
研究会第二部は福音や聖典などに関する分野で、まず天野昭(あきら)兄弟から仙台ゆかりの先達三人について聞いた。佐藤龍猪、渡部正雄、阿部順夫の三方である。佐藤、渡部両氏は伝説の人のように感じられる方たちである。佐藤龍猪は仙台出身ではないが、東北帝国大学を出、同大助手、宮城師範学校教諭をへて、後に連合国総司令部(GHQ)で翻訳者になっている。その頃、名古屋鳴海で末日聖徒の軍人と接して教会に加入したのであった。この頃よりB.K.パッカー長老と親交を持つに至っている。彼はモルモン経昭和版、教義と聖約文語訳を翻訳したことで知られる。彼は日本の末日聖徒の中で研究者・学者としての先駆者であった。
次に渡部(わたべ)正雄(南満州奉天生まれ)は戦後仙台に住み、そこで戦後の苦悩、葛藤、模索の末、末日聖徒となった。外務省の職を辞した事情は、過去と決別し信仰に邁進するためであったと推測される以外、詳細は伝わっていない。彼は米軍施設内で教会のチラシを配っていて、誰の許可を得てしているのか聞かれ、神の許可を得てしている、と答えたと伝えられる。また、いつも電車に乗ると隣の乗客にチラシを渡したことでも有名であった。教会で説教する時、大きな声で熱弁をふるったこと、英、中、露語で聖典を読んでいたことなど、まさに伝説的な人物であった。ただ、戦後の貧しい時代とその後、奥様が経済的に家族を支えるため苦労されたことも伝わっている。
仙台について話す時、阿部順夫兄弟は欠かすことのできない長老のひとりである。生前、高校の教職にあり、全国的に演劇指導に力を尽くされた。教会でもワードやステークで要職に就かれたが、彼は他の指導者と一味違っていたという。原則に注目し広い視野から考える人だった。例えば、出席すべき人が会議に姿を見せなくても、つい咎めがちな指導者を穏やかになだめたという。また、後述の渡辺春美姉妹の絵本出版や小生(沼野)のモルモンフォーラム誌にも理解を示し、頒布・拡販のために協力を惜しまれなかった。阿部兄弟の場合も彼を知る人々によれば、奥様の影の支えがあって自由に活動できたという。
続いて、絵本を7冊翻訳・出版してきた渡辺春美姉妹から、出版活動について振り返ってもらった。始まりは集会中子供の相手をしていて、アンパンマンは喜んで聞いてくれるがキャッキャッ声を出して笑うので、これではいけない、霊的な、信仰を培う絵本が良い、と気付いたことにある。しかし、良い本を知り合いの母親に紹介しても、英語を見て話してくれる母親に子供が満足しないので、やはり翻訳が必要と気付いたのであった。デゼレト出版と交渉するに当たって、ボランティア精神のこちらと利益追求の米側はずれが生じることがあって苦労した、今まで赤字続きで今後についてどうすべきか逡巡していると言われた。日本のLDS教会にあって、少年少女の宗教教育に貢献してこられた渡辺姉妹の労をねぎらいたい。(渡辺春美姉妹は明るく積極的、熱心で、話好きな人であることが分かった)。
最後に金沢の徳沢愛子姉妹の文芸活動について、沼野が送られた資料を代読・紹介した。五人の男児を育て、家事に終始して「超多忙の中でも詩を書くひと時は、短時間であっても、大いに私を癒してくれた」と書かれたように、詩作から文芸活動を始められた。後に詩集を刊行し、県の詩人会、全国組織の会員に名を連ね、重症心身障害児にボランティア教師を27年、心の相談員を25年務めるなど、教会(早朝セミナリーを延べ9年間担当)の外でも広く活動してこられた。この研究会で詩を一篇紹介させていただいた。
肉 体 徳沢愛子
この世に在る間
人は手袋をしている

毛糸
牛皮
綿
アクリル
絹
純真な白
張り切る赤
ひとりぼっちの青
無口な黒
とりどりの手袋を
それぞれの「時」にはずされ
人は一服する
くたびれて
もう動かない手袋を
蒼々と見下ろしながら (蒼々と=そうそうと=年老いて )
悔いが手袋に暖められていた
あの永遠のようであった日々
もっと 耕すことを
もっと 頁をめくることを
もっと 手を差しのべることを
しておけばよかった
(お断り、最後の段落、紹介者が一部編集 )
(モルモンフォーラム誌 15号 [1995年秋季] )
この度の研究会、人数は発表者(語り手)と同数の4人という座談会に変じたけれども、内容は濃く、素晴らしい出会いに恵まれて、幸いであった。
[付]徳沢愛子プロフィール
徳沢 愛子 (とくざわ あいこ) 1939年 –
金沢在住、詩人。金沢大学教育学部卒、22歳で結婚、男の子5人の母。1974年、夫の宗教LDS教会に改宗。5人の息子のうち3人が伝道に出た。東京神殿宣教師1.5年、福岡神殿長夫人3年。重症心身障害児にボランティアの国語教師を27年務めた。
子育て、家事で超多忙であった頃も「詩を書くひと時は、短時間であっても大いに私を癒してくれた」と語る。個人詩誌を発行し、石川詩人会、日本ペンクラブ、詩と詩論「笛」、日本現代詩人会などに名を連ね、詩集9冊、エッセイ集2冊を出している。「読者の心をわしづかみにする一行があれば、それは力となって迫ってくる」、「詩は神に触れる一つの手段。神のいます方角からかすかに流れてくる真善美の気配、息吹き、愛のメッセージを詩人は鋭く嗅ぎ取らなければならない」(宗派を超えた汎神論的宗教観[鈴木比佐雄])という。最新の著「加賀友禅流し」(2010, 2015年)が金沢の教科書副読本に収録されている。
