[三人の見証者]
親しくしている熱心な教会員から、モルモン書の三人の見証者が教会を離れた理由についていろいろ探しても情報が見つからない、何かわかったら教えてほしいと言われた。ここに多少ではあるが、手許にある資料から簡単にまとめてみた。
オリバー・カウドリ
ジョセフ・スミスがモルモン書を翻訳するに当たり、書記の役を果たすなど、末日聖徒イエス・キリスト教会の草創期に重要な役割を果たしたカウドリは、三人の見証者の一人でもあった。しかし、彼は1838年4月12日に破門されている。
モルモン書の見証者について、1968-69年エラ誌に連載記事を掲載したリチャード・ロイド・アンダーソン(当時BYU教授)は、カウドリが教会を去ることになった理由を次のように記している。基本的な理由は他の見証者についても言えるが、慢心して自分がジョセフ・スミスと並び得るものと思うに至り、彼と意思の衝突が生じるようになったことであると言う。ジョセフ・スミスが指導者として神に召されていることを忘れ、預言者に挑戦するにいたったというのである。
D.マイケル・クインは、ジョセフ・スミスがファニー・アルガーと最初の密かな多妻関係にあることを知ったカウドリがこれを知って、スミスに対する信頼を失ったことが大きいと見る。片方でカウドリの罪(性的なもの, 1831, 1833年)を咎めながら、他方ではスミス自身がアルガ―と情事を持つ関係にあるのは矛盾していると積年の憤懣もあって袂を分かったと言う。
マーテン・ハリス
あとの二人と違って、見証者となった時すでに46歳で社会においてかなり名声を博していた。古くからの友人は彼がモルモニズムを受け入れたことを、嘲り、彼は心中激しい葛藤を覚えていた。周囲に宗教的な偏見が強く、心無い言葉が浴びせられた。1838年、教会からの離反はそのような環境が理由であった。また、1838年、聖徒たちがカートランドを去った時、彼は教会の指導者たちとそりが合わず、カートランドに残った。
デビッド・ホイットマー
彼はミズーリにおける教会の指導者に召された人物である。(英語でpresident, こんにちのステーク会長に相当)。アンダーソンは彼の心中にシドニー・リグドンの権勢を嫉妬し、また疑いを持ったと見る。彼も1838年に破門されるが、主要な理由は離反者たちと同じ考え方に染まっていたこと、言いかえるとカートランドにおける新しい政策(経済制度)に疑問をいだいていたことであった。また、多妻制にも反対していた。なお、ホイットマーの離反はモルモン教徒がミズーリから追放された時期と重なっている。
参考とした資料
Richard Lloyd Anderson, “Oliver Cowdery’s Non-Mormon Reputation.” Improvement Era, August 1968
Richard Lloyd Anderson, “The Scribe as a Witness.” Improvement Era, January 1969
Richard Lloyd Anderson, “Martin Harris, The Honorable New York Farmer.” Improvement Era, February 1969
Richard Lloyd Anderson, “The Life and Times of Martin Harris.” Improvement Era, March 1969
Richard Lloyd Anderson, “David Whitmer, The Independent Missouri Businessman.” Improvement Era, April 1969
D. Michael Quinn, “The Mormon Hierarchy: Origins of Power.” Signature Books, 1994
親しくしている熱心な教会員から、モルモン書の三人の見証者が教会を離れた理由についていろいろ探しても情報が見つからない、何かわかったら教えてほしいと言われた。ここに多少ではあるが、手許にある資料から簡単にまとめてみた。
オリバー・カウドリ
ジョセフ・スミスがモルモン書を翻訳するに当たり、書記の役を果たすなど、末日聖徒イエス・キリスト教会の草創期に重要な役割を果たしたカウドリは、三人の見証者の一人でもあった。しかし、彼は1838年4月12日に破門されている。
モルモン書の見証者について、1968-69年エラ誌に連載記事を掲載したリチャード・ロイド・アンダーソン(当時BYU教授)は、カウドリが教会を去ることになった理由を次のように記している。基本的な理由は他の見証者についても言えるが、慢心して自分がジョセフ・スミスと並び得るものと思うに至り、彼と意思の衝突が生じるようになったことであると言う。ジョセフ・スミスが指導者として神に召されていることを忘れ、預言者に挑戦するにいたったというのである。
