ガザの市場がイスラエルの空爆を受け、数十人が殺害された。1年前。nytimes.com
昨今、暴虐をほしいままにしているイスラエルを、末日聖徒はどう考えればよいのだろうか?イスラエルがガザとレバノン、西岸に対して現在行なっているジェノサイドとも称される軍事攻撃は、全く容認できない。世界が憂慮し、抗議の声を上げている通りである。
どう考えればよいのか。一つの答えは、ユダヤ人の改宗者アヴラハム・ギレアデ (lds) がかつて提示した見方が該当するのではないかと思う。それは、「イスラエルが道をはずれ、悪に走った時、神は敵を興してこれを一掃し御心(目的)を果たされる。しかる後、残った義なる民に再建を託される」というものである。
古代において選民をも罰し捕囚の身に陥らせる「道具」として周辺の大国を用いられた、またモルモン書ではニーファイ人が堕落した際、レーマン人を「鞭 (むち) 」として使われたこと (I N 2:24) があった。
(Avraham Gileadi, ‘Isaiah - Key to the Book of Mormon.’ John L. Sorenson and Melvin J. Thorne ed., ‘Rediscovering the Book of Mormon’ 1991所収。pp. 202, 203, 205 参照 )
付随して、1948年のイスラエル建国を預言の成就と見て、喜び祝すという考えは今どう受けとめればよいか、という問題がある。私は今はただ当惑しそのような気持ちになれない。強いて言えば、上の段落の見方に従って、否定せず、静観し神の叱責、イスラエルが変わるのを待つということだろうか。
パレスチナの悲しみに暮れている家族
[付記]
1 ガザの保健省によれば、4万2千人のパレスチナ人がイスラエルの空爆と地上侵攻によって殺害され、またそれ以上の人が瓦礫に埋もれていたり負傷、病気に苦しんでいたりしている。aljazeera.com, 2024.10.17 アクセス。(広範に情報を得るにはX [もとTwitter]をも活用する必要がある。)
2 昨年10月7日以降、1年以上にわたるイスラエルのガザへの軍事攻撃は、ガザを拠点としていたハマス (ガザ地区を統治してきた政治・軍事組織) がイスラエル南部を奇襲したことに端を発している。これはテロでありあくまで許されるものではない。ただ、背景としてパレスチナ人が76年にわたって非人間的な仕打ちをイスラエルから受けていた歴史[ナクバ]を知らなければならない。
3 イザヤは現在のイスラエルに対し、汝は「頑なになり、何も見えずなりぬ」とその頑迷を指摘し、「右に左につかみかかっている」と咎めるであろう。そして神は「斧をもってこの小枝を落とされる」と見る。(イザヤ29:9, 9:18, 10:33)
知人のA.K.氏は「私の前には破壊と暴虐があり、争いといさかいが起こっています」なのに「いつまで・・叫べばよいのですか。あなたは耳を傾けてくださらない」(ハバクク1:2, 3) という聖句を寄せてくれた。
4 先日あるNGOの中東駐在員は報告会で、「イスラエルが変わらなければこの事態は終わらない」と言っていたが、その通りだと思う。
5 本文で引用したアヴラハム・ギレアデは、一度教会から破門されているが再バプテスマを受け信頼を回復している。研究者の間では評価されている。
Avraham Gileadi, ed., ‘Israel’s Apostasy and Restoration: Essays in Honor of Roland K. Harrison’ (Grand Rapids, Michigan: Baker Book House, 1988)
It has following chapters.
