プロテスタント教会について「カトリックの教義によれ
ば、その語の本来の意味において『教会』ではない」と
している。
声明は「教会論のある部分に関する質問に対する応答
(Responses to Some Questions Regarding Certain Aspects
of the Doctrine on the Church)」と題し、教理省長
官、ウィリアム・ジョゼフ・レヴェイダ枢機卿が署名し
ている。バチカン・ニュース・サービスによると、声明
はベネディクト16世の承認を得ている。
声明で、レヴェイダ枢機卿は、使徒ペテロに始まる使
徒的伝承をプロテスタント教会が壊し、叙階の秘跡を損
なったために、「教会」と呼ぶことはできないとした。
正教会については、使徒的伝承を守っていると評価す
る一方、教皇に対する認識の面で「まったき教会として
は欠点がある」とした。
リンク:「RESPONSES TO SOME QUESTIONS REGARDING CERTAIN
ASPECTS OF THE DOCTRINE ON THE CHURCH」
http://www.christiantoday.co.jp/international-news-1045.html
--- --- ---
[コメント]カトリック教会が依然として大変保守的、排
他的である印象を受ける。あるいは、結局宗教は自派が
最も正しく、他は間違っているという特性を本質的に持
っているのではないか、と感じさせる。
モルモン教会がこの点でしばしば離脱モルモンや外から
指摘され、守勢に立つがプロテスタント諸派の「われわ
れは・・、・・、・・とは関係がない」という言明も同
列に並ぶものにほかならない。
ば、その語の本来の意味において『教会』ではない」と
している。
声明は「教会論のある部分に関する質問に対する応答
(Responses to Some Questions Regarding Certain Aspects
of the Doctrine on the Church)」と題し、教理省長
官、ウィリアム・ジョゼフ・レヴェイダ枢機卿が署名し
ている。バチカン・ニュース・サービスによると、声明
はベネディクト16世の承認を得ている。
声明で、レヴェイダ枢機卿は、使徒ペテロに始まる使
徒的伝承をプロテスタント教会が壊し、叙階の秘跡を損
なったために、「教会」と呼ぶことはできないとした。
正教会については、使徒的伝承を守っていると評価す
る一方、教皇に対する認識の面で「まったき教会として
は欠点がある」とした。
リンク:「RESPONSES TO SOME QUESTIONS REGARDING CERTAIN
ASPECTS OF THE DOCTRINE ON THE CHURCH」
http://www.christiantoday.co.jp/international-news-1045.html
--- --- ---
[コメント]カトリック教会が依然として大変保守的、排
他的である印象を受ける。あるいは、結局宗教は自派が
最も正しく、他は間違っているという特性を本質的に持
っているのではないか、と感じさせる。
モルモン教会がこの点でしばしば離脱モルモンや外から
指摘され、守勢に立つがプロテスタント諸派の「われわ
れは・・、・・、・・とは関係がない」という言明も同
列に並ぶものにほかならない。
んんっ?
なにを仰りたいのかよく分かりませんが。
宗教なんて、どこも似たりよったりじゃないですか?
でも、信仰を持つという事は人生に大きな影響を
与えるわけで、変な宗教には入りたいくありません。
ちなみに質問ですが
モルモン教会って健全な宗教なのですか?
ようこそ。モルモン教会を取り巻くある背景のようなものがあってこのニュースを取り上げています。それは、モルモン教会が「唯一真」を強く主張してきたことに対し、外部から批判され、離反者からも厳しく指摘されてきたことです。(現在はこの点について教会指導者も一般会員も慎重になっています。)
そこにカトリック教会が公然と同じ主張を発表したものですから、ニュースとして取り上げたわけです。
おっしゃるように宗教には共通した特性(自派が正しいという主張)があります。そして誰しも変な宗教には入りたくないと思うでしょう。
最後の質問ですが、今の私はモルモン教会が健全な宗教である、と見ています。(もっともこのことについて延々と議論するつもりはありません。)
あまりの認識の低さに絶句しております。
青少年のころ自分以外の教会員も「神に深く愛された特別な存在である」ことに気づき(頭では神は全ての人を愛しているは当然理解していましたが)「驚き」ました。
ごく最近(以前から薄々気づいてはいたのですが)他宗派のクリスチャンも「神に深く愛された特別な存在である」に気づき「驚き」ました。
つまり「神は全ての人の祈りを聞きその信仰に応じて答えて下さる」ということです。
それは他宗派の方々の「証」を聞くときに自分が子供の頃から慣れ親しんできた「気持ち」と同じものを感じとるからです。これは「驚き」です。
ここまで来ると間違いなく異教徒も「神に深く愛された特別な存在である」と思うのです。イザヤの言葉とニーファイの言葉、異邦人が改宗したときのペテロの驚きが身近に感じます。
回答ありがとうございました。
「とと」がどうかしました??