D.マイケル・クインは、ジョセフ・スミスがファニー・アルガーと最初の密かな多妻関係にあることを知ったカウドリがこれを知って、スミスに対する信頼を失ったことが大きいと見る。片方でカウドリの罪(性的なもの, 1831, 1833年)を咎めながら、他方ではスミス自身がアルガ―と情事を持つ関係にあるのは矛盾していると積年の憤懣もあって袂を分かったと言う。
マーテン・ハリス
あとの二人と違って、見証者となった時すでに46歳で社会においてかなり名声を博していた。古くからの友人は彼がモルモニズムを受け入れたことを、嘲り、彼は心中激しい葛藤を覚えていた。周囲に宗教的な偏見が強く、心無い言葉が浴びせられた。1838年、教会からの離反はそのような環境が理由であった。また、1838年、聖徒たちがカートランドを去った時、彼は教会の指導者たちとそりが合わず、カートランドに残った。
デビッド・ホイットマー
彼はミズーリにおける教会の指導者に召された人物である。(英語でpresident, こんにちのステーク会長に相当)。アンダーソンは彼の心中にシドニー・リグドンの権勢を嫉妬し、また疑いを持ったと見る。彼も1838年に破門されるが、主要な理由は離反者たちと同じ考え方に染まっていたこと、言いかえるとカートランドにおける新しい政策(経済制度)に疑問をいだいていたことであった。また、多妻制にも反対していた。なお、ホイットマーの離反はモルモン教徒がミズーリから追放された時期と重なっている。
参考とした資料
Richard Lloyd Anderson, “Oliver Cowdery’s Non-Mormon Reputation.” Improvement Era, August 1968
Richard Lloyd Anderson, “The Scribe as a Witness.” Improvement Era, January 1969
Richard Lloyd Anderson, “Martin Harris, The Honorable New York Farmer.” Improvement Era, February 1969
Richard Lloyd Anderson, “The Life and Times of Martin Harris.” Improvement Era, March 1969
Richard Lloyd Anderson, “David Whitmer, The Independent Missouri Businessman.” Improvement Era, April 1969
D. Michael Quinn, “The Mormon Hierarchy: Origins of Power.” Signature Books, 1994
あなたと同じ立場に立ってみなければ、つまり自分の身の上に起こらない限りは、人は他人にどのようにも言うことができる。
相反する二つの意見は、必ずしも敵対するものなのかと、マリアはいつも考えています。「攻撃的」な態度では、どこまでも論争は続く・・・。自己存在が脅かされることが無くなるまで。
ところでシュタイナー博士は、人間の思考についてこのように述べています。
「今日では、人々の思考を導いているのは根拠ではありません。根拠の背後に、身に付けた思考習慣があり、その思考習慣が感情、感性全体に影響を与えます。そのような人々が、自分の感情と感性のまえに、習慣的思考という仮面を被せています。「願望が思考の父である」と言うだけではありません。「感情と思考習慣」が「思考の両親」になっているのです。・・・人が論理的根拠で納得することがいかに少ないか・・・論理的根拠よりもずっと深いものが、心魂のなかで決定権を持っているのです。
わたしたちの思考のニュアンスは、通常思われているよりも、ずっと深いところに由来するということを明らかにしておかなくてはなりません。他人に意見を押し付けるのは、自分の感情の衝動なのです。しばしば論理的な根拠は飾りでしかなく、感情と思考習慣の仮面でしかないのです。」(「人間の四つの気質」)
図書館でシュタイナー博士の著書を何気なく手にとり、そして何とはなしに開いたところに、この「感情と習慣的思考」という文字が目に留まりました。つらつら読んでいるうちに「そうかもしれない」と思い始め、読み終わる頃には、「自分も確かにしている」と認めざるをえなかった。
「論理的な主張をしているようにみえて、実はそれは感情に支配されているかもしれない」、この認識が意識に沈みました。
ホフマンさんが言っておられるような、教会を去っていった人に対する批判は、大切な教会を非難されたことに対する潜在的な怒り、落胆などが元になっているのかもしれません。
わたしは、ずっと不思議に思っていたのです。
イエス様は、自分に従ってきたものが途中で自分を非難して去って行っても、何も言われませんでした。
なのに、なぜ、わたしたちはそうしないのでしょうか?
