クリスマスの楽しい雰囲気に水を差すようであるが、キリスト降誕の物語りについて現代人としての理解を持つことも自然なことであると思い、敢えて降誕物語り成立の背景を記しておきたい。
マルコになかった降誕物語りがマタイの最初の2章に、次いでルカの第2章で短く紹介される。十字架後、イエスが救い主であると気づいた弟子たちが回顧的解釈を施し、福音書記者がイエスの誕生を神のひとり子の地上降誕にふさわしい、宇宙大の『大きな』物語りとして彩色し、それが不思議物語りとして伝承されてきたのである。
福音書の中で先行したマルコによる福音書にイエスの誕生や幼少時代の部分が欠落しているので、マタイとルカはその空白を補う物語りとして後から添加した。「聖書を読み解く」を書いた山形孝夫は、伝承物語りは後になればなる程、空白部分や最も興味を引く部分が彩色され、加筆され、明細化されていくという(宗教人類学的視点)。
それでもクリスマスの物語は、そういうことがあったかもしれない、救い主の地上降臨の意義は大きく重要なもの、その誕生は喜ばしく祝福すべきものと受けとめ、あまり詮索することなく祝えばよいのだろう。それが良識ある大人のとる度量であり作法であると思う。
参考・山形孝夫「聖書を読み解く-- 物語りの源流をたどって-- 」2007年
・大貫隆「隙間だらけの聖書--愛と想像力のことば--」1993年
・大貫隆「イエスという経験」2014年
・当ブログ 2013.07.07 「モルモン教における回顧的方向の補充 -- 福音書における回顧的補充との比較」
来春にでもコメントよろしく。
>一見「矛盾」して見えるのだよね、真理というのは
おー、名言ですね。
「人を見て法を説け」
https://kotowaza.avaloky.com/pv_oth39_01.html
意味
人を説得したり諭したりするときは、相手の性格などを考えて、
その人にふさわしい方法で説明をしなさい、という教え。
解説
だれかにあることを理解してもらうには、相手がどのようなことを考え、
どんな性格なのかをよく知った上で、その人と同じような 考え方をして、よく分かるように話をしなさい、ということのようです。
ーーー
モーセの律法とキリストの律法の違いはそこなのでしょうか。
初めの石板と後の石板は同じ文句だったとか。
当時は女予言者が神殿にいたこととも関係あるのかも。
そんな感じしますねー。
そういえば、ミカエル=アダム、ガブリエル=ノアとジョセフ・スミスは言ったとか。
伝統的な教会では大天使ミカエル=キリストでしたか。。
末日聖徒だとエホバ=キリストなので偉いほうから順送り的な?
知恵の無い者はつまずいていることすらわからないのだろうと思う。
>かっては、こいうい「見えてない者達」をなんとか「見えるように」してやれないかと考えたのだが、無駄なことだよ
盲人は道案内をできないよね。
ここが重要
つまり、一見「矛盾」して見えるのだよね、真理というのは
知恵の無い者にはそれが見えないから、「つまずく」ことになる
かっては、こいうい「見えてない者達」をなんとか「見えるように」してやれないかと考えたのだが、無駄なことだよ
「見えない」ということも、大切な個性なんだよね
「見えない者」には、見えないなりの救いがあり
「愚か者」にも、愚かなりの救いがある
ですね。
弱き者、苦しむ者、抵抗できない者に対しては威を振るい「厳しい面」を見せ、強き者、権力者、カネになる者には「優しい面」を見せて媚びへつらう。
だから黒人が社会的に弱い立場であった時代には彼らに神権を与え無かったけれど、社会的に強い立場になると方針は変更する。
ですね。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/429569/
宗教には「父」「母」の二つの型がある、と作家の遠藤周作さんは書いている。
父なる神が自分を裏切った人間を怒り、裁き、罰する宗教。対して、
神が母のように過ちを許し悲しみに手を差し伸べる宗教がある、と
▼かくれキリシタンたちに大事だったのは後者だった。伝え持っていた聖絵、
聖像の中では聖母の絵やマリア観音が数多い。
「母の宗教」をこそ必要とした
ーーーーー
末日聖徒には父母が同居していて厳しい面と優しい面がありますね。
青少年には規律を大人には自由を。
現代ではマリア様の赦しが必要な兄弟姉妹も多い。
悩みを抱えて、それを正直に打ち明ける人ほど、余計に苦しめられるのがモルモン教会。それはなぜか?全員がシロートの宗教ごっこだからです。
思い付きを得意気に語る名古屋弁のじーさんや、その場しのぎの詭弁ばかり口にして上手いこと言ったとご満悦な面々には、相談しようなんて気は起こらないでしょうね。
それがモルモン教会から人が離れていく理由。ああ、皆さんの脳内ではモルモン教会は大躍進でしたっけ?(笑)
でもモルモン教会の広告塔レベルの有名女優なら、何度不倫をしてもオッケー。モルモン教会のデタラメな倫理観が笑えます。
それは「赦す」為だよ
事実関係を明確にしなければ、「赦す」ことはできない
だから
「罪に定める」ためではない
DC42:25にはこう書いてある
「姦淫をしても、真心から悔改め、それを捨てて、再び行わない者を、あなたは赦さなければならない」
過去には、「姦淫は赦されない」みたいな暴走監督、支部長たちもいたようだが、原則は「赦す」だよ
モーセの律法なら、石で打ち殺せだー
聖書を読めば、「私生児」だよね
ルカ2:5 にはこう書いてある
「身ごもっていた、いいなずけのマリア」
「いいなずけ」のまま出産しては、いかんがね
ヨセフは何故結婚しなかったのか ?
