息子たちは監督、副監督(野球ではありません)
全く私事にわたることで恐縮ですが、長男と義理
の息子二人が現在末日聖徒イエス・キリスト教会
で監督、副監督に召されて奉仕に携わっています。
長男は最近、横浜ステークの改組に伴って横浜の
ワードの監督に召されました。昔、私自身が副監
督に召されていたワードですので、不思議な感じ
がしています。また隔世の感も覚えます。
大阪、高槻ワードの長女の婿が暫く前に監督に召
されており、ユタ州レイトンの次女の婿も副監督
に召されています。
そう言えば私自身も昔、兵庫県西宮で支部長、尼
崎でも支部長を務めたことがありました。
当時の私を含めて、不十分な者たちで、恐れ多い
ことですが、名誉ある尊い献身の機会です。謙虚
に誠心誠意尽くして欲しいと願う今日この頃です。
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全く私事にわたることで恐縮ですが、長男と義理
の息子二人が現在末日聖徒イエス・キリスト教会
で監督、副監督に召されて奉仕に携わっています。
長男は最近、横浜ステークの改組に伴って横浜の
ワードの監督に召されました。昔、私自身が副監
督に召されていたワードですので、不思議な感じ
がしています。また隔世の感も覚えます。
大阪、高槻ワードの長女の婿が暫く前に監督に召
されており、ユタ州レイトンの次女の婿も副監督
に召されています。
そう言えば私自身も昔、兵庫県西宮で支部長、尼
崎でも支部長を務めたことがありました。
当時の私を含めて、不十分な者たちで、恐れ多い
ことですが、名誉ある尊い献身の機会です。謙虚
に誠心誠意尽くして欲しいと願う今日この頃です。
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邦人平信徒の監督など / 伝道部長、宣教師の二重性。監督やホームティーチャーは普通の教会のような専任の聖職者ではなく、平信徒で別に本職を持っています。日本の競争の激しい日々の生活の中、時間を割いて奉仕をしていますので、お休み会員への働きかけも「淡白」にならざるを得ないのです。それが現実です。
それに比べれば、時間があってお休み会員への訪問がもう少し行き渡っているのが扶助協会の家庭訪問です。例えばうちのかみさんは、扶助協会に熱心でこの訪問をかなり徹底して行なっています。(現在あるワードの会長。)しかし、もう来ないで欲しいという会員の所は二度と訪問しません。訪問拒否として監督に報告し、会員籍をはずす手続きにかかる、と言っています。(これが必ずしも迅速でないのが現状?)
外国人幹部や伝道部(直接の指導は東京の地域会長会)はお休み会員の再活発化を絶えず奨励するので、宣教師たちや邦人の組織の方でもこの面で努力しようとし、断った人の所にまた行くということが生じているのでしょう。
また、モルモン指導者はこのような経験を大会などで美談として証させていることでしょう。
おじゃまむしさんの書き込みは、教会を離れていく人に教会は淡白であるという表現は事実ではない、という証言です。
モルモン教会には、各地の指導者(監督、ステーク会長)がなかなか脱会希望者の手続きを進めないという問題が実際にあります。
モルモン脱会者の支援をしている人が管理本部の担当者に電話すると、教会では速やかに手続きをするように指導しているが、監督さんたちがちゃんとやってくれないので困っているという返事が返ってきたそうです。
なぜ、そうした問題が解消されないのでしょうか?
それはおじゃまむしさんのような体験談を教会側が積極的にとりあげ、会員をたきつけているからです。監督たちはこの人を教会から去らせて幸福を奪ってはならない、と考えてしまうのです。
しかし主たる責任は監督たちには無い、と私は考えます。
監督たちには脱会手続きを速やかにするように指導していると説明しながら、実際は会員が教会を離れないように心情的にあおっているモルモン教会の欺瞞にこそ問題があります。
私はこんな経験を教会だけでなくいろんなサークルに寂しさゆえに入会しようとして挫折してきました。けれど去った後でひとりでも声をかけてくれたりするとまた戻ってみたいと思ったりするのです。それが何回かあるとよし頑張って続けようと思うのです。自分は教会員ですが信仰心はそれほどあるわけではないのですが、もう20年ぐらい集っています。信仰よりも家族のため、あの人のため。最も重要なのはどの世界でもそうだと思いますが人間関係です。人と人との友情や愛情に動かされるものです。信仰だけで続けていけるほどの強い人間はあまりいないのではないでしょうか。
人間はみな弱い存在です。その弱さを和らげてくれるのが宗教の存在だと思います。そしてすべての宗教はその意味で存在価値があると思います。自分の集っている教会に満足しているならば去っていった人たちを再び戻ってほしいと願うのはごく自然はことであります。迷惑なこともありますが少なくとも私自身が経験したことは去る人を追ってくれたおかげで幸福な日々を取り戻したことをここに述べておきます。
何を意識しているか、物事や現象に対する人のスタンス、そのことの是非にまつわる感情などに差異があると、このような発言の違いになって現れることがわかります。
再活発化やお休み会員へのHT強化といった、実際にモルモン教会で行われている活動が証拠です。
あなたがたは、教会を離れたいという明確な意思表示があれば、モルモン教会は何もしないとおっしゃるが、では、そうでなければどうなのでしょう?
