日本にあってモルモン教会は三重の同心円で描くことができる。そして、それぞれをまた三つに分けることができる。
[Inner が I に、Outer が II に、外の Expanding が IIIに相当。]
まず、I 中心部はラインの中枢部で、日本の教会の運営や方向を決定する権限を持つ。日本について見れば更に、1 「地域会長会」、2 日本人で(準)教会幹部に召された「地域幹部」(任期制)、3 「ステーク会長会」と続く。但し、地域会長会は上位にあるソルトレークの教会本部(大管長会、十二使徒評議員会、それに管理監督会など教会の官僚を含む)から管理・指示される。特にこの間の関係は絶大で、強固な中央集権体制が敷かれている。なお、東京の「管理本部」が地域会長会のすぐ下に目に見えにくい形で官僚組織として存在し、またステーク会長会と並んでやや下に伝道部長が各地に赴任している。(彼らの多くは米人で予算を持ち、相当数の宣教師を擁している。彼らは四六時中その任にあるので、日本人のステーク会長より実質力(ちから)が上になっている。米では起きそうもないと私は観ている。)
II 地方(教会員にとって地元)。この単位はワード部(または支部)でステークや伝道部の一部を構成する。日頃普通の教会員が関わるのはこのレベルである。ここは、1 監督会(bishop, bishopricと称している)、2 神権評議会・ワード部評議会、3 (活発)一般会員、の三層となる。ここでも監督会と上位のステーク会長会の関係が密接で指示系統がはっきりしている。3の一般会員はほとんどライン的に発言権もフィードバックする術も持たない。
III 末端・周縁部。これは考慮されることもない部分かもしれないが、無視できないし人数的には来ていない会員に目をとめると最も多くなる。1 周縁に位置する人々、(聖餐会にだけ出席する、あるいは出席が不定期で、責任に召されることもない会員)、2 リベラルな(熱心でない)知識層、3 全く教会に来なくなった人々(残念ながらこの層がどこでも8割から時に9割近くに達する)。リベラルな層も出席する教会員数が縮小気味な現状にあって、積極的に教会運営に参画する人々もいて、教会としては切り捨てることはできない。
私がこの観察を投稿するわけは、邦人がこれまで懸命に信仰を働かせて奉仕しても、終局的には決定権を持たず、自らの意思を教会運営に反映できない無念さを間接的にではあれ痛感しているからである。私は上の同心円では周縁部にいながらも、(上位に位置する邦人の心理を察して)歯がゆさ、空しさのような感慨を覚えているからである。では、どうしたらよいのか?最近、私は気付いた。日本に赴任し数年地域会長を務め、米国本部に戻って更に上位の七十人会長会に召されても、そのうち数年たつと姿が消えているではないか。彼らも忘れ去られ、過去の歴史に埋もれていく道をたどっていく。「役職は成長の機会であり、その地位にあってどのように奉仕したかがその人物を決める」(HN元地域幹部)。日本の教会員にとって大事なのは、上に立つ人物を羨むのではなく、自分が(可能な限り仁徳においても人後に落ちることなく)、人生をしっかり全うすることではないかということである。
参考記事(本ブログ) 2011.02.03 教会政治(運営方法)の面からみた類型
* コメントは主宰者の吟味・調整を待って確定とさせていただきます。
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まず、I 中心部はラインの中枢部で、日本の教会の運営や方向を決定する権限を持つ。日本について見れば更に、1 「地域会長会」、2 日本人で(準)教会幹部に召された「地域幹部」(任期制)、3 「ステーク会長会」と続く。但し、地域会長会は上位にあるソルトレークの教会本部(大管長会、十二使徒評議員会、それに管理監督会など教会の官僚を含む)から管理・指示される。特にこの間の関係は絶大で、強固な中央集権体制が敷かれている。なお、東京の「管理本部」が地域会長会のすぐ下に目に見えにくい形で官僚組織として存在し、またステーク会長会と並んでやや下に伝道部長が各地に赴任している。(彼らの多くは米人で予算を持ち、相当数の宣教師を擁している。彼らは四六時中その任にあるので、日本人のステーク会長より実質力(ちから)が上になっている。米では起きそうもないと私は観ている。)