マタイ1;19 にはこう書いてある
「夫ヨセフは正しい人であったのでマリアのことを表ざたにすることを望まず、ひそかに縁を切ろうとした」
この文を読む限り、ヨセフが「正しい人」か疑問だよね
何故ならば、ここで縁を切ったら、マリアは「罪の女」になってしまう
ここは、一刻も早く「結婚」すべきとこだよ
しかも、縁をきらないにしても何故出産まで「いいなずけ」のままなのか ?
>いわゆる、「その時代の最高権力者」の記録なんだよ
聖書の成立過程を知らないから、思い付いたことは何でも自信たっぷりに言えちゃいますね。
無知は最強です。
こういうのが、ユダヤ教徒がイエスを受け入れない理由だよね
『聖書は登場人物の名前の意味と物語がシステマチックに組み込まれてますね』
全ての「歴史」「記録」は「意図を持って」書かれているのだよね
後世に残るということは、何らかの「権力」「金」に結びついていたから残るのだよね
庶民が書いたなら、それが真実でも「世に出る」ことは無い
聖書は「族長」または「王」の記録として残っている
いわゆる、「その時代の最高権力者」の記録なんだよ
当然そこには、「意図」というものが存在する
「権力者に不都合」なものはあらわれることは無い
聖書であるなら、ローマ帝国の都合が良いようになっているのは当然だよね
その後はローマ教皇の都合だよね
>
>差別意識を正当化する幼稚な詭弁ですね。
この手の正当化を、見事なまでに完璧な説明だと思っているモルモン教会員ってワリと多いかもですね。
モルモンが黒人に神権を与えなかったことを「そうすることで黒人が迫害されないようにするためだった」とかいうアホくさい言い訳を披露していたオムナイくんを思い出すなぁ(笑)
社会問題に置き換えてみるといいよ、例えばさ、女性に参政権が与えられないのは、世の中の男があまりにもボンクラなのでまだ参政権の意味を理解していないから云々なんて言い訳が通用するわけがない。
ただね、じゃ女性が神権を欲しているかというとそうでもないかも。「あんな宗教ごっこ遊びの階級制度なんてまっぴらごめんよ、邪魔くさい」なんてドライな返事がくるかもですよ。
マルコ福音書(六3)に「・・・この人は大工ではないか。マリアの息子・・・・・
この「マリアの息子」という言葉は私生児に対する軽蔑的な表現であると、シュタウファーはいい、
この表現の例をタルムード(ユダヤ教文書)からあげている。
・・・・
では、イエスは私生児なのか。ユダヤ教ははっきりとイエスを私生児とし、
タルムードには「姦淫の女の息子」「娼婦の息子」とさえ言われている。
まことにこまったことにマリアは、聖母とされるか姦婦・娼婦とされるかどちらかであって、
それ以外に呼びようのない対象になっている。・・・
聖母マリア信仰は、聖書の記述によるのではなく、後にキリスト教信者が作り上げたものである。
ーーーー
キリストが姦淫を犯したと思われる女性をかばうシーンと重なります。
聖書は登場人物の名前の意味と物語がシステマチックに組み込まれてますね。
モルモン書もですが。
差別意識を正当化する幼稚な詭弁ですね。
いかにもモルモンらしい。
当たり前だがや(笑い)
自分のことがわかっとらん、お前さんとは違うぜ (笑い)
おお、ご自分のこと良く分かってらっしゃるね!
こういう話は、これからも沢山出てくると思うよ(笑い)
資格ある全ての成人男性会員に神権が与えられているのは「父親」だからだよね
であるなら、「母親」である女性会員に神権が与えられていないのはおかしいよね
私の考えでは「現神権者達が、あまりにもボンクラなので」今だ神権の意味を理解できず
この状態で姉妹に神権を与えたら、混乱が生じてしまう、だからまだ姉妹には神権がない
ようするの、兄弟達が、一向に成長しとらんからだわなー(笑い)
必要がないからだろうね
既にジョセフが証していたのだし、ヤングの信仰は揺るぎないものなので、あえて「神の御顔を拝する」ことは必要ではない
人の「好奇心を満足させる為」に神が「御姿を現わす」ことは無いからね
アセル族にヤコブの予言者DNA(神と顔を合わせて語らう)が発現して神の訪れを受けた人もいたのかも、そしてアンナにもシメオン(ルカ2:25~)のような約束があってのことだったのかも?!