Ch. 8 Israel’s Apostasy: Catalyst of Assyrian World Conquest, by Paul R. Gilchrist
Ch.13 Alienation and Restoration: A Jacob-Esau Typology, by Gary V. Smith
Preface, by Avraham Gileadi
Ch.12 The Davidic Covenant: A Theological Basis for Corporate Protection, by Avraham Gileadi
その他 16, 17, 18, 19, 20, 21, 24章も間接的に参考になりそう。
https://www.ebay.com/p/1391341
イスラエルが聖書の民ゆえに厳しい視線に晒されている気がします。
911テロの時無関係だったイラクに戦争を仕掛け多くの命を奪った暴挙の反応とあまりにも違う気がします。
ピューリサーチの調査では
https://www.pewresearch.org/politics/2023/12/08/americans-views-of-the-israel-hamas-war/
イスラエル・ハマス戦争に対するアメリカ人の見解
米国におけるユダヤ人に対する暴力に対する超党派の懸念、
米国のイスラム教徒に対する暴力に対する懸念には党派間の大きな隔たり
ハマスとイスラエルの戦争が終わりの見えないまま続く中、
現在の紛争の責任はハマスにあると考えるアメリカ人(65%)は、イスラエル政府(35%)よりもはるかに多い。
・・・
共和党員および共和党寄りの無党派層(73%)と民主党員および民主党寄りの無党派層(62%)の双方の大多数は、
ハマスがこの紛争に多大な責任を負っていると回答している。
しかし、イスラエル政府に多大な責任があると回答した
民主党員(50%)は共和党員(21%)の2倍以上である。
ーーーー
日本人で末日聖徒のオムナイの視点は共和党寄りの無党派層の意識に近いかも。
アメリカ国内ではイスラム教徒、ユダヤ教徒双方に差別が発生しているようで困惑しています。
中東問題素人の視点ですが、現状で中途半端な停戦での被害と将来懸念される被害のバランスで考えるしかないかなと。
私のような考え方はアメリカでは口にしにくいほどの雰囲気に圧倒されることを承知しています。内藤正則、三牧聖子「自壊する欧米 ガザ危機が問うダブルスタンダード」を読んで痛感しています。
ですが、ヨーロッパやカナダなどで見られる大規模なデモに見られますように、イスラエルの激しい攻撃とアメリカのイスラエルへの武器供与に反対する動きがある点にも注目すべきだと考えます。
私の見方は少数意見かもしれませんが、続けて注視していきたいと思っています。イスラエルの反応や自衛権を口実としたアンバランスな報復は、容認できません。
…いつもながら穏やかなレスポンスをいただいて感謝致します。
しかし双方に何百万以上の国民がいる中で、それら人々を一括りにしてA国民はこうだから、B国民はこうだからと言う見方で論じ合うのは果たして、現実の把握に有効なのでしょうか。特に生半可に聖書や宗教の知識があると、それをベースに物事を考えてしまいがちです。それは逆に問題解決の足かせになってはいないだろうか、特に中東問題について考えるたび、そんな気がします。
支配階級・権力者が編さんさせた歴史・記録に頼るのではなく、
市井の人々の生活に目を向けるというアプローチに画期的だと驚きました。
生活の拠点が破壊される、身体的な被害を受けることにされされる、
例えば市場で野菜や果物を売っているような人、
理髪店で髪を切ったり頭を洗ったりしているような人が、
パレスチナ人が憎いとか、イスラエルが憎いとか思っているでしょうか。
家族を失った人が、そう思っているでしょうか。
もちろんそう思っている人もいるでしょうが、少なくない数の
現地の人々は、こんな嵐は早く過ぎ去ってくれ、悪い夢から覚めてくれと思って
いるのではないでしょうか。民族とか宗教とかそれどころじゃないと。
民俗学的なアプローチから考えると、そうなのではないかと思います。
また、別の視点から。私たちはあまりにも表面的なことにしか
目を向けなさすぎです。専門家でなければ当事者でもない。
そして専門家だからといって信用することもできない。
当たり前といえば当たり前なのですが、もしそれで世論が形成され、
その世論で世の中が動くなら、専門家でなければ当事者でもない
私たちが軽率な議論や主張をしているのであれば、一定の責任があります。
その別の視点とは、背後に何があるかに注目するという事です。
香港の政治が大きく変わりそうだとなったころ、学生たちが盛んに
反対を表明しました。しかし、これに関連する報道で、この学生たちの
背後には香港の経済界がバックについているということを
みることはほとんどありませんでした。
もちろん学生たち自身も反対の意思はあったと思いますが、
経済界が学生たちを利用するメリットはかなり大きいです。
目をつけられてもそれは学生たちであって財界人ではない。
もし学生たちに運動させることで経済界が不利にならなくなれば、
経済界はリスクを負わずに目的を達成できる。
実はこれ、日本に住む私たちの身の回りでも頻繁に起きていることです。
