NJWindow(J)

モルモニズムの情報源、主要な主題を扱うサイト。目次を最新月1日に置きます。カテゴリー、本ブログ左下の検索も利用ください。

モルモン書に見られる原因譚!? - - レーマン人の黒い肌

2016-02-20 23:26:10 | モルモン教関連

[http://thefamily.com/tag/lamanites/より] 

最近モルモン書を読んでいてふと気づいた。第二ニーファイ5:21でレーマン人の肌がのろわれて黒ずんだ肌になったとあるのは、一種の原因譚ではないか。ほかに研究者でそのことを指摘している人がいないか調べてみたところ、マイケル・オースティン Michael   Austin が今年2月3日「同意を得て」(“By Common Consent,” D&C26:2)というブログで、レーマン人に下された呪いは原因譚であると書いていた。

原因譚(etiology)というのは、現在見られる事象を過去のある出来事から説明しようとする説話を言い、創世記に多く見られる。例えば、人々が話す言語の多様性をバベルの塔の物語が説明しようとしており、ベテル(神の家)など地名の起源を語る多くの個所もそうである。

モルモン書にもどれば、LDS教会は初め南北アメリカ大陸や太平洋の諸島に住む原住民全てをレーマン人の子孫としていたが、レーマン人の子孫が原住民の大部分を占めると表現するようになり、今では「レーマン人の子孫も原住民の一部」である、と控えめな言い方に変わっている。そのこともあって、教会はモルモン書が原因譚的であることを否定している。

ヤレドの民が新大陸に移民した話は、バベルの塔で四散した人類の一部がここにも来たのではないかという、原因譚の逆方向の物語であることは、2012/12/04 「モルモン書のイテル書を高等批評的に理解すれば」で取り上げた。

註 Austin 記事
https://bycommonconsent.com/2016/02/03/65607/

In 1830, - - -  In the first place, the notion of dark skin as a divine curse was deeply embedded in the culture, both by a long history of racism and by the biblical precedent of the Curse of Cain–which most white Protestants in the 19th century accepted as the origin of black skin. In this sense, we see biblical typology again playing a key role in the reception the Book of Mormon: for more than a century, the Curse of Laman was read (incorrectly) an antitype of the Curse of Cain (which was also read incorrectly), and these two etiological fables supported each other in the Church for far too many generations.

Michael Austin is a former English Professor who is now an academic administrator in the University of Evansville, Indiana. He writes occasionally on an incoherent (except to him) assortment of different topics, some of which have to do with Mormonism in American literature and culture. He is the author, most recently, of We Must Not Be Enemies: Restoring America’s Civic Tradition.         accessed and copied on May 20, 2021

A long-time contributor to the Mormon literary/critical scene, --  received the Association for Mormon Letters Award in Criticism in 1995... If we who are Mormon writers, critics, and publishers wish to speak to the Saints, we must speak to them through LDS metaphors. 



最新の画像もっと見る

22 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (教会員R)
2016-02-21 06:43:10
私もモルモン書の大半は「約束の地アメリカ大陸」を説明するために記述された聖書の創世記に相当する聖典ではないかという思いがしていました。 

そしてネイティブアメリカンの肌の色は、神の呪いを受けたレーマンの悪事に原因があるという説明をするための一種の神話(原因譚)ではないかとも。

しかし第三ニーファイの二章には、ニーファイの民と合流したレーマンの子孫の呪いは解かれて肌の色は白くなったと説明され、(合流しなかった方は悪人として直後に滅ぼされた)とあり、それならば、現在の原住民ほうが白で、過去のレーマン人はもっと黒かったはずということになる。

そうではなくて世間で揶揄されている認識が正しければ、現在のありさまが黒であることになり、それはジョセフスミスがイスラエルの子孫を白人だったと誤解していたという前提によって成り立つ仮説ですよね。

ジョセフスミスは学問はなかったにせよ、そのような変なミス(イスラエルの子孫を白人であると誤解)をするとは到底思われず、仮に誤解していれば周囲の友人は学があったのですぐにそれを教えて修正したと思うのです。

返信する
生ける予言者は「皮膚が白い」と明言しています (カンバーバッチのファン)
2016-02-21 06:58:42
このブログの過去記事(2008-09-18)のコメントより引用させていただきます。


第2ニーファイ30章6節について、十二使徒(後の大管長)のスペンサー・W・キンボールは1960年の総大会で以下のように述べています。

 ----------------------------------------------
 「レーマン人の時代は近い。何年もの間、レーマン
 人は喜ばしい成長を遂げ、今や約束されたように、
 『皮 膚の色が白くて喜ばしい民』になりつつある。
  ・・・20名のレーマン人宣教師の写真を見ると、
 その中の15名は非ラテン系の白人のように皮膚が白く、
 残りの5名は褐色であるが同じく喜ばしい民である。
 ユタの里親プログラムに参加している子供たちは、
 インディアン指定居住地のホーガン(土と木の枝で
 作り、泥や芝でおおったインディアンの住居)に住む
 自分の兄弟や姉妹たちよりも、白い皮膚をしている
 ことがよくある。
  ・・・ユタの町のある医者はインディアンの少年を
 2年間自宅に預かったが、その少年は居住地から里子
 として来たばかりの弟よりもいくらか白くなっていた
 とのことである。これらの若い教会員は、『皮膚の
 色が白くて喜ばしい民』へと変わりつつある」
 ----------------------------------------------
 宗教コース121-122 モルモン経 生徒用資料
 教会教育部編 p.112 より引用
 (1987年2月16日発行)