「23 さて、このことを、モーセは荒れ野の中でイスラエルの子らに分かりやすく教え、その民が神の顔を見ることができるように、彼らを聖めようと熱心に努めた。
24 しかし、彼らは心をかたくなにし、神の臨在に堪えることができなかった。そのため、主の怒りは彼らに向かって燃え、主は激しく怒って、彼らは荒れ野にいる間神の安息に入れないと誓った。この安息とは、主の完全な栄光のことである。
」84
「18 大神権すなわちメルキゼデク神権の力と権能とは、教会のすべての霊的な祝福の鍵を持つことである。
19 すなわち、天の王国の奥義を受ける特権を持ち、天が彼らに開かれ、長子の教会の総集いと親しく交わり、また父なる神と新しい聖約の仲保者イエスの親しい交わりと臨在とを享受することである。
」107
ブリガム・ヤングは大会説教でまだ神の御顔を拝するに至ってないと何度か言ってた模様・・おそらく彼の生涯ではその経験はなかったんでしょう・・今日、教会では第二の慰め主について教えず、それに替えてか、第二のエンダウメント(洗い/油注ぎ)を、使徒たちが選ばれた会員(ステーク会長会や伝道会長 の夫妻)を神殿に呼んで永遠のいのちに結ばれたとして教え・実行してるらしい・・おそらくは、管長会、使徒たちは、主に近い人たちなんだろうけど、訪れを受ける(第二の慰め主)までは・・
ガブリエルは一説には女性の天使だったともいうので、当時は女予言者が神殿にいたこととも関係あるのかも。 女性に神権を与えるときは、女天使のガブリエルが与える必要があるとか。
なるほど、クリスマスツリーは創世記の命の木の象徴。
というのは聞いたことがありましたが、
見事に繋がりますね。
>受胎告知のシーンで天使ミカエルが、おめでとう恵まれた方 もこれを意識していたのかも知れません。
受胎告知の天使はガブリエルですね。
「おめでとう恵まれた方 もこれを意識」確かに!
キリスト誕生の物語が奥深く感じられます。
またアセルの語源をたどれば、ヘブル語で祝福された、の意味になり、
http://voh.plala.jp/modules/d3blog/details.php?bid=3712
受胎告知のシーンで天使ミカエルが、おめでとう恵まれた方 もこれを意識していたのかも知れません。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%AB%E6%97%8F%E3%81%AE%E5%A5%B3%E9%A0%90%E8%A8%80%E8%80%85%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%81%AE%E5%AD%98%E5%9C%A8
アセル族は旧約聖書で地味に良いことばかりかかれていて、温厚で神に従順な農業で栄えた一族で、元々はヤコブの奴隷のめかけの子孫であるけれども、ヤコブからかなり目をかけてもらっていたらしく、地中海に面した今のレバノン辺りの広大で肥沃な土地をゴッソリ受け継ぐ祝福を貰ってますね。 食べ物に困らず、王の美味をいだす(宮廷の食材を提供するほど恵まれる)であろうはまさにそういうこと。 海から海産物、山からはブドウとオリーブとか(レバノンの香木とか)が取れたら経済も発展して当然ですね。
そんなカネの掛かるもの建てないでインターネットを使ってリモート・エンダウメントで良いんじゃないの?
どうせ大半の人は居眠りしてるんだし(笑)
わぉ!なるほど。
デボーショナルのクリスマスのお話に出てきそうなですね。
そうですかローマ時代からクリスマスツリーってあったんだ。
カトリックさんのマリア信仰もはるか昔から繋がってたのでしょうね。
末日聖徒だと天の父母。
関西神殿にはマリア様の像も欲しい。
基督イエスはタルメージの個人的意見、教会の公式とは違うって言い訳してる護教派の皆さん、聞いてる?
>オムナイさんのアシェラ=聖母マリア説には異議が有ります。
まぁ。ブレインストーミングなので。。批判はご法度ですw
>アドーニ(アドーニス)も神話では、父と娘の間に生まれた子とされています。
>天父とマリアの関係も、その辺の伝承からかも?と言う妄想もわいてきます。
むむ。侮れない説ですね。
オムナイさんのアシェラ=聖母マリア説には異議が有ります。
私は、下記の説が正しいのではと思います。
アシェラ、又はアシュタロテは古代シリヤ、フェニキヤ、カナンで崇拝されていた女神の名前です。フェニキヤ人はアシュタルテ とその女神を呼び、アッシリヤ人はイシュタ―と呼んで崇拝しました。ペリシテ人はアシェラの神殿を持っていました。(1サムエル31:10) イスラエルがカナンの地を完全に克服しなかったので、アシュラ崇拝はなお続き、ヨシュアが死ぬとすぐ始まってイスラエルを悩ませました。(士師記2:13)
へブル語のアシュラは女神、又は”木々の木立“のことを指すこともありました。
アシェラは月の女神とみなされ、しばしば、太陽神バアル(士師記3:7;6:28;10:6;1サムエル7:4;2:10)の配偶者として表されます。
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-who-asherah.html
私の憶測では、旧約の神「主(所有者)」は、一人ではなかったのかと思います。
バァルもセム語系で「主」を意味しますし、アドーン、アドーニ、も「主」を意味します。ギリシャ神話のアドニスはアドーニのギリシャ語化したものとされてます。
カナン地方の神は固有名詞ではなく「主」と言う一般名詞で呼ばれていたのが、固有名詞化したのだと思います。
と言う事は、イスラエルの人々が信仰した神も、複数だったのではないかと推測します。
アドーニ(アドーニス)も神話では、父と娘の間に生まれた子とされています。
天父とマリアの関係も、その辺の伝承からかも?と言う妄想もわいてきます。
豚も時々湧いてきますが。
それ以外にも、イザヤ書には第2イザヤ、第3イザヤの存在が定説ですね。この場合、モルモン書に記述されたイザヤ書からの引用があり得ないと言う、不都合な事実が浮かび上がって来るのです。