炎上はたった1~3人程度から始まるそうです。それに万単位の人が乗る。
炎上させたい人に、万単位の人が乗せられている。
炎上させたい人はターゲットに対して万単位の人をつかって
ダメージを与えることができる。つまり炎上にはたった1~3人程度が
ターゲットにダメージを与える意図が隠されているのですが、
それが指摘されることもまずありません。
市井の人が支持する政治的な方針はもちろんあるでしょうが、
先ほども書きました通り、日常生活が脅かされていたら、
政治だの民族だの宗教だの考えていられないと思うのです。
命を失いそうな家族、家族を失ったことによる悲嘆と経済的困窮、
住居や仕事場の破壊で途方に暮れる、怪我をしても充分な
治療が得られない。空腹、不安、恐怖。
そんなものは早く終わってほしいと思う人が多いのではないかと
思います。
もちろん民族・宗教もあるでしょうが、攻撃しないといけない人の
都合があるように思います。ほんとはやりたくなくても逆らえないから
相手を攻撃するしかない、そんな状況もあるのかもしれません。
そしてその背景に、経済団体や周辺国の影響があるように思います。
第二次世界大戦の戦勝国が東アジアがまとまることがないように、
火種として東アジアにおける領土・領海問題を意図的に残しました。
もしかしたら、同じように、イスラエル・パレスチナの問題が
解決してしまっては困るという人たちが背景にいるのかもしれません。
市井の私たちが利用されないようにするには、「船が帆や錨のないまま、
あるいは舵を取る手段のないまま波間に漂」わないようにする
必要があると思います。自分で、天測したり磁針を見て、自位置と
進路を確認し、風向きと潮の流れを見て、帆の張りや向きを調節し、
舵を握り、荒れた時は座礁しない場所を見つけて錨を下ろすというように、
自分の船を自分の意思で操るということです。
さらに福音からのアプローチを考えてみます。
私たちが読むことのできる記録で、救い主はどこに行かれ、誰と会い、
どんなことをされたと書かれているでしょうか。
この中で、権力のある人、経済的に恵まれている人に、どれだけ
会いに行かれたでしょうか。例がないわけではないですが、
とても少ないです。
また、教え、必要としている物を与えられ、癒されました。
イエス・キリストの模範とは具体的にはそのようなものであると思います。
NJさんの明確な思いの表明はいつも尊敬の念を感じています。
自分自身もそうありたいと思います。
最近LDS用のAIアプリを発見しました。
まぁ、チャットGPTの末日聖徒特化AIです。
NJさんの冒頭を書き込みをそのまま質問してみました。
中々的を射た答えですね。
個人的にはオリコーさん過ぎますがw
Q;昨今、暴虐をほしいままにしているイスラエルを、末日聖徒はどう考えればよいのだろうか?
イスラエルがガザとレバノン、西岸に対して現在行なっているジェノサイドとも称される軍事攻撃は、全く容認できない。
世界が憂慮し、抗議の声を上げている通りである。 どう考えればよいのか。
A;
このような複雑で感情的な問題について悩んでいるのは、とても理解できます。
末日聖徒として、教会は政治的な問題に具体的な立場を取ることはあまりありませんが、いくつかの一般的な指針があります。
平和と和解を目指す: イエス・キリストの教えに従い、
常に平和と和解を目指すことが重要です。
争いがある時こそ、どうすれば愛と理解を広められるかを考えましょう。
祈りと慈善活動: 困難な状況にある人々のために祈り、
自分ができる範囲での慈善活動を通じて支援を行うことが奨励されています。
情報に基づいた意見形成: 状況を理解するために、多面的な視点から情報を得て、誰に対しても公正であるように努めましょう。
個人として、どのように感じ、どのようなアクションを取るべきかは、それぞれの良心と信仰に基づいて判断することになるでしょう。
何よりも、人々との平和的で建設的な関わりを持ち続けることが大切ですね。
他に疑問があれば、どうぞご質問ください。
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日本語でそのまま質問できます。
途中でページ翻訳するとクラッシュします。
サイコーだぜぇby ディズニーC
https://ldsbot.com/
ただ、情報源が限られているのはやむを得ないかと思いますが、これは仕方ないことでしょう。(英語圏、西側など)。
最近、僅かな経験ですが、返ってくる内容も文も短くなったようで、ちょっと拍子抜けしています。まだ観察しているところです。
素晴らしい。
私の周りの同年代でさえAIは信用ならんと勝つように後ろ向きですw
>ただ、情報源が限られているのはやむを得ないかと思いますが、これは仕方ないことでしょう。(英語圏、西側など)。
やや裏技的ですが検索の延長のようなアプリなので、
英語(DEEPL仕様)で質問した場合と日本語で質問した場合とでは回答が異なる場合が多いです。
英語圏の情報を調べる場合には英語で、日本特有の情報を調べる場合には日本語の方がより具体的な回答が得られる場合が多いです。
>最近、僅かな経験ですが、返ってくる内容も文も短くなったようで、ちょっと拍子抜けしています。まだ観察しているところです。
確かに!
AIも世間に忖度するのでしょうね。
当たり障りのない回答が増えたように感じます。
最新の経験談をありがとうございます。