上がった(?)吉田家や今まで百姓で地域の神社のカギを預かるに過ぎなかった人が,統制に組み込まれ,逆にその中で力を持っていく様子がよくわかりました。
そして,明治・・・。「出征兵士の故郷の村での神社では,武運長久の祈願が行われ,戦死者の顕彰碑が建てられたように,五穀豊穣を祈願する地域の神社である以上に,国家の対外戦争を地域から支える役割を担う存在となっていった。」(102ページ)
続けて,別の視点から
滝口正哉『江戸の祭礼と寺社文化』を読みます。