[アダム・オンダイ・アーマンの画像2点]
私は最初こう呼ばれた場所に、アダムがイエスの再臨に先立って訪れる(D&C116章)と聞いた時から、内心本当?と感じてきた。我田引水的に聞こえ、アメリカ的な発想に密かに閉口していた。またアダムは死ぬ前にこの地で義なる子孫に祝福を授けたと伝えられる。(D&C107:53-56)。(ブリガム・ヤングはJSがジャクソン郡はエデンの園だったと宣言したと言う。Journal History, Mar. 15, 1857 )
私はR.L.ブッシュマンの本を読んでいて、「ジョセフ・スミスは目の前に広がる景色 - - 開けた大草原に鹿、ヘラジカ、うずらなどがいるの - - を見て、霊感を感じその場所をモルモン書や聖書の物語と重ね合わせて啓示を受けた」と書いているのに接し、ハハン、と思った。文字通り受けとめるべき言葉というより、ミズーリ州で迫害に次ぐ迫害に疲れ北の方にシオンの安住の地を探していて、ここでほっと安堵の気持ちに包まれたのだろう。そしてこのような示現を受けたのではないか、とブッシュマンの文の行間を読んだのであった。
本当のことと受けとめるべき事柄ないし歴史上将来に確実に起こる事柄というより、理想や願望に基づく、いわばロマンチックで詩的な夢のようなものなのではないか。黙示文学(文書)もそのような要素で満ちあふれている。LDS教会の場合、教会指導者が説教や活字で触れなくなることで、間接的に教会は過去の教説にすぎないと見なしているのではないか。ミズーリ州インディぺンデンスを集合の地シオンと受けとめなくなり、シオンの定義が変化してきたのが一例であろう。
(昔、マオリの教会員の一団がシオンに集合すべしという啓示を文字通り受けとめ、ミズーリ州インディぺンデンスに移住したことがあった。)
参考
Richard Lyman Bushman, “Joseph Smith: Rough Stone Rolling.” 2005, p. 345.
補足
私はコメントされた、ミズーリ州にエデンの園があった(or Adam-ondi-Ahmanに将来アダムのもとに人々が集まる)というのは、その可能性がない、という考えに賛成です。R.L.Bushman もこれは Mormon lore , (モルモンの言い伝え)と言っています。そう見る現代の教徒が出始めている、と伝えるサイトがあり、次のように書いています。 Today, many Mormons say they give Adam-ondi-Ahman little thought. Columbia University scholar and practicing Mormon Richard Bushman even calls it "Mormon lore." http://www.stltoday.com/lifestyles/faith-and-values/mormons-see-valley-in-missouri-as-linked-to-adam-eve/article_4acfb38a-f4ef-500f-9cc9-e4fbf1116636.html |
やはり聖書の解釈と合致する点が見いだせないなら人の作った考えとして片づけられることでしょう。
地上に他のキリスト教会が存在する以上、この考えはキリスト教社会では受け入れてもらえないと強く感じます。
言ってしまったことはどうしようもできませんので、解釈を変えていくことが必要になります。
かつて私も信じていましたが、多くの違和感を感じながらの信仰でした。
納得できないことを信じるのはなかなか苦しいものです。
会員はどうして、おかしいと思わないのだろう?
すべてを信じ切ること、指導者を無条件で支持することは教会を正しく導かないことにつながる気がするのです。
つまりエルサレムも東京も全部がかつてエデンの園だったと言っても構わない(モルモンの教義からはちっとも間違っていない)のです。
JSがこの地が凄く特別な場所だと宣言したのは何もジャクソン郡が初めてではないわけで、ロマンチックな啓示文学というよりは、教会本部の設置場所(現在はソルトレイク)に会員を集めて、都市建設のために労働力を集中させる意図があったと解釈するほうが理に適ってると思います。
納得できないことを信じるのはなかなか苦しいものです。
会員はどうして、おかしいと思わないのだろう?
それは、その人の信仰にとって、その事がさほど重要事項ではないからだと思います。
アダム・オンダイ・アーマンがどうしたなんて、気にしてるのはNJさんぐらいで・・・。
戦後は、60年代アルビン・R・ダイヤー使徒補助(1903-1977)の1度だけっすね。
おそらく、想像では、現在、教会幹部にミズーリ・ジャクソン郡に戻ってシオンの町建設とかの具体的啓示は受けなくなったのでは?主体はアメリカ先住民に失われた10支族で、そこにモルモンが加わるみたいな(AOAは 10支族の星の帰還/地球と合体の後のことでは)・・・
その時までにはアメリカは荒廃してて、人口も戦争などで減り、で、イザヤ4(第1ニーファイ14)の’その日七人の女が一人の男に・・’が成就みたいな。まぁ、しかし、5節では、’シオンのすべての栄光のうえに守りがある’とはありますかぁぁ・・・
アダム・オンダイ・アーマン
「アダム」 参照
アダムが自らの死の3年前に,義にかなった子孫に祝福を授けた場所(教義 107:53-56)。再臨の前にアダムはこの地を訪れる(教義 116章)。
AOAとはエデンの東に位置する土地ではないでしょうか?