これについてはFairMormonのおバカ護教陣たちは、「第2イザヤも、第3イザヤも存在の可能性は認めるよ、だけどそれらはリーハイ出立前に将来の予言として書かれたんだ」という感じのなかなか苦しい言い訳(笑)
「定説」なんてものは、時代によってコロコロ変わること位知っているだろう
自分で、コピこう書いておるがや
『後世になってキリスト教徒が、ユダヤ人の聖典を旧約聖書だと呼んでまつりあげ、その中からキリスト予言に見えるところを引っ張り出してはこじつけて解釈したのですね』
こういうことは、常にあるのだよ
コロコロ変わるのが、「定説」
ヘロデ王による幼児虐殺命令が事実で、かつ聖書の降誕物語が事実なら、イエスの誕生は紀元前4年ごろになるですね。
ヘロデ王は紀元前に死んでいるので。
そもそも紀元1年の設定方法が間違っていたのは歴史的に自明の事実です。
ところがこれを私が教師だったときに日曜学校で説明したら「そんなはずはない」「基督イエスに書いてることと違う」と大ブーイング。事実よりも思い込みを優先するのがモルモン教会員のようですね。
イザヤ書のメシア予言というのが実は「人類を救うキリスト」のことではなく、ヒゼキヤ王(またはヨシア王)の誕生を祝う文章だった、と言うのが歴史学的には定説で、私はこれを支持します。
後世になってキリスト教徒が、ユダヤ人の聖典を旧約聖書だと呼んでまつりあげ、その中からキリスト予言に見えるところを引っ張り出してはこじつけて解釈したのですね。
まさにオムナイくんの言葉通り「そう読める部分だけを抜き出した」行為を繰り返して成立したのがキリスト教。そしてモルモン教も同じことをしてきた。当然その信者も同じことを平気でするワケです。
興味深いです。
ブレインストーミング的に書きます。
啓示は個人の思考、体験、文化を経由して与えられるんでしょうね。
そのようにジョセフが啓示を見たのであれば、そのようにジョセフが考えていたということなんでしょうね。
https://irdb.nii.ac.jp/01431/0000424274
旧約聖書におけるアシェラ
旧約聖書において、アシェラ('ǎšērāh)は、木製の崇拝対象物もしくは女神であると考えられてきた。
・・・
かつてヤハウェ宗 教が、ヤハウェの配偶者としての女神アシェラに対する崇拝を含んでいただろうと いう点については、
大方の合意が得られつつあるといってよいだろう。
また、アシェラを木製の崇拝対象物とする旧約聖書の記述と女神崇拝との関係についても、
考古学的な発掘の成果を援用することができると思われる。
近年、木と係わるという点において、女神と知恵の関係が注目されている
ーーーーー
https://www.fairmormon.org/blog/2014/11/13/faith-and-reason-29-nephi-and-his-asherah
ジャクソン時代のアメリカでは,どのような若者が聖なる木と聖母マリアを結びつけるでしょうか。
しかし,ニーファイとリーハイの時代には,その結びつきは明らかでした(そして,明らかに彼らの文化的背景によって色づけられていました)。
マリアはアシェラの完全な人間の典型であり、処女であり、公正であり、世界で最も喜びに満ちた対象の母親でした。
マリアはアシェラではありませんが,ニーファイにとってその象徴は意味を持ち,
キリストの到来を教えただけでなく,聖なる木の意味を理解するのにも役立ったでしょう。
ニーファイの文化がモルモン書(1ニーファイ11)に記録されているビジョンの中でそのような解釈を理解する準備をしていたことは容易に理解できます。
しかし,ジョセフ・スミスは1830年にこのことをどうやって知ったのでしょうか。
ーーーーー
(1ニーファイ11)
それでわたしは御霊に、「その木の解き明かしを知ることです」と言った。・・・
・・・そしてわたしはナザレの町に一人のおとめを見たが、それはまことに色が白く美しいおとめであった。
ーーーーー
>神殿の中で女予言者(アンナ)の采配で、メシアに選ばれたってとこでしょう。(Rさん)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A_(%E9%A0%90%E8%A8%80%E8%80%85)
アンナは新約聖書の『ルカによる福音書』2:36-38に登場する女性の預言者。正教会で聖人。正教会での称号は預言女アンナ。正教会での祭日は2月3日(2月16日)。
アシェル族のファヌエルの娘で、若いときに夫に死に別れてからエルサレム神殿で神に仕える暮らしをしていた。
八十四歳のとき、イエスと両親が神殿をおとずれたのを見、
救い主であるイエスをつかわした神を賛美して、イエスのことをエルサレムの人々に告げた。
ーーー
すごい!初耳な説。
アシェルとアシェラなにか関連あるでしょうか。
女性の木製仏像、阿修羅(アシュラ)とも関係ありそう。
奇跡があったとしたら、高齢のエリサベツが身籠ってバプテスマのヨハネを産んで、その親戚であったマリアの平凡に産まれた長男イエスが、神殿の中で女予言者(アンナ)の采配で、メシアに選ばれたってとこでしょう。
従って処女降誕の事実はなかったし、ヘロデ王による幼児大虐殺もなかった。 もしも実行されていれば蓄積された不満で暴動が起きたでしょうが、そのような事件はなかったみたいだし。
オムナイくんがって言うより、モルモン教会自体がそんなことやってるからね。当然会員はそれに倣って同じようなことするでしょ。』
他にかくことも無くなったのだな
うだうだ言ってばかりだな
>キミがいつもやってることだよ。
わははは!
オムナイくんがって言うより、モルモン教会自体がそんなことやってるからね。当然会員はそれに倣って同じようなことするでしょ。
今日もノーマスクで街中を徘徊してるんでしょ』
ほんま、お前さんはこういうのが「特技」だよな
議論とは全く関係の無いことを、うだうだ
こういうのを「イタチの最後っ屁」というのだよ
モルモン教義って何でもアリなので、護教派のみっともない言い訳を聞くのが何より最高に楽しい♪
>良識ある大人のとる度量であり作法
それ、あなたには無いもんね。
今日もノーマスクで街中を徘徊してるんでしょ?