ということで、回復されたまことのキリスト教会を導き、生ける神から啓示を受ける予言者が公式な集会の説教でここまで言ったのですから、その忠実な会員は、「清い」ではなく「皮膚が白い」ことを受け入れなければなりませんね。

私は不忠実なので予言者の言葉なんて受け入れませんが(笑)
返信する
不適切表現はノー (教会員R)
2016-02-21 20:35:34
たとえ預言者の発言であれ失言であれ全く支持しません。 

いちいち絡んできてポイントをずらして茶化すのはうんざりですので、いいかげんやめてください。
返信する
忌まわしき花嫁、見てきました (カンバーバッチのファン)
2016-02-21 21:51:01
Rさん、あなたに絡んでいるのでありませんよ。
自意識過剰なのでは?
返信する
黄色いのが ()
2016-02-22 09:34:29
それにしても、NJさん!ここんとこ、モルモンにとってはきわどいネタを連発ですね(笑)

次は、イザヤ書問題でも?(笑)

黄色いのが、白だ黒だと言ってるのもおかしいんですが、モルモンの思想に、「肌の色による人間の優劣判断」が有ったことは隠しようのない事実でしょう。

毎度同じことばかり言って、恐縮ですが、問題なのは、過去にそのような思想が有った事では無く、現在も、その様な思想が有ったことに対して、「確認し、間違いを自ら正し、謝罪をする」と言う絶対に必要な作業をしていない事が問題なのです。

過去の過ちを正当化することに労力を費やしてばかりいるのはまことによろしくない。

過ちを改めるのにはばかることは無い。
返信する
これは神の御言葉である。あなたがたは彼らの肌が黒ずんでいるからといって、彼らを二度とののしってはならない。 (オムナイ)
2016-02-22 10:17:42
「主は,黒人も白人も,束縛された者も自由な者も,男も女も,主のもとに来る者を決して拒まれない。……すべての人が神にとって等しい存在〔だから〕である。」(2ニーファイ26:33)

モルモン書を丹念に読むとむしろ人種差別撤廃の思想を読み取ることができます。

そちらの方向に原因譚を見ることが出来ればなお一層モルモニズムに誇りを持てる聖徒が増えるのかもしれません。

黒人に神権を与えていなかった一方で共に集会に参画していた稀有な教会であったことも忘れてはならないでしょう。
返信する
バベル。言葉の乱れた本当の原因 (オムナイ)
2016-02-22 10:52:10
世界中に様々な言語があり、原因譚よろしく「神が言葉を乱した」とは説得力あり、私自身も受け入れている部分も多いのですが、創世記のそれはもっと深い教訓を教えているようです。


創世記11:5,6
時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て・・・彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。

なぜ神でさえも「とどめ得ない」のか?その原因は前段のノアが酔って寝てしまった物語にあるとのこと。

9:24やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、 9:25彼は言った、「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」。

10:8このニムロデは世の権力者となった最初の人である。

ニムロデはハムの子孫でカナンはその子です。
つまり、アダムから受けいだノアの神権の衣をハムとカナンが盗みニムロデが正統な神権者として偽って人民に命令を出していた。

盗んだとはいえ本物の神権の衣をまとっていた命令は神様でさえ、「もはや何事もとどめ得ない」説得力を持っていた。
そこで逆転の発想で言語を通じなくすることで防御した。というメッセージのようです。

神の権威をまとって語る権力者にはよくよく注意する必要がある。との教訓を学んで欲しいのでしょうか。
返信する
高等批判が許されるのなら (教会員R)
2016-02-22 12:05:41
バベルの物語は創世記の建前上、ノアの一家からすべての人類がはじまっているにもかかわらず、言語の多様性を説明するための原因譚といえるのでしょう。

ノアが飲酒して孫のカナンが呪われ、ニムロデが事を始めたというのも、物語のフラグであると説明できます。

またヨシュアが神の命令でカナンを攻め滅ぼして構わなかった、その理由もノアが飲酒して孫のカナンが呪われたからという原因譚で説明がつくのです。

返信する
ちょっとなぁ・・・ (ジョン・ドゥ)
2016-02-22 12:16:13
どうもモルモン教会での黒人差別「なかった」派が跋扈してますねー。アメリカ南部では農園主が日曜日に黒人奴隷を集めて、聖書を読んで聞かせるのは普通にあったようですが。そもそも彼らに最初にキリスト教を伝えたのは誰か、と言う点を考察してみれば、モルモンの礼拝では白人も黒人も一緒であったと彼らが主張しても、その空虚さのみがより鮮明に際立つ気がします。

モルモン聖書を用いて、黒人の人権を擁護すること自体は悪いことではありません。しかし訴えかける相手が違いますね。モルモン聖典にこうあるからわれわれは黒人差別していないんだと誇ったり、教会擁護のネタにしているのではそこで終わりです。

その理念を持って教会自体を改革していかないと。モルモン教会内の制度上では今日黒人差別はなくなったと言えるでしょうね。でも性的マイノリティはどうですか?教会の方針は已む無しだなとか言ってるんじゃなくて、末日聖典の理念でもって教会を改革しなきゃ。

あなたたちがやらずに誰がやるの?って思うわけです。
返信する
そこで終われば洗脳されてしまいます。 (教会員R)
2016-02-22 14:09:26
モルモンの礼拝では白人も黒人も一緒であったことは現代でも評価できることです。

せっかく評価できるものを理屈をつけて矮小化していって、これも汚点、あれも汚点と強調して申し訳ない気持ちにさせて、相手を萎縮させるのが洗脳の第一段階です。

評価できる事実があれば等身大で評価したら良いのであって、レッテル張りの偏見や嫌がらせには反論や擁護も必要です。
返信する

コメントを投稿