なぜ、去った理由をあれこれと詮索するのでしょうか?
改宗以来二十数年のわたしの戦友が教会を離れて行きました。お休みがちになった時に、いろいろな憶測がワードにありました。そして、ホフマンさんが指摘されたような言葉がささやかれました。「(皆の)まるで腫れものに触るような扱いが辛く悲しかった」と最後の日に彼女が泣きながらわたしに言いました。
彼女が必要としたのは、正論による説得や指導ではなく、ちゃんと話を聞いてくれる、そして「そうだね、わかるよ」の一言ではなかったかと思います。
体の弱った者に必要なのは、まず休養です。回復したら栄養です。吸収する力が低下しているのに栄養を入れても無駄なんですよね。心も同様だと思います。
「すべて重荷を負って苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう。わたしは柔和(砕かれた心)で心やすき者であるから、わたしのくびきを負って私に従いなさい」
最後にホフマンさん、あなたは、教会は偽りであると思いつつ、でも、教会に愛着がある。それは、「キリストの教え」と「教会の教え」を分けて考えておられて、これまでの教会員生活であなたが愛した通りのイエス様御自身によると私は感じますが、思い違いでしたらごめんなさい。
毎度、長くなって、ごめんなさい。
上から目線で不従順とか言うのは簡単です。
たとえば、ある教会幹部の予言で北海道のこの町に永遠お理想郷が出来るであろうと言うのを聞いて、それを信じて箱物をつくるために、あなたが理想郷に住みたいと思って教会の指示通りに、勇気を奮ってなけなしの老後のたくわえの全財産をはたき、親友たちもあなたの勧めで全財産をはたいたいたとします。
…で完成して1回か2回建物を使ったころに悪い噂がたって、同じ指導者がやっぱりここは環境が悪いや、やーめた、永久の理想郷はあっちになったのです。
などと言い出して、金のことで家族が仲たがいするようになったら、金を出させた親友たちが敵になったら、あなたは大予言が外れてしまった今でも、まだニコニコしていられるのかという問題ですよね。
私は無理です。ちょっと待ってよ、せめてあの約束を果たす努力をしてくれ、無責任に行かないでくれ、夢を信じさせてくれとか詰め寄って、早速破門になってると思います。
証拠の品を見たかどうかと、自分のやってしまったことの重大さは別問題です。
ステーク会長やビショップが、解決できる問題ではありませんし、それ以前に、教義や運営の中に疑問を持つものが、その職に就くには、よほど自分の心にうそをつく必要が有ります。
自分の店のラーメンは美味いと信じ込んで、「客が来ないのは、客の味覚が悪いせいだ」と言う様な店主がやっているラーメン屋はやがて潰れますよ。
どの宗教も、常に改革を行ってきたから生き残っているのだと思いますけど。
出席を検討していたのですがこの日は遠方出張と重なってしまい出席出そうにありません。
お誘いありがとうございます。
有意義な会ですので微力ながら宣伝しておきます。
教会を離れた人たちは結局、不従順だったということです。最後まで耐え忍ぶという重大なことを忘れ、不平不満ばかり言っていたのでしょう。そういう人はどこの組織に行っても文句を言い出し結局はやめていくのです。
もし教会に何か問題があるなら解決は簡単なことです。あなたがビショップやステーク会長になって取り組めばいいのです。
三人の証人が教会を離れたことにも教会の資料にはきちんと説明が書かれてある。それらを読めばいいのです。モーセの青銅の蛇と同じです。少し目を上げればそこに答えがある。
大切なのは鉄の棒をしっかり握って前に進むことです。