私は読んでいない
読む前から「読む必要は無い」と感じていたからね
本の名前からして、「怪しいよね」
いち12使徒が書くことでは無いよ
そうだよね、ぐちゃぐちゃだよ
中央扶助協会顧問の人間がこんなこと言うもんではないよね
」
1886年12月27日、サラ・M・グレインジャー・キンボール中央扶助協会顧問(1818 - 1898)による説教壇からの話・・・
「兄ラファイエットと故ジョージ・ミラー・ビショップが、予言者ジョセフ・スミスと一時語り合う機会があって、その時ジョセフが語ったのは、イエスの母マリヤが山里へむかう時(ルカ1:39)、父なる神と天使ガブリエルに会い、天使ガブリエルが父なる神とマリヤとの結婚式を執り行ったと。
」
https://ldsanswers.org/how-could-joseph-smiths-polyandrous-marriages-be-explained/
https://en.wikipedia.org/wiki/Sarah_Granger_Kimball
まぁ、いろいろあるんでしょ・・
わざわざ、自分が猿真似であることを、アピールするな(笑い)
きよしこの夜、疑問なく歌えますね。
良識ある大人のとる度量であり作法またひとつ身につけられてよかったですね。
心配したわー。
>そう読める部分だけを抜き出したサイトのコピペですね。
キミがいつもやってることだよ。
どうだい?逆の立場で見た感想は?
>高い現れとは、少なくとも「性交」ではないわなー
そう読める部分だけを抜き出したサイトのコピペですね。
ム』の御子であって,この誕生は自然の法則を破って生じ
るのではなく,自然の法則のいっそう高い現れによるので
ある。それで,至高の日の栄えの世界に住まわれる神を父
とし,清純ではあるが人間マリヤを母として生まれるこの
子,『いと高き者の子』は,生まれながらに神の力と人間
としての能カを兼ね備えていた。」(ジェームズ・E・」
「自然の法則のいっそう高い現れ」と書いてあるがや
通常の法則が「性交」なら、高い現れとは、少なくとも「性交」ではないわなー
そこをどう考えているのだ
「福音の教義」生徒用手引き
https://jp.churchofjesuschrist.org/acp/bc/cp/Japan/gospel-library/manuals/institute/fukuinnnokyougi.pdf
↑
ご存知、末日聖徒イエス・キリスト教会の「現行の」インスティチュート教材です。
この中で、私が数えたところ30箇所以上も「モルモンの教義」しかも「ビーハイブ出版」の翻訳物から引用されているのでよ!スゲー。
さすが瑞宝章の元北海道大学教授である潟沼兄弟や、教会翻訳部に長年在籍した沼野兄弟らによる格式高い翻訳物ですね。文句のつけようがありません。
そもそも著者は預言者・聖見者・啓示を受ける者として世界中の末日聖徒が全会一致で支持する十二使徒のマッコンキー長老ですから霊感に満ち溢れていますね。
Deepl のチンケな翻訳を使ってどこの馬の骨が書いたか分からないサイトの個人的見解を持ち出してくるペテン師くんとは月とすっぽん。
と言うことで「モルモンの教義」で解説されているように、イエスは永遠なる神の文字通りの子であり、マリアは神との通常の自然な方法で身籠った。モルモン教会の十二使徒がそう教えています。
「教会の権威筋は現地語への聖書翻訳を、教会の祝福を受けていないものとして公的に糾弾していた。・・
」 どこぞの・・
英語訳聖書
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8
改宗に至るということでは、聖文はひとつの手段・道具に成り得るのは、それは既に改宗した人からの働きかけと、かつ聖霊の働きがあってということですかね??
学問による知見と信仰や聖霊の賜物とは違いがあるんでしょうかね・・学問では福音は伝搬されず・・
「29 わたしの愛する同胞よ、キリストがこのように行われたので、奇跡はやんでしまったのであろうか。見よ、そうではないと、わたしはあなたがたに言う。また天使たちも人の子らに働きかけることをやめてはいない。
30 見よ、天使はキリストに従っており、深い信仰と確固とした心をもって、あらゆる方法で神を敬う者に自分自身を示し、キリストの命じられる御言葉のとおりに教え導いている。
31 天使の務めは、人を招いて悔い改めさせることと、御父が人の子らに立てられた聖約の業を果たして実行することと、主の選ばれた器にキリストの御言葉を告げ知らせることによって彼らがキリストについて証を述べるようにして、人の子らの中に道を備えることである。
32 このようにして、主なる神は道を備えて、残りの人々もキリストを信じる信仰を持ち、聖霊がその力によって彼らの心の中に宿られるようにされるのである。このような方法で、御父は人の子らに立てられた聖約を果たされる。
33 キリストは言われた。『あなたがたはわたしを信じるならば、わたしの心にかなうことを何事でも行う力を持つであろう』と。
34 また、『地の果てに至るすべての人よ、悔い改めて、わたしのもとに来て、わたしの名によってバプテスマを受けなさい。救われるためにわたしを信じなさい』と、キリストは言われた。
」モロナイ7
「01 さて、イエスはこれらの御言葉をニーファイと前に召された人々(召されてバプテスマを施す力と権能を授けられた人々の数は12人であった)に語り終えると、見よ、群衆に手を伸ばして、大きな声で言われた。「わたしがあなたがたの中から選んで、あなたがたを教え導き、またあなたがたの僕となるようにしたこの12人の言葉に注意を払うならば、あなたがたは幸いである。わたしは水であなたがたにバプテスマを施す力をこの12人に授けた。あなたがたが水でバプテスマを受けた後、見よ、わたしはあなたがたに火と聖霊によってバプテスマを授けよう。あなたがたはすでにわたしを見ており、わたしが実在することを知っているので、わたしを信じてバプテスマを受けるならば、あなたがたは幸いである。
02 さらにまた、あなたがたがわたしに会ったと証し、わたしが実在することを知っていると証するとき、あなたがたのその言葉を信じる人々は、なおさら幸いである。まことに、あなたがたの言葉を信じて、心底謙遜になってバプテスマを受ける人々は、幸いである。彼らは火と聖霊を授かり、罪の赦しを受けるからである。
」3ニーファイ12
英語版も、ビーハイブ出版による日本語版も両方!
