自分が聖餐会で話すことは稀であり、ましてや葬儀の時に説教をすることはあり得ないが、日本の社会が、特に末日聖徒の会衆が目に見えて高齢化している現在、自分の心構えのため、聖句と考え方を挙げて心の準備としたい。
4年前日本のあるキリスト教月刊誌に「聖書と老い」という特集が組まれていた。そこに注目した言葉があった。それは直接聖句を引用したものではなかったが、私もそうありたいと思い、そうかもしれないと感じたことであった。アメリカの「老年学」教授ヘレン・M・ルークの表現を紹介して、「老いることは成長すること」であり得る、健康、経済、社会的生命が失われても、心がけ次第で精神面での成長は死の瞬間まで続けられるという。言葉を変えて言えば、「老いの過程(プロセス)は発見の旅であり、完成と均整(円満)に向かって生きるという目標を持つこと」であるという。最後の磨きをかけるのである。
そして霊性のうちに年を重ね、人格が完成されていく人々の例が紹介されている。
(もちろん、単に年を重ねるにまかせるという、受動的な生き方もある。幼時に退行し、気難しく頑なになる場合があることは周知の所である。)
以下、老いと死に関連する聖句を少し挙げてみたい。
1 「わたしにあって死ぬ者は死を味わわないであろう。死は彼らにとって甘いからである。」教義と聖約42:46
2 「彼らはキリストと復活についての望みと思いがあったので、死を少しも恐ろしいと思わなかった。彼らにとっては、死はすでにそれに打ち勝つキリストの勝利にのまれてしまったのである。」アルマ27:28 (彼ら=アンタイ・ニーファイ・リーハイの民、or アンモンの民)
3 「現世は人が神に会う用意をする時期である。現世の生涯は人が各々働きを遂行する時期である。」アルマ34:32 以上、末日聖典から。主に死に関する聖句。
4 「わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。
わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。」詩篇71:9
5 「わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、
持ち運び、かつ救う。」イザヤ46:4
6 「わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされてく。」IIコリ4:16
7 「モーセは死んだ時、・・目はかすまず、気力は衰えていなかった。」申命34:7
その他の聖句:モーサヤ15:8、16:7、17:20、アルマ7:12、詩篇23篇、黙示21:4、Iテサ4:14、ヨハネ11:26、Iコリ15:51-57、ロマ6:23、マタ10:28
典拠 ・「福音と世界」(特集:聖書と老い)2016年9月号 /
参考 ・「『現代宗教2014』、特集『老いに向きあう宗教』」・・学術的、専門的論文集。
・当ブログ 2016.12.02 老人の祈りと神の言葉
・当ブログ 2019.04.11 法句経について知る ニ六一
「もうこんな歳だから…」などと言うのはやめて、何かを始めてみましょう。・・・
この状況の中、多くの人がそれぞれ自分の生き方について考え始めています。いいことだと思います。
このチャンスを活かし、本当の自分の「心の声」を聞いてみましょう。そして…どうするか?タイミングは重要です。
」https://ameblo.jp/neptune1203/entry-12613314171.html
ジョセフ・スミスいわく「もし来世を見ることができたら、誰もが今すぐ自殺したくなるでしょう」
なぬー!記憶がない。。。
老い、老い。
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%A7%E3%81%99&ei=UTF-8
調べたら、ウッドラフ管長によるジョセフからの教えということで、ある人の日記に・・・
「The Prophet Joseph Smith taught that “the Lord in his wisdom had implanted the fear of death in every person that [we] might cling to life and thus accomplish the designs of [our] creator” (quoted by Wilford Woodruff in Diary of Charles Lowell Walker, ed. A. Karl Larson and Katherine Miles Larson [Logan: Utah State University Press, 1980], 1:465–66).
」
「According to Charles Lowell Walker, Wilford Woodruff "refered to a saying of Joseph Smith, which he heard him utter (like this) That if the People knew what was behind the vail, they would try by every means to commit suicide that they might get there, but the Lord in his wisdom had implanted the fear of death in every person that they might cling to life and thus accomplish the designs of their creator." -- From Richard Neitzel Holzapfel, "Eternity Sketch'd in a Vision," The Heavens Are Open (1992 Sperry Sympsoium, Deseret Book, 1993), p. 155.]
」https://emp.byui.edu/SATTERFIELDB/Quotes/Telestial.htm
「While most contemporary Christian groups neglect afterlife beliefs, what happens to people after they die is crucial to LDS teachings and rituals. Heavenly theology is the result not of mere speculation, but of revelation given to past and present church leaders. . . .
There has been . . . no alteration of the LDS understanding of the afterlife since its articulation by Joseph Smith. If anything, the Latter-day Saints in the twentieth century have become even bolder in their assertion of the importance of their heavenly theology. . . . In the light of what they perceive as a Christian world which has given up belief in heaven, many Latter-day Saints feel even more of a responsibility to define the meaning of death and eternal life” (Heaven: A History, New Haven: Yale University Press, 1988, 312–13).