宗教はショッピングと違って、あれこれ
選んで入信するケースは稀で
ほとんどタイミングというか、出会いでしょう。
私がすんでいる街にもモルモンの宣教師が
ウロウロしてますが・・・
宗教の健全性については、議論するほど
当方に知識はありませんから(笑
ただ、どんな組織もお金の流れの透明性と
間違いを犯したときの対応の仕方
で判断できると考えております。
どうもオジャマしました。
とと
「唯一真の教会」の存在を信じているという点で私と同じではないかと。
カトリックの「唯一真の教会」の自己定義はカトリックが世俗化することへの抵抗ではないでしょうか。
カトリックの使う「唯一、使途的な教会」という表現は好きです。
それは多分自分自身が「神が人の救いのために神の力と権威を人に与える」ことを信じているからでしょう。
カトリック色々な文章を読んで思うのは神学はべつにしてカトリックの人々の心の風景と私たちの心の風景はそれほど違わないという事です。
何度カトリック教会に実際に足を運んだのでしょうか?
何度カトリックの神父と会話したのでしょうか?
モルモン教会に一度も来たことが無い人が
モルモンを批判するのを、あなたが快く思わないなら
あなたがカトリックについて言及することは
相手とってどうなのでしょうか。
そしてしっかり考えていただきたいのは
この秋になんというテーマで研究発表会を開こうとされているか、です。
おもしろいこと仰いますね。
・・・ここはあまり首を突っ込まないほうがいいかな?
私はカトリック教会には行ったことは無いし
神父さんとも話したことは無いのですが、
バチカンはどうなのか知りませんが
私のカトリックに対するイメージは
プロテスタントの福音派に比べて
割とリベラルな宗教って感じです。
井上洋治さんとか柳田敏洋さんの著作を読んで
そう思いました。日本だけかな?
それに対してモルモンは、
…これも私のイメージなのですが
キリスト教右派を横目に見ながら組織運営している
ような印象があって、
その信徒である方々が、カトリック信徒の
方々と同じ心の風景というのは実に以外です。
ちなみに(再び)
NJさんは宗教についてとても広く
お勉強されているようですが、
モルモン信徒としてNJさんは将来、ご自身は
本当に神になると信じているのですか?
意見ありがとうございます。
辛口のトゥゲザーさんの言葉はグサグサ刺さります。
しかし勇気をもって思ったことは発言します。
発言すればこそ批判も受けられ考えの至らなさにきづくのですから。
カトリックもプロテスタントも末日聖徒も同じ聖書を読んで学ぶものがそれほど違うのでしょうか?
子供のころから家には他宗派の書物がありました。
私の信仰はそれらの書物によっても養われてきたのです。
私の信仰は日本の他宗派のクリスチャンの信仰にも負うところがあるのです。
子供の頃、父が独り部屋で祈っている姿をみて神の存在を確信した経験を紹介していました。
娘さん(といってもかなり高齢でした)から感じるものは末日聖徒の教会の礼拝で感じるものと全く同じでした。
エルサレムの聖墳墓教会で働く日本人聖職者がキリストの復活についてハッキリと「事実」であると紹介している姿をテレビ(テレビばっかですね)でみました。
そのときの神父さんの確信満ちた言葉に心打たれました。またこの聖墳墓教会の意味はキリストの死にではなく復活にあると言い切ったとき、テレビを見ていた内の家族は皆感動していました。
キリストへの確信となるものは皆同じひとつの気持ちからもたらされていると断定できるのでは?