ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

「オバケ絵大博覧会」&香川雅信『江戸の妖怪革命』

2017-08-10 09:44:26 | 日記 妖怪
8月4日(金),明石市立文化博物館の「オバケ絵大博覧会」に行ってきました!

去年から,オバケや妖怪,国芳などの浮世絵にちょっぴり凝り気味です。

「オバケ絵大博覧会」にあわせて読んでいる途中なのが,
香川雅信『江戸の妖怪革命』です。

香川氏によると,

「民間伝承の中の妖怪は,
 不可解な事象を説明するための一種の文化装置と考えることができる。
 人が行方不明になる,
 (中略)・・・こうした日常的な理解の枠組みを超えた現象を前にした時,
 人びとは不安と恐怖を覚える。
 (中略)常識では考えられないような出来事,
 不可解な現象を,妖怪のしわざとして説明することによって,
 人はその出来事をとりあえず了解可能なものとするのである。」
 (『江戸の妖怪革命』51ページ~52ページ)

しかし,
江戸時代,安永5年(1776年)田沼の時代,
鳥山石燕の『画図百鬼夜行』刊行。
ここから妖怪は描かれるようになるのです。

「妖怪が人間の楽しみの対象となる,
 (中略)怖い怖いと思いながらも,人は妖怪に強く魅かれるのである。」
 (『江戸の妖怪革命』53ページ)

(そういえば,昨日,BSプレミアムで「京都異界中継」やっていましたね。
 最初10分ほどで,娘にチャンネルを変えられてしまいました。
 でも,録画しているので,ゆっくり一人で見ます・・・そのうち。)

と,いうことで,

すっきり,納得!

私も「オバケ絵大博覧会」を楽しんできたわけです。

小学生ぐらいの子が,「怖い・・・。」とおかあさんにしがみつきながら見ていましたよ。

展示は主に江戸時代終り頃の浮世絵。

国芳のほかにも,葛飾北斎,月岡芳年など。


そういえば,
たぶん,JMOOCの講座「歌舞伎の経済学」だったと思うのですが,
江戸時代の夏,
暑くて歌舞伎を見るために人が集まらなくなった時,
妖怪,怪談をすると,人が来るようになり,
大人気だったと・・・。

展示の妖怪の絵の中には,
怪談物の演目をやっている歌舞伎役者の絵がたくさんありました。

つまり,
江戸時代の庶民も私も,
妖怪の浮世絵や怪談話が面白いのです。

香川氏の言う通り,
妖怪に対して畏怖の念も何もなく,
楽しみであり,
その楽しみで商売をしている人にのせられているのです!
(と言ってしまえば,身も蓋もない・・・か・・・。)


でも,面白いものはおもしろい!
そんな江戸時代の庶民を考えるのもおもしろい!

国芳の「源頼光公館土蜘作妖怪図(つちぐもようかいをなすず)」に再会できて,幸せでした。


PS.ちなみに,香川氏はこう書いています。
「18世紀後半とは,かつて人間世界をその外側から規定し,支配していた神霊が, 
 貨幣の力によって人間世界の「外部」が消失し,
 すべてが人の力によって動かせるという信念が広まっていったのである。
 それこそが世界の「人間化」であり,
 「妖怪手品」が18世紀後半において登場した理由も, 
 ここにあると考えられる。」
 (『江戸の妖怪革命』130ページ)
詳しくは,香川先生の本をお読みください。





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澤まもる編著『明治の銅版画ー郵便』 昭和55年7月

2017-08-06 16:18:08 | 日記 本
「メンバーの友人に銅板画の収集家がいて、
 その人が出版した、厚さ8㎝ぐらい本を持ってきてくれました。
 明治初期の日本全国の郵便局が一軒ずつ1頁に銅板画が印刷されていました。
 八王子も出ていました。
 頁をめくっていたら、播磨、網干も発見!!
 大阪商船会社代理店と隣に網干在家郵便局。前に四角い郵便ポストも立っていました。
 円尾六郎兵衛、網干在家郵便局の円尾善兵衛の息子か。と、ありました。
 郵便局は元名主庄屋の家がなることが多かったですね。」

2017年1月17日の時々このブログに来て下さる方のコメントの一部です。

見てみたい・・・そう思ってから半年以上たったのですね。

先週金曜日,兵庫県立図書館の仮設図書館で見てきました。


澤まもる氏の序文によると,

銅版画の中には,日本各地の豪商,老舗を中心に描いたものがあり,
それが,「商工便覧」とか「商工博覧絵」と名のついた冊子として
明治15年ころより25年にかけ,数多くあったそうで,
大半は袖珍本,今でいうポケット・ブックの類の使い捨て本であったそうです。

それを収集したもの,国立国会図書館蔵の一部掲載の許可を得たものをこの本にまとめたそうです。


時間があれば,1日中見ていても飽きないような本ですが,
明石市立文化博物館のオバケも見たかったので,
コピーだけして図書館を出ました。


江戸時代終り頃だったら,
浮世絵として,日本中の名所が描かれたりしていますが,
明治になると,銅版画も多いのでしょうか?
網干の円尾さんって,私の知っている方の実家の円尾さん?
八王子の銅版画はすごく丁寧だけど,網干のは雑ですね。
きっと,かけるお金がちがっていたんでしょうね。
いろいろ思いますが,ゆっくり見たらもっとおもしろいと思います。


この本を教えてくださった方は,2016年5月18日から
合計36回,コメントを頂いています。
特に,古文書では励ましてもらっています。
ありがとうございます。

とりあえず,ざっと本を見て,急いでブログを書いたので
うまく書けていませんが,お許しください。


また,お越し下さい。


PS.解説:明治の銅版画
この本によると

「繁盛図録」「商工図録」「博覧会」など銅版の袖珍本は
購入した人がいながらにして各地の名店・名勝地がわかるように配慮したもので,
各商店としては,この種の本に自分の店舗が取り上げられることによって
商売上の大いに宣伝になります。
明治15年ごろより25年ごろにかけ大いに利用されました。

銅版画は
製作者(編者)が各商店と契約を結び,
その本が決まると画工は精微に家屋の構造や店舗の様子を写しました。
加入者の希望により,
画面の中に器械類や賞牌・宣伝文など適宜に加えることができました。

下絵を加入者に見せ,納得を得たうえで初めて銅版彫刻にしたそうです。


江戸時代終り頃の浮世絵と比較すれば面白いかも?

と,台風が近づいていて,こんな事している場合じゃない8月7日朝5時46分,
追記しました。





コメント (4)
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