http://www.mori-treehouse.com/prayer/ トリーハウス
でもそういう個人の努力のニュースは教会では大概おおっぴらにならないのが残念ですね。 教会の掲示板はいっぱいスペースがあるのに。
許されている範囲内で教会の内部に、教会を作る必要を感じたりします。
自分の身を元気のない者に食べさせてあげて、新しい体をもらって何回でも蘇るというアンパンマン作品の発想はあれはあれで、視点を変えたらキリスト的と言われ、あちこちのキリスト教会で注目されていて宗教的なんですけどね。
やなせたかしさんは漫画だけではなくて作詞家でもあって、アンパンマンのテーマ曲は漫画用にしては「なんのためにうまれて なにをしていきるのかこたえられないなんて いやだ」という宗教的なメッセージを感じたりします。
トリーハウスさんの絵本も何冊か購入しました、7冊にもなったのですね。
>今まで赤字続きで今後についてどうすべきか逡巡していると言われた。
そうでしょうね。NJさんの活動もそうですが金銭面のサポートを募ることも考える必要があるのかもしれません。
こんなところもありますが、宗教系だと難しいのかも。
豚社長とか得意そうですね。
http://japangiving.jp/
マナー違反でしょって抗議すると、親切で転送してあげたのに何を怒ってるの?と言う反応だったなぁ。やっぱりモルモン会員は常識が無いと言うか、どこかオツムのネジが飛んでるね。
それからLDS Livingやらモルモン会員向けのグッズ販売ビジネス会社からダイレクト・メールもよく来るんだよね、私、登録してないのに。これもモルモン会員のメアドを知らせた人物がいるわけで・・・まぁ誰がやったかだいたい検討は付くわけですが。
困ったことに連中に悪いことをしたと言う意識が丸っきり無いのね。むしろ良いことしたと思ってる。
偽善に満ちた売名行為をボランティアなんて呼んでいる人たちですから、だんだん善悪の判断がつかなくなってくるんだなぁと思いました。
えーーーっと?
東京神殿の空調システムは、ソルトレークから遠隔操作されているとか言ってた人ですか??
モルモン書の朗読テープが、国会図書館に有るって、教えてくれたんですが、電話で確認して見ると、「そんなものは有りません」って事でして。
その事を本人に伝えると、「いや、有るはずですよ、あそこにはなんでも有るから・・・。」
いやーー怒る気にもなれなくて、実に豪快と言えば豪快な人です。
モルモンらしいと言えば、実にモルモンらしい・・・。
記憶違いなら御許しください。
多少常識と罪悪感は持ってますので。
国会図書館法と言うことのがあって、すべての出版物(個人制作を除く)は国会図書館に納めないといけないらしいです。その場合、代金は定価の半額が支払われるのだそうです。
だからモルモン関係の書籍(たぶん音声テープも含む)が無いと言うことはモルモン教会が納めてないのが原因なんですね。国会図書館には何でもあるのではなく、出版物は何でも納めなければいけない、と言うことらしいです。これは莓一枝さんの認識違いでしょう。
ところで、NJさんも著書を国会図書館に納められました?まだなら是非に。
いえ、そもそも、モルモン書の音声テープなどと言うものは、正式には存在しないようです。教会としては作って無いらしいです。
結局、どこかの会員有志が作ったものをコピーしていただいたのですが。
余談ですが、ずいぶん前に地元の図書館にモルモン書を寄贈したんですが、閲覧者が無くて、棚から撤去されてます(笑)
でも莓一枝さんはあると思ったのでしょうか、いったい何を根拠に???
ただ、この莓一枝さんみたいな感覚で、ジョセフ・スミスやブリガム・ヤングは思い付いたことを何も考えず言ったのでしょう。やれ、月には人が住んでいてクェーカー教徒みたいな格好してるとか、アダムは神であったとか、黒人は前世で不従順なので呪われた血統に生まれたとか。
で、予言だ、啓示だ、真実だと大騒ぎ。でもいつの間にやら『アレね、啓示じゃないよ、あんたアレ信じてたの?勘違いで批判しないでね』と開き直るんだもんね。恐るべし、モルモン教徒の身勝手さよ。
ありがとうございます。書籍は出版社の方から国会図書館に納本してくれています。
苺一枝さんは元東北大図書館司書でしたから、モルモン書の朗読テープについても正確な情報を話された可能性があります。
あと図書館関係で言えば豚さんの近辺にもそう言う方がいらっしゃると聞いた記憶があるのですが・・・
いろいろ謎が残ります。
教会には、悪意無く(?)思い込みで話をする人がままいましてね。
苺さんもその一人と言うか代表格なんでしょう。
悪意が無いってだけで、赦されるんですかね?
実際当時の扶助協会の会長さんにご迷惑をかけてしまい。私は謝ったんですが、当の御仁は、「あ、そうですか?有ると思ったんですけど・・。」と意に介せず。
たぶん、会員が死んだ後に、日の栄なんて無くても「ああそうなんですね。有るって思ってたんですけど」で済ませるんでしょうね。