>特に日本語版の翻訳陣は圧巻ですね。
>●潟沼潤
>●潟沼誠二(2018年瑞宝中綬章、元北海道教育大学教授)
>●倉林活夫
>●高木信二
>●沼野治郎(!)
>●馬場恵一
>●望月孝則
>●山本顕一郎
>・・・末日聖徒人物伝に登場するそうそうたるメンバーが1998年に翻訳、出版しています。
うむむむ、なにこの完璧すぎるメンバー。
これだけ見ても『モルモンの教義』がいかに末日聖徒の信仰に重要な書物か分かりますね。
中途半端に無責任な思い付きをを言うだけしか能の無いdeepl翻訳おじさんや、チンピラやくざみたいな名古屋弁じいさんとは格が違いすぎるぅ~~!
エルサレムで生まれる、て書いてあるじゃん。
地図見てみ。ナザレとエルサレムはめっちゃ離れてるよ。
福音書ではマルコが一番信頼されるといえるのでしょうか。
となるとキリストはベツレヘムでなくて「ナザレ」生まれなのかも。
マルコには「ベルレヘム」というキーワードなく、
:ヨハネによる福音書7:41
ほかの人たちは「このかたはキリストである」と言い、また、ある人々は、
「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。
ーーーー
モルモン書もこれを支持しています。
1Ne11:13
そこでわたしが眺めると、大きな都のエルサレムをはじめ、そのほかのもろもろの町が見えた。
またナザレの町も見えた。そしてわたしはナザレの町に一人のおとめを見たが、それはまことに色が白く美しいおとめであった。・・
20:それで眺めると腕に幼子を抱いたおとめが見えた。
アルマ7:10
そして見よ、神の御子は、わたしたちの先祖の地であるエルサレムで、マリヤからお生まれになる」
>あの本はマッコンキー個人の見解であり、絶版はデゼレト出版の判断であって、教会は説明の必要がないと思われます。
↑
もし、このように「内容が古い」「個人の考え」「公式なものではない」という主張を押し通すなら、
以下のようにマッコンキーの著書を弁明することは相反する姿勢となり、矛盾しており欺瞞である。
↓
>マッコンキー長老は彼が強調した理由を次のように説明しています。
わざと矛盾した論点を作って話し合いが進まないようにしているのね。まぁこれも20年位前から見てきたオムナイ詭弁テクニック(略してオムテク)の一つなんだけど。
こういうことをする人って生まれながらのペテン師か、何も考えていない本物のバカのどっちかど思います。
>マリアはキリストの受胎の前後で処女であったということです。
↑
もしこれが教会の公式教義なら、
これとは相反するものですね。
↓
>個人的にはヘブライ語の「若い女性」をギリシャ語で「処女」と誤翻訳的になったのでしょうね。
まぁ、でもね、モルモン教義ってテキトーな思い付きをつなぎ合わせた出来損ないなんで、矛盾してるのは当然ちゃぁ当然なんですが
マリアはキリストの受胎の前後で処女であったということです。
>その誕生は喜ばしく祝福すべきものと受けとめ、あまり詮索することなく祝えばよいのだろう。
>それが良識ある大人のとる度量であり作法であると思う。
共感はしているので、詮索したりはしないのですが。。
個人的にはヘブライ語の「若い女性」をギリシャ語で「処女」と誤翻訳的になったのでしょうね。
実際にはキリストは私生児かも?と思ったりもします。
マルコ6:3
この人は大工ではないか。マリヤのむすこで・・・
ーーー
あえて母親の息子。とは?
普通は「ヨセフのむすこ」と言われるはず。
まさか「ユダヤの王」は真実でマリアはヘロデ王の。。。
それで幼児を殺そうとした?
ミステリーの読みすぎ?
>彼の母親であるメアリーは、「霊に流された」(1ニーファイ11:13-21)。は、
>聖霊によって「影が薄く」なり、「聖霊の力によって」起こった概念は、文字通りの個人的な父なる神の御子を生み出しました。
何だよ、この文章!?
日本語にすらなってねーぞ。キミさ、自分で読みもしないで、意味も分からず適当にコピペしてるだけだろ。
そういう御座なりな護教ばかりやってるからモルモン教会から人が去っていくんだよ。あ、キミの脳内では会員は増えまくってるんだっけか・・・(笑)
英語版も、ビーハイブ出版による日本語版も両方!
特に日本語版の翻訳陣は圧巻ですね。
●潟沼潤
●潟沼誠二(2018年瑞宝中綬章、元北海道教育大学教授)
●倉林活夫
●高木信二
●沼野治郎(!)