II 地方(教会員にとって地元)。この単位はワード部(または支部)でステークや伝道部の一部を構成する。日頃普通の教会員が関わるのはこのレベルである。ここは、1 監督会(bishop, bishopricと称している)、2 神権評議会・ワード部評議会、3 (活発)一般会員、の三層となる。ここでも監督会と上位のステーク会長会の関係が密接で指示系統がはっきりしている。3の一般会員はほとんどライン的に発言権もフィードバックする術も持たない。
III 末端・周縁部。これは考慮されることもない部分かもしれないが、無視できないし人数的には来ていない会員に目をとめると最も多くなる。1 周縁に位置する人々、(聖餐会にだけ出席する、あるいは出席が不定期で、責任に召されることもない会員)、2 リベラルな(熱心でない)知識層、3 全く教会に来なくなった人々(残念ながらこの層がどこでも8割から時に9割近くに達する)。リベラルな層も出席する教会員数が縮小気味な現状にあって、積極的に教会運営に参画する人々もいて、教会としては切り捨てることはできない。
私がこの観察を投稿するわけは、邦人がこれまで懸命に信仰を働かせて奉仕しても、終局的には決定権を持たず、自らの意思を教会運営に反映できない無念さを間接的にではあれ痛感しているからである。私は上の同心円では周縁部にいながらも、(上位に位置する邦人の心理を察して)歯がゆさ、空しさのような感慨を覚えているからである。では、どうしたらよいのか?最近、私は気付いた。日本に赴任し数年地域会長を務め、米国本部に戻って更に上位の七十人会長会に召されても、そのうち数年たつと姿が消えているではないか。彼らも忘れ去られ、過去の歴史に埋もれていく道をたどっていく。「役職は成長の機会であり、その地位にあってどのように奉仕したかがその人物を決める」(HN元地域幹部)。日本の教会員にとって大事なのは、上に立つ人物を羨むのではなく、自分が(可能な限り仁徳においても人後に落ちることなく)、人生をしっかり全うすることではないかということである。
参考記事(本ブログ) 2011.02.03 教会政治(運営方法)の面からみた類型
* コメントは主宰者の吟味・調整を待って確定とさせていただきます。
それは「指揮管理系統の無力化」とも言える現象です。
確かに、ワードレベルの役員や会員は、教会の方針に口出しをする事は出来ませんが、同じように、地域幹部やステークが、ワードの動きをコントロール出来ては居ません。
言って見れば、ワードレベルでは、「建前と本音を上手く使い分けている」と言う事です。
毎年、教会幹部やステークから、「目標」や「方針」等がワードに示されます。
それに沿って、ワードも同じような方針や目標を掲げます。
しかし、それは、絵に描いた餅であって、ほとんどの場合具体的に実行されては居ません。
例えば、「家庭の夕べを開きましょう」と言うステークの指針が来て、ワードでも監督会が、同じように表明しますが、結局のところ、各家族や個人の努力目標で終わってしまって、一年立っても、ほとんど変化は有りません。
ワードでは、そんなことを本気で取り組む事は無いのです。と言うより、本気で取り組む事が出来ないのです。皮肉な事に、本気で取り組めない状況を作っているのが、ステークなのです。
ステークは目標を提示しますが、それを実行する為の具体的かつ現実的な動きをする事は有りません。
するのは、ステーク役員が、指導者会で「叫ぶ」だけなのです。
競馬の馬を走らせる時に、騎手は、ムチで馬の尻をたたきますが、同時に手綱を緩めるのです。
そうしないと、馬は走りません。
ステークは、ワードの尻をたたいても、手綱を緩める事をしないのです。
つまり、すでに、ワードの多くの「やらなければいけない事」を押し込んでますので、ワードは、それをこなすのがやっとで、それ以上の目標を実行できないわけです。
ステークの役員も、その様なワードの状態は理解しているので、強引には押し込めないのです。
それで、ステークもワードも、「目標」と言う形だけをつくって、それで終わってます。
嘘だと思うのでしたら、NJさんのステークで、去年の目標がどれだけ達成されたのか?を聞いてみてください。
仮に「神権によって家族を強める」と言う目標が有ったとします。その達成をどうやって評価する事が出来るのですか?
