ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

北前船

2015-10-12 07:55:04 | 歴博
先日,歴博の特別展「北前船」を見てきた。

特別展の会場に行くと,「やっぱり」と声をかけられた。
いつもの歴博ボランティアの大先輩・Mさん。
「ラッキー」と思わず言いたくなった私。
Mさんに解説をお願いした。

図録に載っていることは,図録を見ればわかるので,Mさんから聞き出したことをいくつか・・・

私「北前船以前は?」
Mさん「江戸時代,航海の技術が向上する。それまでは,“地乗り”沿岸を航行していた。北前船以降は,“沖乗り”望遠鏡や磁石のおかげで,沖を航行できるようになった。港のすぐ近くを通るより,沖の深い海を通る方が,大きな船でスピードを出して航行できる。」

以下,思いつくままに

とはいえ,海に危険はつきもの
酒田の市街地の寺には,今の赤穂市・坂越の船員も眠っている。
船には仏壇もあった。各地の神社のお札を買い,船に積んであった。
嵐があると,まず命大事
しかし,もうダメだと思った時,髷を切り,覚悟した。
ある神社にその髷が奉納されている。
と言うことは,覚悟したけど,助かったのだ,この船の人たちは。

ところで,北前船は,運ぶ荷物をすべて買い取り,運び,売る。(買積:かいつみ)
しかし,江戸と大坂を結ぶような航行の中には,運賃積が多かった。

蝦夷の鰊(にしん)の話もおもしろかった。屏風は見応えあったね。
江差で鰊の漁をし,加工,北前船で運んだ。
鰊漁が盛んな5月には,東北の人が出稼ぎに行ったそうだ。

姫路の木綿も運んだ。
以前,Mさんから聞いたことがある,姫路の奈良屋と酒田の本間家のことも展示してあった。
東北では木綿は寒くてとれない。
姫路の木綿は高値で売れる。
「本間様には及びもないが,せめてなりたや殿様に」と言われたほどの豪商だった本間家。


網野善彦氏は,中世の「百姓」は農民とは限らない・・・というようなことを言っていた。・・・と思う。
これは,あくまで中世の話。
でも,江戸時代においても,人口構成が武士以外はすべて農民というわけではない。
中学校の社会科歴史的分野の教科書(東京出版)によると,幕末の頃で,「百姓:約85%」「武士:約7%」「町人:約5%」らしい。

町人5%の中の何%が北前船の関係していたかはわからないけど,
近世においても,すべてが農民ではない

いろんな角度からいろんな歴史を学ぶことが大切

と思いながらも,理由は自分でもわからないけど,私は中世が一番好き。

コメント
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