●馬場恵一
●望月孝則
●山本顕一郎
・・・末日聖徒人物伝に登場するそうそうたるメンバーが1998年に翻訳、出版しています。
そもそも『モルモン教義』の著者は末日聖徒たちが全会一致で、預言者・聖見者・啓示を受ける者として支持した十二使徒であるブルース・R・マッコンキー長老が霊感を受けてまとめた著作。そんじょそこらの馬の骨モルモン会員の妄言とは雲泥の差なのです。
さて『モルモンの教義』から「神の御子」の項を読んでみましょうか。
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父なる神は完成され、栄光を受けた聖なる人であられ、不死不滅のお方である。そして、キリストはこの神聖なお方の文字通りの息子として、この世に生まれてこられた。キリストは普通の死すべき体の息子が死すべき体の父親に生まれるのと同じように個人的、現実的、字義的な意味で、お生まれになった。神がキリストの父親であることに、何も比喩的なことはない。キリストは正常で自然な過程によって生を受け、胎に宿され、誕生されたのである。彼は神の御子であられ、その称号は文字通りの意味を持っている。
-------------------------------
この部分、翻訳者のSTのイニシャルが記されているので高木信二兄弟の翻訳ですね。自然で読みやすい文章ですね。オムナイくんの deepl翻訳とは比べ物になりませんなぁ。
教会の資料集なんかろくすっぽ読みもしないオムナイくんと違って勉強熱心な末日聖徒のみなさんなら、教会の公式発行している「現行の」資料集においても、そこかしこに『モルモン教義』(Mormon Doctrine)からの引用があることはご存じだと思います。
「あれは公式のものではない」「あれは個人的意見だ」「あれは今の時代にそぐわない」などは真実を指摘されて返答に困ったペテン師の言い訳に過ぎないのです。
https://www.fairmormon.org/answers/Question:_Do_Mormons_believe_that_Mary_was_still_a_virgin_when_Jesus_was_born%3F
・・
教会の重要な公式の教義は、イエスは文字通り神の子であり(つまり、これは象徴的または比喩的な表現ではありません)、
マリアはキリストの受胎の前後で処女であったということです。
・・
マッコンキー長老は彼が強調した理由を次のように説明しています。
「私たちの主は、これまでに処女に生まれた唯一の死すべき人です。
なぜなら、彼は不死の父を持った唯一の人だからです。
彼の母親であるメアリーは、「霊に流された」(1ニーファイ11:13-21)。は、
聖霊によって「影が薄く」なり、「聖霊の力によって」起こった概念は、文字通りの個人的な父なる神の御子を生み出しました。(アルマ7:10; 2ネ。 17:14;イザ7:14;マット1:18-25;ルカ1:26-38)
キリストは聖霊の子ではなく、父の子です(救いの教義、第1巻)。 pp。18-20。)処女の誕生を否定する現代的な教えは、
完全にそして完全に背教的であり、誤りです。[5]
マッコンキーは、キリストの神性の文字通りの性質、父からの彼の直接の降下、
そして聖霊が道具であったが、イエスの神の親子関係の源ではなかったという事実を強調したことに注意してください。
・・・
https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/0fbf264a301ab14881b738daf89cee1c
多くの教会員の間で広く用いられてきたマッコンキーの「モルモンの教義」(英文、デゼレト出版)が絶版になった。
表向きの理由は売れ行きが悪くなったとしているが、全般的に大変保守的で、
問題となった箇所が含まれているため、新しい時代にそぐわなくなったためと見られている。
書名も教会の教義であるという印象を与えたので、
広く用いられ引用されて教会の公的な見解であるかのように受けとめられてきた。
ーーー
ちょっと待って (NJ)
2010-05-25 20:48:17
あの本はマッコンキー個人の見解であり、絶版はデゼレト出版の判断であって、教会は説明の必要がないと思われます。
臭いのではなく、一部というか少なからず誤っている箇所があると見なされているのです。
現在の信徒が受けとめている教義そのものは、現在および今後の世代にとって受け入れられるもので、
くさってなんかいません。言葉が過ぎないようご注意を!
