マッタティアス、神を汚す男を殺す 2:15-25
10年ぶりに聖書外典「第一マカベア書」について、自分が通う教会で話す機会を得た。LDS教会北大阪ステーク、高槻ワードの日曜学校で30分パワーポイントを使って概説した。これまで5回同様の機会があったが、すっかり内容の詳細を忘れていてよい復習となった。しかし、驚いたことは同じLDS教会で過去何度も取り上げてきたことがあるのに、今回外典を取り上げることに疑問の声が間接的にではあるが複数聞こえてきたことであった。意外であり残念であった。
日曜学校の読書課程が旧約から新約に移るときに必ずといっていいほど、チャーチニューズやエンサイン誌で取り上げられ、BYUの宗教クラスで講じられていることを紹介しても、歴史書として旧約と新約間の長い間隙を埋める貴重な資料であることを説いても、あまり説得力を持たないようだ。アメリカにも保守的な会員はいるものの、彼我の情報・意識のギャップを改めて知らされた。
今回準備していて新たに気付いたことがあった。それは、この時代のヘレニズム化が宗教的弾圧の形を取り、その圧政ぶりは当然否定的に受けとめられる。ところが、新約ではキリスト教が普遍的宗教に脱皮していく上で同じヘレニズム文化が肯定的役割を果たしていると思われることの対照である。(極めて初歩的な疑問であるが、学ぶことに際限がないことを改めて知った。)
なお、今回、現代イスラエルの状況と比較して、遠い過去マカベア革命の面影が現イスラエルにもみられるのではないか、という私見を述べた。(共通して見られる傾向や特徴)。
1 国家としての強烈な独立願望(実現済み)
2 国家としての生き残り・存続への切実な感情と執心。(時に危機感)。
3 安全保障・国防の高い意識(攻撃は最大の防禦 現代では最先端の技術を利用)
4 外交の最大利用(その時代の超大国ローマ / アメリカを味方に)
5 先制攻撃、意表をつくゲリラ的、電撃作戦も辞さない
6 好戦的印象 [筆者にはどこかにマカベア時代の伝統が垣間見える]
[付記] 過去の発表歴
1 1979 西宮 独身成人プログラム
2 1983 山口県徳山ワード 独身成人 読書会 (中国、毎日、読売各紙にお知らせ掲載)
3 1985 広島ステーク インステチュート 講演会
4 1993 福岡伝道部 教育セミナー 於 熊本
5 2002 広島ステーク 光ワード 日曜学校 福音の教義クラス
10年ぶりに聖書外典「第一マカベア書」について、自分が通う教会で話す機会を得た。LDS教会北大阪ステーク、高槻ワードの日曜学校で30分パワーポイントを使って概説した。これまで5回同様の機会があったが、すっかり内容の詳細を忘れていてよい復習となった。しかし、驚いたことは同じLDS教会で過去何度も取り上げてきたことがあるのに、今回外典を取り上げることに疑問の声が間接的にではあるが複数聞こえてきたことであった。意外であり残念であった。
日曜学校の読書課程が旧約から新約に移るときに必ずといっていいほど、チャーチニューズやエンサイン誌で取り上げられ、BYUの宗教クラスで講じられていることを紹介しても、歴史書として旧約と新約間の長い間隙を埋める貴重な資料であることを説いても、あまり説得力を持たないようだ。アメリカにも保守的な会員はいるものの、彼我の情報・意識のギャップを改めて知らされた。
今回準備していて新たに気付いたことがあった。それは、この時代のヘレニズム化が宗教的弾圧の形を取り、その圧政ぶりは当然否定的に受けとめられる。ところが、新約ではキリスト教が普遍的宗教に脱皮していく上で同じヘレニズム文化が肯定的役割を果たしていると思われることの対照である。(極めて初歩的な疑問であるが、学ぶことに際限がないことを改めて知った。)
なお、今回、現代イスラエルの状況と比較して、遠い過去マカベア革命の面影が現イスラエルにもみられるのではないか、という私見を述べた。(共通して見られる傾向や特徴)。
1 国家としての強烈な独立願望(実現済み)
2 国家としての生き残り・存続への切実な感情と執心。(時に危機感)。
3 安全保障・国防の高い意識(攻撃は最大の防禦 現代では最先端の技術を利用)
4 外交の最大利用(その時代の超大国ローマ / アメリカを味方に)
5 先制攻撃、意表をつくゲリラ的、電撃作戦も辞さない
6 好戦的印象 [筆者にはどこかにマカベア時代の伝統が垣間見える]
[付記] 過去の発表歴
1 1979 西宮 独身成人プログラム
2 1983 山口県徳山ワード 独身成人 読書会 (中国、毎日、読売各紙にお知らせ掲載)
3 1985 広島ステーク インステチュート 講演会
4 1993 福岡伝道部 教育セミナー 於 熊本
5 2002 広島ステーク 光ワード 日曜学校 福音の教義クラス
聖書外典に就き,主誠に汝らに言う。すなわち,この書の中には真実なること多く載せられてあり,而して,そは大概正しく翻訳せられたり。
されど,その中には真実ならぬことも多く載せられてあり,而してそは人の手によりて書き入れられたるものなり。
われ誠に汝らに告ぐ,聖書外典は翻訳する必要なし。
故に,これを読む者自ら覚るべし。そは,「みたま」は真理を明らかにすればなり。
およそ,「みたま」によりて啓発さるる者はそれより益を得べし。
「みたま」によりて受けざる者は益を受くることを得ず。故にこれを翻訳する必要なし。アーメン。
一つは、「外典は有益である」
もう一つは、「外典には真実でない事も多く載せられている。」
この二つの相反する事を主張しているが、それでは、どの部分が正しくて、どの部分が間違っているのか?と言う事に関しては、教会としての姿勢を示さず、「それぞれのみたまにより・・・」と言う事で、個人の判断に任せている。
それで会員は、「どっちなのかが分からない」
それだけの事です。
専門家でなければ全部読む必要はなく、読みたいものを味わえばよく、それで視野が広がります。日本のldsが情報や知識の面で自ら制約を課しているのは、自立していない姿にうつります。
教会員が「自ら制約を課している」と言うのは、違うんじゃないですか?
教会本部あるいは、教会指導者が、教会が発行する以外のものを見ない様に示唆しているのではないですか?
一時期インターネットに接続し無い様に、と言うお達しがあったのをお忘れでしょうか?
教会に都合の悪い情報には近づかせたくないと言う教会本部の姿勢は今も変わって無いと思います。