[詩篇121:8 「あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。」新共同訳]
先日、列王3:7の「出入りすることを知りません」という所を読んで、はてこの意味は?と思った。案の上、フェイスブック上で取り上げられた。これは今日、人が暴力団の事務所に出入りすることを意味することがあり、聖書の訳としては不適切とみなされても仕方がない。事実、「新共同訳」(1987年)では「どのようにふるまうべきかを知りません」となっていてわかりやすい。(NIV では do not know how to carry out my duties とさらに意訳している。)
欽定訳では I know not how to go out or come in となっていて、口語訳と極めて近い訳である。(「改訂標準訳 RSV」 も I do not know と始まっていて同じと見てよい)。それで原語のヘブライ語聖書もそうなっているのではないかと思って確かめてみた。やはり同じで4語לֹ֥א אֵדַ֖ע צֵ֥את וָבֹֽא׃(Not/ I know/ go out/ and come in ヘブライ語は右から読む)となっていた。欽定訳も口語訳も間違っておらず、むしろ直訳的で忠実な訳である。
この箇所の口語訳を見て、暫く時間が経過すると次の翻訳が求められる理由を確認できた。人の用いる言葉が変化していることが大きい。1955年当時、「出入りする」に上記のような特殊な意味は強くなかったのではないか。(新しい訳が出るのは、他の理由として本文が新しい写本発見などで更新されていくこと、聖書・神学関連の研究が進むこと[誤訳があればそれが判明する]、読者の側のニーズ[一般向け、意訳、直訳、礼拝用etc.]が変化すること、などがある。)
[注] 民数 27:17、サム上18:13, 16 に同じ表現があり、手塚儀一郎(旧約聖書略解[1957, 79年]の列王記担当)は列王上3:7と合わせて「人民の先に立って指導すること」、と注釈している。
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