ーーーー
十二使徒ブルース・R・マッコンキーは説明を加えています。
「この言葉のそれぞれが文字通りのものである。ただひとつ、意味するものはただひとつである。父であるということの意味するものは父であるということでしかない。子であるということの意味するものは子であると言うことでしかない。キリストは、死すべき人が死すべき父に寄って生まれるのと同じ方法で、不死不滅の神を父としているのである」(Mormon Doctorine,1979,P546 邦題『モルモンの教義』)
「キリストはこの聖なる存在である方の文字通りの子としてこの世に生まれ出たのである。彼は死すべき父によって生まれた死すべき全ての人と同じような個性、実体、そして文字通りの感覚を持って生まれたのであり、彼の父系についてはなんら比喩的なものは存在しない。イエスは父の普通で自然な行為と手法で受胎したのである。・・・キリストは『人の子』であり、その意味するものは彼の父(永遠の神!)は聖なる人であると言うことなのだ」(同書`P742)
以下のサイトではまことしやかに末日聖徒イエス・キリスト教会の教義について解説されていますが、単なる個人の見解であり、教会の「公式な」立場を表明するサイトではありません。
↓
>https://www.fairmormon.org/archive/publications/did-god-have-sex-with-mary
このサイトを紹介した人物は、モルモン批判があると「それは公式ではない」「あれは公式ではない」とやたら、公式、公式、言ってきた過去があります。
しかしモルモン護教する立場にまわると今度は自分が公式でないサイトを引用する厚顔無恥さ。だから私は敬意を込めて、この人をコリホルちゃんとおよびしております。モルモン会員のお手本みたいな人ですね。
実際には「教義」ではありませんね。
https://www.fairmormon.org/archive/publications/did-god-have-sex-with-mary
末日聖徒イエス・キリスト教会の批評家は、末日聖徒イエス・キリスト教会が神がマリアとセックスをしてイエスを受胎させたと信じていると主張することがあります。
これは単に真実ではありません。
教会員の中にはイエスの受胎について推測したことがある人もいるかもしれませんが,
教会はこの出来事に関する教えを持っていませんでした。このことは,
ハロルド・B・リー大管長がユタ州ローガンの兄弟に宛てて書いた手紙を見れば簡単にわかります。
・・・
わたしたちは,教会の教師の中には,立証できない教義を教えたり,
主が実際に言われたことを超えたコメントをしたりすることに執着している人がいるように思われることを非常に心配しています。
あなたは救い主の誕生の無原罪の受胎について質問されました。
神と救い主の母との間の「性交」について話したことは一度もありません。
主がほとんど語られていないこの問題について,教師たちが賢明に語るならば,ルカ1:34-35に記録されている言葉だけで,
この問題についての議論を休ませるでしょう。
"マリアは天使に向かって言った、『私は人を知らないので、これはどうでしょうか』。
天使は答えて彼女に言った、『聖霊があなたの上に臨み、最高の力があなたを覆うであろう。
無原罪の受胎をもたらした方は神のお方であったことを覚えておいてください。
彼の目的を達成するための方法を疑う必要はありません。
イザヤ書55:8-9の言葉を思い出してみましょう。
"わたしの思いはあなたがたの思いではなく,あなたがたの道もわたしの道ではない。
主は仰せられます。"私たちは天が地よりも高いので、わたしの道はあなたの道よりも高く、
わたしの考えはあなたの考えよりも高いのです。
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
先日、うちのワードでも『聖しこの夜』を歌ったのですが、よくよく考えると変なんですよね。
だって歌詞には
Round yon virgin mother and Child.
ってあるじゃないですか。
モルモンの教義では、マリヤと天父との間の生まれたまぎれもない実際の子供であり、それ故に両者の肉体上の特質を引き継いでいる、だから死ぬこともでき、甦ることもできた、つまり復活が可能になったと言うことになっています。
だったら virgin mother じゃないよね!?
クリスマスに教義的に間違った歌を歌うのはやめてね!
「世界的な新型コロナウイルス感染拡大が続く中、公認サンタとしての活動も例年通りにいかなくなった。「11、12月の土日のスケジュールがこんなに何もなく、家にいていいのかな」
こういう御時勢だよね
諸般の事情がりまして、当ブログ書き込みを自粛しております。
さはさりながら、当ブログの記事は時に気になることも有りまして、私の掲示板にて勝手にネタにさせて頂くことにしました。事後承諾お願いします。
尚、当方の掲示板に来ていただいても、全くもてなしは致しませんので、ご容赦ください。
メリークリスマス (七面鳥でなくて良かった 豚)
「サンタクロース」
サンタクロース採用試験?と言うのが有るらしい。
サンタクロースと言う子供の夢を壊してはいけない。と言う事をよく聞きますが、これって子供の夢なんでしょうか?
子供は、サンタさんを待ってるのではなくて、持ってくるプレゼントを待ってるように思います。
子供はいつも現実的で、実利的に思えます。
そう考えると、サンタクロースって言うのは、子供の夢じゃなくて、大人の願望じゃないかなって思えてきます。
「子供はこうあって欲しいっ・・・」って言う大人の夢じゃないですかね?
聖書のイエス誕生物語も、子供の夢じゃなくて、大人が自分たちの都合で作り上げた物語に過ぎません。
イエスの神格化、神の裁きと救済、救い主の死と復活などの物語を「信仰」と言う名の思い込みを補強させるために次々と生み出した。
イエスの誕生ではなく、イエスの「誕生物語の誕生」なんでしょう。
ただ、大人が夢を見ることは悪い事では無いと思います。
キング牧師の見た夢は、未だに夢に過ぎませんが、すごくすてきなゆめでした、今も多くの人々が夢に見ています。
現代では、探査機「はやぶさ」がもたらした宇宙の夢が、子供も大人もその心を明るくしています。
一方では、自分たちだけが裕福に生きようと言う悪夢が世界中に広がっています。
この悪夢は、覇権と言う悪夢と共に、戦争を起こし、飢餓を招き、地球さえ滅ぼすことに成るかもしれません。
科学技術が発達し、世界中の人々が平和に協力し合えば、もっと楽しい夢が見れると思います。
今、子供も大人も、もっともっと良い夢を見るべきだと思います。
http://www2.ezbbs.net/16/darebuta/
新約聖書を集めたて編集した人々は矛盾をあえて、そのままにしているように私には感じられます。
そこに誠実さを感じるというか現代の人々が古文書をあつめて昔の人々は「こう考えていたかも」という発掘作業をやるように、
紀元後100年くらいにもやっていたのかなと。
日本だと明治維新の英雄伝的な回顧録ですかね。
>あまり詮索することなく祝えばよいのだろう。それが良識ある大人のとる度量であり作法であると思う。
共感します。