理由も言わず2、3週間教会を欠席している人には、HTが訪問するなり、監督が電話するなりして、教会を離れないように働きかけるでしょう?
そうした行動をとるように監督や定員会会長は指導されているのです。
相手は、もうモルモン教会など行きたくないなぁ、でもあからさまに断るのもカドが立つから黙って行かないようにしようかなと考えているかも知れないじゃないですか?
でも神権者は、「主の羊が迷い出てしまわないように」とか、「世の誘惑に引き込まれないように」とか、そういう言葉にたきつけられて彼らと連絡をとろうと行動するのです。これもモルモン教会によって教え込まれているからです。
モルモン教会の実態は「淡白」という表現とは異なるものです。
私の意見に反論されるなら「詭弁は抜き」でお願いします、という意味です。
「本当に去ろうとする人」とNJ氏も書いておられますけど。いわゆるお休み会員は教会を離れる意志表示をしていないんじゃないでしょうか?
何をご冗談をおっしゃっているのでしょうか?
しばしばモルモン教会の集会で話し合われる、
再活発化、お休み会員の重点家族、HT100%達成・・・
これらは一体何を意味するかご説明いただきたいものです。
ただ残るなら協力を惜しまないとのありがたい言葉もありました。
とができません。
その人の心的、信仰上の状況から本当に去ろうとして、教会員の信仰に戻れない人を無理に留めようとはしていないと思います。(反論されるかもしれませんが、これもモルモン教会の特徴であると見ています。)
以前、私の目から見て非常に淡白に去らせていたように記憶しています。(西宮、横浜、徳山、広島でも。)また現在はなおさらその傾向が強いのではないでしょうか。
そうした人たちは教会で行われていることがおかしいと感じており、監督やステーク会長などに相談もしているのですが、相談することによって地元の指導者へ不信感がますますつのっています。
指導者から脱会理由は何か、などいろいろ聞かれたらどうしようと悩む方には「トゥゲザーという会員のサイトを見てやめたくなった」と言えばいい、と
申し上げています。
モルモン教会はなぜ、脱会を引きとめようとしたり、教会へ戻ってくることをすすめたりするのでしょうか? 本当にモルモン教会に救いがあるなら、脱会した人もいずれそのことに気が付き、また帰ってくるでしょう。教会を去っていく人にはその日が来たときに迎え入れてあげれば良い、それだけのことではありませんか?
なぜモルモン指導者や活発会員や引き止めるのでしょうか。この世は悪に満ちているが教会は人々を悪から守り幸福で平安な暮らしができるように援助している、教会にとどまっていればそれらの祝福を享受でる、(好意的に表現しましたが)おそらくそうした考えが根拠となって引き止めるのでしょう。
世の中を教団内部と外部に分け、一方を善、他方を悪であるという世界観を植え付けるのはカルト宗教の特徴であるとは、カルト問題研究者からしばしば指摘されることです。モルモン教会はこれと同様の世界観を信者に持たせているのです。これはやめるべきことでしょうね。
モルモン指導者と話し合うことによってかえって不信感を持つと先に言いましたが、それについてもう少し説明します。
教会のあり方、教会の方針、教会で行われていることがおかしいと思うという話をしているのに、モルモン指導者は「あなたが信仰を持ち、あなたが変われば全て解決する」という類の回答しかできません。昨年お会いした地域七十人の中野長老も同様のことを私に言いましたが、そうした子供だましを平然と口することに呆れました。
もっともこれはモルモン教会が会員からの意見を汲み上げて運営するという仕組みを持とうとしないので、決して解決されることのない問題です。
地元の指導者レベルでは教会を変えることはできないため、会員の気持ちを変えて問題をなかったことにするという姑息な手段しかとれないのが現実です。結果、指導者と話し合っても無駄だと悟るのです。
教会を変えろとまでは言いませんが、ご子息たちには教会を離れたい人を安らかに去り行かせてあげてくださいと切に願うものです。
頭から否定するのでなく、(多少その方面の知識があるので)教会のプラスの側面を説き、留まることの祝福を語るのではないでしょうか。
あるいは、参考になる話や本を紹介して自分で解決するよう誠実に対応するように思います。(モルモンフォーラムのバックナンバーから関連記事を探してきて渡すとか。・・我田引水になってしまいました。)
あるいは一緒にその問題を勉強しましょう、と応じるかもしれません。(相手の納得を尊重する。)
宗教はいろいろなことを承知した上で、それでもなお個人が特定の宗教を選択するという面があります。
もしご子息たちが監督会やステーク役員を務める
ユニットにおいて「インターネットでトゥゲザーという
会員の作ったサイトを見て教会に疑問がおこり、
教会から離れたいと考えている」という相談を会員
から受けたら、ご子息たちはどう対応されますか?
神殿宣教師のご奉仕、ご苦労様です。いつも貴兄の暖かい発言と善意の姿勢に敬意を抱いています。