[umikawaさん作 (美しく描かれた)「もののあわれ」]
近頃、時折り想うこと
想うに人の世は万事空しいのではないか。
永続するものはなく、いずれは消え去り
忘れ去られていく。経歴、業績、名前さえも。
人の存在も為すことも所詮暫時の姿、
現役の懸命の仕事も高齢者の軽い草いじりも。
それでも、人の世は凡て限られた時間維持されることで成り立っている。
だからこそ人は所与の束の間を活かすよう努める。
この世という舞台にいる間、
いかに小さく、凡庸であろうと、責務を果たし影響力や足跡を残そうと励む。
[作者の弁]
最近、聖書の「伝道の書」や日本の古典の言う「空虚」「もののあわれ」ではないが、空しさを感じることは自然ではないかと思っている。中ほどで草いじりに触れたのは、近くの公園で雑草を取ることを日課にしているが、すぐ猛烈に生い茂る草に対して一時的な効果しか果たせない。それでも少しでも見栄え良くすることに甲斐を感じているので敢えて入れた。その次の行がこの度気付いたことである。結局人生や社会のある場面の当事者や担当者は一時的でしかないが、その働きで支えられている、という側面である。最後はldsが言う「救いの計画」に触発された考えである。この10行前後の文は来世について触れていない高齢信仰者の亜流もののあわれである。(汗)
しかし、その反面老後はとても寂しい物でした
母が一老人として生きることを拒んだからで
[いかに小さく、凡庸であろうと、責務を果たし影響力や足跡を残そうと励む]
私も死ぬまで頑張って、娘や孫たち・・私を愛してくれる人たちに
好い思い出を残して来世に向かいたいと願っています
中国での経験談をいつかまたお聞きしたいです。
自分と言う存在も、宇宙の中の物質に過ぎない。と考えるか?
どちらも空しさに変わりは無い。
そこで、人間が発明したのが「神」である。
神は、人を創造し、命を与え、生きる目的を与えた。
人の生きる目的は、「幸福になる事」幸福になるとは、死後に再び生命を得て復活し、神と共に生きる事。
「信仰」とは、「思い込み」自分の人生を空しいものでは無いと思い込む事が信仰の目的。
もし一つの宗教が有って、その宗教が、一人の信仰者を半世紀かけて、「思い込ませる」事が出来なかったのなら、それは、社会に害を及ぼす宗教だ。
と言うような、話こそが「空」なのだろう。
わたしの知っている、多くの「おばちゃん」達は、「空」なんて事を考えない。考えるとしたら「食う」だ。
彼らは、「食う」の貪欲であり「楽」に素直だ。
何処からとも無く、次から次へと、話題を見つけてきて、話に興じ、楽しみを見つけてきて、友とそこに向かう。
爺はそれが苦手だ。
自分の中に「空」を作り、その「空」をどんどん大きくしてしまう。
生きてる事に意味が無い事なんて、誰でも知ってる。
無理に意味を持たせる必要はない。生きてる事を楽しめばいいだけだ。
パウロとテモテがテサロニケの人に書いた手紙に、こう書いて有る。
「いつも善を追い求めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられる事です。」テサロニケ1 5:15-18
暇だったら、落語でも聞きに行く事ですね。草むしりよりも、少しは楽しいかも?
If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. Raymond Chandler
タフでなければ生きていけない。
優しくなければ生きている資格がない。
要不硬棒不能活,要不温和没有資格活。
(如果不堅強不能過活,如果不温和没有資格生活。)
「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない(価値がない)」
レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』
私立探偵フィリップ・マーロウのセリフ
いくつかの訳のうち、生島治郎氏の訳らしいですが。
同じ、治郎さんですけど・・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%82%A6
暇つぶしには映画も良いですよ。高齢者は安く見れますし。
どういう意見を持っても良いと思うのです。ただしてはならないのは、人に対する非難や批判すぎです。それは、教会内外かかわらず。
私は、ヒンクレー大管長の就任した時の言葉が好きです。“視野を広め…”この前後にある言葉です。
人は、完全、完璧ではありませんが、将来に目を向けて前進するのみだけです。
私は、主流、亜流、支流でもない教会員です。自分を言うなら、雫一滴流ですかね。
日本の教会が発展するには、もっと風通しも必要なことでしょうか。
さて、豚様へ
お暇でしたら、四国八十八ヵ寺霊場歩き遍路でも一緒にしましょうか。 (^-^)
昔、四国お遍路を歩いた若い教会員がいましたから。
仏教では、「そもそも苦しみなんて存在しない、いや、苦しみどころか、私たちが目で見ている物質自体が実体の無いものだ。」と悟る。
わたしは、「色即是空」と言う考えは、慈悲とか慈愛とかには関わりが無いと思います。
お遍路はしんどそうなので、お断りします。
讃岐うどんに鳴門金時、伊予柑に、タルト、鰹のたたきも良いですね。八十八箇所食べ歩きなら行っても良いですよ。ご招待と言う事でお願いします。