園の東にケルビムと炎の剣を置いたということは東から園に入ってこれなくするためと考えられます。
ということはエデンの東が堕落後のアダムが住んだ土地
ということになります。
アダムが死ぬ前に子供に祝福を与えた場所ですから、堕落後にアダムが住んでいたといくことで、この地球のどこかを示すと思います。
それがデービース郡ということでしょうね。
ということはAOAの西がエデンかな?
ブリガム・ヤングはそう思っていたのではないでしょうか?
ケルビムと剣を置いた目的は <命の木から実をとって永遠に生きることのないため>だったはずです。
ということはケルビムと剣が無ければアダムたちはエデンの園にすぐに入れるようなごく近隣の場所にいたと考えられます。
もちろんその後は地を耕す必要があったので水のあるところに移ったでしょう。
エデンは4つの川の源流ですから近くには農耕可能な場所はいっぱいあったと思われます。
どうもエデンの園は堕落後にアダムが住んだAOAのご近所という感じがするのです。
ほとんどの末日聖徒はこれを認識していますが、それはLDSの神学においてほとんど役割を果たさない比較的小さな点です。(対照的に、新エルサレム・ザイオンがアメリカで建設されるという考え方は、LDSの意識がはるかに大きくなります。)
このアイデアはおそらく、ほとんどの非会員には奇妙なものですが、聖人たちが庭園の所在地について意見を持っているだけではありません。すべての縞の宗教には様々な意見があります。アメリカのオブザーバーの外では、庭がローカルであるという考え方が魅力的ではないでしょうか。
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おそらくジョセフ・スミスにはリアルな情景としてアダム・オンダイ・アーマンの啓示を見ていたのではないでしょうか。
どの宗教も多かれ少なかれこういった超自然的なものを持っていますし、キリストの復活、再臨だって非信仰者から見れば信じがたいものでし。
ところで、アダムもアーマンも解るのですが。
オンダイ?ってどんな意味でしょう。
英語?
というのは、例えば、次のようなことがあてはまるのかな。
「”イザヤ書2:2が、ソルトレークのことと言い始めたのは、どうやら、ヒンクレー管長(1910-2008)のようです。
『神殿に隣接するこのすばらしい建物に思いをはせるときに,イザヤが語った偉大な預言が心に浮かんできます。
「終りの日に次のことが起る。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、
もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてき、多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。
彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。
ヤコブの家よ,さあ,われわれは主の光に歩もう。
」(イザヤ2:2-3,5)
この預言は古い歴史を持つ壮麗なソルトレーク神殿を指しているとわたしは信じています。しかしこの預言はこの壮大なカンファレンス・ホールをも指していると思います。なぜならば,神の律法は主の言葉と証とともにこの壇上から発せられるからです。
わたしたちを一つの民として神が祝福してくださるよう願っています。わたしたちは千年紀の・・・
』
2000、10月総大会(リアホナ、2001.1月号、p82)
」
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/1f383c389ad6c3243794fd7eaf8bbd65
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/eee6fb0f4cff0213ec1034508aa4e25e
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/b75ba3f5a651295d4d9eeca89521616c
そんでもって、世界中の人々、まぁ、改宗者ですかぁ、ヤコブの神の家に行こうと言って、神殿にやってきては、94年からは、あの黒髪のイブ・エバのエンダウメントの天地創造の映画を見せられるというわけなんですね・・・・
’ミット状の重なった石’は、やや扁平な楕円状の膨らみのある石が二つ重なってて右横に丸めの石がちょんと付いてる感じで、しっかりできてまんな・・・
この辺のことは、フーコーの『知への意志・性の歴史』が何かの解説を与えてくれるのかな。
管理・支配には性を通じてのコントロールから・・・そういった欧米社会の手段の乗ったまで?!
たまWEBとしては、将来のジャクソン郡のが、そのイザヤの言ってるのなんではと、まぁ、そうあってほしいような・・・
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/823b0ff87cf998f28aa313dafb1318a3
ヒンクレー管長が、そのエンダウメント・フィルムの背後にあっては、イザヤ2章の成就がソルトレークのがそうだと宣言し得てるのは、そういった伝統に立脚、同じようなメンタリティの持ち主であったからなんでしょう・・・https://honcierge.jp/articles/shelf_story/2120
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%22%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%B3%E3%81%A8%E9%AD%94%E5%A5%B3%22