ところで、オムナイさん、6/20東京で行われる催しに出席していただけるでしょうか。詳細は本ブログ4/14の記事をご覧ください。ぜひ、お出でいただきたいと希望しています。reply to jiro_nmn68@hotmail.com
先般破門された弁護士女史やポッドキャストの兄弟に通じるものがあるように感じました。
https://www.lds.org/bc/content/shared/content/japanese/pdf/language-materials/32502_jpn.pdf?lang=jpn
大会の後,新しく召されたステーク会長会は背教した前の指導者たちの事後処理を 開始し,教会歴史記録者でありミズリーにおけるステーク会長会の一員であったジョン・ホイットマーに彼の書いた歴史記録や教会あて文書の返却を求めたがジョンはそれに応じなかった。彼の歴史記録のすべてが出版されたのはごく最近の出来事である。
それ以上にはるかに深刻なのがオリバー・カウドリのケースである。
彼は数々の事柄で高等評議会から訴えられた。
厄介な訴訟により教会指導者を迫害したことジョセフ・スミスの人格を傷つけたこと,実務的な事柄について指導者に従わなかったこと。
ジャクソン郡の土地を売却したこと,大管長補佐の召しを離れて法律業に 身を転じたことである。
オリバーは高等評議会への出席を拒み,手紙で返答している。
彼は教会が私事にまで命令を下す権利はないと主張,教会とのつなながりを絶つ ことを要求してきた。
そこで高等評議会は1838年4月12日に彼を破門に処した。
オリバーは10年間教会の外で生活したが,後にへりくだり,1848年10月にアイオワ州ケ ーンズビルで再加入のバプテスマを受けている。
高等評議会はまた,『モルモン書』のもう一人の証人であるデビット・ホイットマ ーをも破門した。
過度に権力を行使したこと,預言者に異議を唱える手紙を背教者に送ったこと,知恵の言葉を破ったことがその理由である。
デビットは二度と教会 に戻ることはなかったが,天使と金版を見たという証は生涯変わることはなかった。
> それでもモルモン教会に行くことは嫌いではありません
共鳴するものがあった(今もある)のでしょう。
もっとも当事者たちがウソをついていて本当の理由は他にあるはずだと考え、当時の状況や彼らの行動から推理するという切り口もあります。
ただ、そうした推理は調べる側に精神的なバイアスが掛かっていると決して真実にはたどり着けないことを個人的な経験から知っております。
それはモルモン教会から会員たちが離れていくのをもう何十年も見続けてきましたが、中には非常に熱心だった人も辞めていったりして、不思議でしたが理由はわかりませんでした。
信仰が弱くなった、サタンに誘惑された、この世のわずらいに耐え切れず・・・などとモルモンに残った会員たちは言っております。
しかしねぇ、今は理由は簡単にわかります。
モルモン教会の教えていることがウソだからです。ただそれだけ。思い返せば実に簡単なことでしたね。
モルモンの指導者たちはそのことを知っていますが決して口にしません。いやむしろモルモン教義がウソであり事実ではないことを知ってなお、そのウソを最後までつき続け、信仰深いふるまいを演じきれる人がモルモン指導者になるのだと理解できました。
ちなみに私はモルモン教義がウソだとわかっていますし、指導者がデタラメな連中ばかりだと知っていますが、それでもモルモン教会に行くことは嫌いではありません。若い頃から人生のエネルギーを本気で注いできた場所には愛着はあるのです。
見証者たちの行動(いったん辞めて、戻ってきた)は、今の私には十分に理解できるのです。