」https://www.ldsliving.com/Life-After-Death-6-Insights-into-the-Spirit-World/s/77329
「認知症の女性にお化粧をすると、皆さん元気になり、認知機能も改善されるのは、正にこのお話の具現化かと思いました。
性は生。活力なんですね。私は80歳のご老人に性的魅力を感じたことがありますよ。確かに、年代ごとにセクシーさはあります」
「認知症に「性欲ギャップ」…高齢者の性を巡る深刻すぎる問題 田原総一朗×宋美玄
」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55607
老人の性
https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=%E8%80%81%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%80%A7
ただ見た目が気持ち悪いと言うだけで追い回されて殺されるゴキブリ君に限らず、何の意味もなく生命の終わりを迎える生物は数かぎりが無い。
意味が無いと言えば、生きてること自体何の意味もないのかもしれない。
しかし、不幸な事に人間と言う生物は、その進化の過程で意味なく生きられなくなってしまった。
そこで仕方なく無理やり生きていることに意味を待たせる職業の集団が現れた、それが宗教者。
本来何の意味も無いものに、無理やり意味を持たせるのだから、その活動や内容たるもの実にいい加減なものである。
人間の人生は百人百様、他者と同じ人生を歩む人は一人も居ない、なのに、人は他者と同一でないことを嘆く。
仕方ないので宗教は、つじつま合わせに「死後の世界」をでっち上げた。
人生の中で「どうも自分は損をしてる」と言う部分について「次の世で報われる」と言うつじつま合わせをする。
「貴方はこの世でよい事をしたので、死後の世界では天国に行ける。」と言う何の保証も無い都合の良い話を持ち出す。
ま、それだけならまだいいのだが、その「良い事」の内容として、「宗教に帰依する」を付け足す。
典型的なのは、たっぷり献金すれば死後に良いことが有る。と言う話だ。
もちろん、それを素直に信じることが出来る人は、それで心の安らぎを得るのだから問題はない。
ただ、下手な宗教はその安らぎすら奪って、不安に追い立てることによって金をとろうとする。最悪。
青少年の頃ならともかく、人生も終焉を向けようとする年代で、長き人生の中に色々な経験をしてきた人は、そんな透けて見える様な薄っぺらな安らぎは、一瞬の慰めにもならない。
さて、人生の終わり近くに「新型コロナウイルス」って言う厄介なものが出てきて、それこそ理不尽に人生の最後が狂ってしまうと言うのは、理不尽にもほどがある。
ある介護施設で、自分の死期についてアンケートを取ったら、80%ぐらいの人が、「もう充分生きたのでいつ死んでもいい」と答えていたそうだ。
ところが、今回のコロナ騒ぎが起きて、「コロナに感染して死ぬのはどうか?」と聞いたら、半分以上が「コロナでは死にたくない」って答えたとか。
人間死ぬのに何で死ぬかなんて問題じゃない、とは言えないようだ。
老後すこしでも楽しく生きようと、若いころからコツコツと貯金して、さて海外旅行にでも・・・と思ったら、コロナで何処へも行けない、海外どころか国内も移動自粛要請。
夜の街、パチンコはおろか、趣味の会や音楽演芸の楽しみもなくなった。
ただ巣ごもりして命を長らえるだけの人生の終焉は何と理不尽な事か・・・。
神の奇跡を唱える某宗教も、「コロナに勝てる神は居ない」と集会を短縮し、ラインだリモートだと人間のはかない英知に頼る体たらく、何と嘆かわしいものだ。
むむ。小説「豚失格」を読んでいるような錯覚に陥りました。
師匠もいよいよ文壇デビュー。
スエーデンでは日々の生活からコロナが抜け落ちているのだとか。
コメント。
人口1000万人のスウェーデンで5697人が亡くなっているというのに過去の話になりつつある。羨ましいです。
人口1億2千万人の日本では死者が1000人の手前ですが、まだ騒いでいます。
日本ではテレビによる経済テロが進行中だということです。
その日本は高齢化率が世界一(26.7%)で、スウェーデンは3位(19.9%)です。2位はイタリアで22.4%。(2019年8月)
日本は2位以下を引き離すことになるでしょう。
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この動画の中に感染者のグラフがありますが、マスクをしないスエーデンでも同じ様なグラフのカーブ。
やはりねぇ。マスクの効果は限定的の様ですね。
豚師匠も集団ヒステリーから目を覚まして弟子オムナイの様に人生を謳歌されます様に。
しかし、まぁ。集団免疫を獲得するには絶好のこの時期。
なにを騒いでいるんでしょうか。。
相変わらずノーマスクのオムナイです。
私、失格しないので!
麻生副総理によるとコロナ感染者数は民度によるのだとか
東京都民の民度が低い元凶が明確になりましたねw