ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

東寺百合文書WEB

2015-10-14 13:58:59 | 古文書
京都府立総合資料館を検索

その中に「東寺百合文書WEB」

クイック

「百合文書をさがす」の「函から」で「え函」クイック

・・・「え函」って何番まであるの?適当に「104」を探す。

出てきた!「備中国新見庄百姓等申条」
先日の,酒井紀美『戦乱の中の情報伝達』に出てくる古文書

やっぱり,百姓が書いた字は,武士の祐筆が書いた字と違って読みにくい・・

今,勉強している古文書は近世のものだけど,ちょっとは読めそうな気がする。
・・・やっぱり・・・「備中国新見庄領家御方此方安富殿・・・」・・パス

でも,おもしろそう。

函/番号え函/112/文書名東寺書下案
「東寺領備中国新見庄先代官地下退出之間・・・」
やっぱり,東寺側が書いた字の方が読みやすい。

古文書,頑張ろう!!
酒井紀美さんの本,読もうっと!!!


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東寺百合文書:新見庄・・・酒井紀美『戦乱の中の情報伝達』

2015-10-13 06:35:46 | 日記
昨日,本郷先生の再学習「日本中世の自由と平等」のところで,東寺百合文書のコメントを自分で入れた。

その後・・・・・思い出した。

読みかけでほったらかしにしていた本

酒井紀美『戦乱の中の情報伝達ー使者がつなぐ中世京都と在地』

備中国新見庄(酒井氏は「庄」と書いている。)
東寺領です。
この本は,東寺百合文書に基づいて書かれています。

やった~!!  (何が「やった~」かわからないけど,そんな気分)

昨夜,ちょっと読み直した。

本郷先生は,『武士とはなにか 中世の王権を読み解く 』(角川ソフィア文庫)の題にもみられるように,武士や国家の視点から書いたものが多い気がする。

酒井氏の『戦乱の中の情報伝達』は視点が違う。

この本の感想等は,本を読み終わってから。
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北前船

2015-10-12 07:55:04 | 歴博
先日,歴博の特別展「北前船」を見てきた。

特別展の会場に行くと,「やっぱり」と声をかけられた。
いつもの歴博ボランティアの大先輩・Mさん。
「ラッキー」と思わず言いたくなった私。
Mさんに解説をお願いした。

図録に載っていることは,図録を見ればわかるので,Mさんから聞き出したことをいくつか・・・

私「北前船以前は?」
Mさん「江戸時代,航海の技術が向上する。それまでは,“地乗り”沿岸を航行していた。北前船以降は,“沖乗り”望遠鏡や磁石のおかげで,沖を航行できるようになった。港のすぐ近くを通るより,沖の深い海を通る方が,大きな船でスピードを出して航行できる。」

以下,思いつくままに

とはいえ,海に危険はつきもの
酒田の市街地の寺には,今の赤穂市・坂越の船員も眠っている。
船には仏壇もあった。各地の神社のお札を買い,船に積んであった。
嵐があると,まず命大事
しかし,もうダメだと思った時,髷を切り,覚悟した。
ある神社にその髷が奉納されている。
と言うことは,覚悟したけど,助かったのだ,この船の人たちは。

ところで,北前船は,運ぶ荷物をすべて買い取り,運び,売る。(買積:かいつみ)
しかし,江戸と大坂を結ぶような航行の中には,運賃積が多かった。

蝦夷の鰊(にしん)の話もおもしろかった。屏風は見応えあったね。
江差で鰊の漁をし,加工,北前船で運んだ。
鰊漁が盛んな5月には,東北の人が出稼ぎに行ったそうだ。

姫路の木綿も運んだ。
以前,Mさんから聞いたことがある,姫路の奈良屋と酒田の本間家のことも展示してあった。
東北では木綿は寒くてとれない。
姫路の木綿は高値で売れる。
「本間様には及びもないが,せめてなりたや殿様に」と言われたほどの豪商だった本間家。


網野善彦氏は,中世の「百姓」は農民とは限らない・・・というようなことを言っていた。・・・と思う。
これは,あくまで中世の話。
でも,江戸時代においても,人口構成が武士以外はすべて農民というわけではない。
中学校の社会科歴史的分野の教科書(東京出版)によると,幕末の頃で,「百姓:約85%」「武士:約7%」「町人:約5%」らしい。

町人5%の中の何%が北前船の関係していたかはわからないけど,
近世においても,すべてが農民ではない

いろんな角度からいろんな歴史を学ぶことが大切

と思いながらも,理由は自分でもわからないけど,私は中世が一番好き。

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再学習「日本中世の自由と平等」

2015-10-09 05:59:08 | JMOOC
一昨日,最終レポートを終え,昨日,結果を見ました。

やっぱり,満点というわけにはいきませんが,すごく勉強になりました。


学生時代,私は文学部史学科に行き損ねて,(というか,点が足りないからあきらめて,)教育学部に行き,その中で歴史を学びました。

サークルでは,歴史と歴史教育について史学科の先輩に教えてもらったり,仲間と勉強したり,討論したりしました。

当時はまだ歴史学はマルクスが主流でした。でも,そろそろ網野善彦氏が出てきて,有名になってきた頃でした。

私は,「おもしろい」と網野氏の本を読んで,史学科の先輩に話しました。
その先輩は「あれは歴史ではない」と言ったことを今でも覚えています。


それから歴史に関係する仕事をしてきましたが,(一度退職し,10年ほどのブランクを経て,現在の多少歴史に関係ある仕事を非正規ですが,在宅でしています。)学生時代のような「歴史学」からは遠ざかっていました。

その間,世の中は変化し,マルクスは過去のこととなり,網野氏は巨匠(?)となり,先輩は大学教授となっていました。

そして,昨年4月,JMOOCを知り,本郷和人氏の「日本中世の自由と平等」を受講し,歴史熱が再燃!
久しぶりに歴史学にひたり,酔い,JMOOCだけでは飽きたらず,歴博ボランティアをはじめるようになりました。


つまらない私の独り言におつきあいくださり,ありがとうございました。


コメント (1)
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お地蔵さん

2015-10-03 17:04:41 | 日記
昨日は歴博ボランティアの日

団体さんのほかにも,飛び入りの解説希望があり,先輩方,職員の方も忙しそう

ということで,私はそんな中で本の部屋でお留守番&電話番


前回,熊野勧進十界曼荼羅を見たり,熊野の本を読んだ。
今回もそのつづき

洋泉社MOOK『地獄の本』を読んだ。
とってもわかりやすかった。地獄の話はおいといて,今回はお地蔵さんのお話を


地蔵菩薩は閻魔大王の本地仏である。
本地とは,仏や菩薩が命あるものを救い出すため,仮の姿として現れた垂迹身(すいじゃくしん)に対する本来の姿のこと。
つまり,閻魔大王のおそろしい形相の裏には,地蔵菩薩の情け深くありがたい顔がひそんでいるのだ。
(略)
釈迦が没して弥勒菩薩が仏として現れるまでの無仏の時代に六道迷いの衆生を正しい道に教え導き,救済する役割を担っている。


お地蔵様が信仰され,慕われ,村々にあるはずですね。
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