評価の出来ない目標なんて無意味です。
と言う事で、実際に日本のモルモン教会を動かしているのは、ワードの神権組織と補助組織の役員です。
歴史を作るのは、政治家ではなく、物言わぬ庶民ではないでしょうか?
評価の出来ない目標なんて無意味です。
私もそう思います。最近は漠然とした目標が多いと感じています。
漠然とした目標は評価のしようがないので、反省、改善などできないと思います。
ひとつにはそれをやりたくないので、そんな目標を立てているのではと勘ぐりたくなります。
これがもし会社組織であるなら、こんな目標を立てていたら間違いなくつぶれるでしょう。
日本の教会の場合、いろんな責任を果たすには数が少なすぎると思います。
まず教会員の数を増やすべきだと思いますが、誰もそれについて語ろうとしません。一番苦手で、やりたくないことだからです。
同じメンバーばかりで責任を果たしていても、進歩がありません。新しい血をどんどん入れるべきだがそれをしていません。
身近に感じるのはステーク単位だけですが、ステーク会長がそれを一番重要だと話しているのを見たことがありません。
今教会員ではなくても、加入すれば大きな力になる人は世に少なくないと思いますが、ほとんどそれに力を入れようとしていません。
口は悪いですが、サークル活動をしているのはと感じることがあります。
ただ、個人、家族では立派な方々がいるので、組織としては残念に思います。
そうならその旨ブログに明記すべきでは。
あなたは何のために教会に行っているのですか。それが一番の疑問です。
数ある名無しより。
このコメントも速攻削除するんでしょうね。
先のコメントの何が気に入らなかったのでしょうか。少なくとも沼野さんへの批判等はなかったと思いますが。
会員数を増やすために伝道すべきと言うことが気にならなかったのですか。予言者が重要事項としていつも言っていることですが。それとも予言者の言っていること自体が納得できないのでしょうか。
再度言いますが、何のために教会に行かれているのですか。批判するためですか。
気に入らなかったのですか○
先のコメント(伝道関係)はいったん保留させていただいて、ここに戻す予定でいました。
(緊急事態。なぜか管理ページにログインできなくなって対処中。)(自業自得?天罰?)(TBMが笑う?!)
Ⅰは絶対的な力を持つがほぼ正しいというだけで、絶対に正しいという保証もないことは証明済みでしょう。 だからこそ最低限のフィードバックも何かしらは必要と思われる。 目安箱とか(笑)
もしかしたらⅠから見てⅡはまだ改宗途中の群れという扱いになってるのかも。 よその国ではどうなんだろう?
情報がうまく共有できてないために、ⅠⅡⅢがどこかしら従順的な断状態にあるという指摘も、まあそうなのかも知れない。
原発事故の原因だって、本当は津波のせいだったというよりは、行き過ぎた官僚化による情報共有の失敗にあると言われており、現場に指揮権があって、史上まれなる津波が30分前に来るとわかっていれば、自衛隊に要請して停電直後に電源車を空輸できたんだそうです。 だからメルトダウンもなかったそうです。
でもって反省点としては原発の緊急事態は航空機の緊急事態と同じでパイロットの決定が最優先になるように決めたんだそうです。
現在、ちょっと締切のある仕事が入っているためお答えできません。ご容赦ください。