共同制度とか奉献の律法とか呼ばれる、LDS教会に昔与えられた律法について、末日聖徒で経済学者として知られたレナード・J・アリントンは、教会の揺籃期における環境がもたらしたと見る。著者はまず西部へ移動するまでの時期を5つに分け、経済的な様相が発展していったと分析している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2f/88/4aa8f50dafa9571948dc0aae150a1620_s.jpg)
[画像はpinterest.com]
5つの段階
1 ミズーリ州ジャクソン郡 1831年夏
2 オハイオ州カートランド 1831-1837年
3 ミズーリ州ファーウェスト 1837年
4 イリノイ州ノーブー 1839年
5 出ノーブー(西部への移動) 1846年2月
初期のこの時期に与えられた啓示は、目指す理想ないし背後にある基本原則が7つあると見る。
1 集合
2 モルモン村(まとまったコミュニティ)の形成
3 管理を任された財産を大切にする(各家族が割り当てられた財産を管理するという仕組み。ルカ12:42 思慮深い家令 (steward)の考え)。所謂奉献の律法。
4 土地を生産性のある状態に改善する
5 節倹と経済的自立
6 一致協力
7 平等
その後も受け継がれた精神、伝統:
末日聖徒の社会が物質的に安定し向上するにつれて、上記7の平等を目指すという目標はそれほど強調されなくなった。(また、奉献の律法(3の原則)も同様と考えられる。沼野)。しかし、中心的な方針は、その後の移民(東部、ヨーロッパからの植民)、公共事業による雇用創出、土地・灌漑の割り当て、多くの小規模協同店舗、砂糖、牧農業などに反映された。
事情・目標とも異なるけれども、共同体の構成員が財産を全て供出して、それを分配し全員が平等に暮らそうという、理想郷の試みの一つと見ることができよう。他の例、武者小路実篤の「新しき村」、オーエンの協同組合など。L.J.アリんトンの分析は明瞭で理解を深めてくれた。
典拠。 レナード・J・アリントン 「大盆地の王国: 1830-1900年末日聖徒の経済史」 1958年
[補足] 英語、ギリシャ語、ヘブライ語の意味
・英語 consecrate [ < L. consecere < com-, together + sacrare, to make holy
< sacer, sacred ]
「 宗教的な用途のため聖別する」
・ギリシャ語 ἁγιάζω 聖別する
< ἅγιος 聖い 使徒4:32-35 21回 / NT
・ヘブライ語 < חָרַם 神のために別にする レビ27:28
三つの言語とも「聖別する」という意味である。
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5つの段階
1 ミズーリ州ジャクソン郡 1831年夏
2 オハイオ州カートランド 1831-1837年
3 ミズーリ州ファーウェスト 1837年
4 イリノイ州ノーブー 1839年
5 出ノーブー(西部への移動) 1846年2月
初期のこの時期に与えられた啓示は、目指す理想ないし背後にある基本原則が7つあると見る。
1 集合
2 モルモン村(まとまったコミュニティ)の形成
3 管理を任された財産を大切にする(各家族が割り当てられた財産を管理するという仕組み。ルカ12:42 思慮深い家令 (steward)の考え)。所謂奉献の律法。
4 土地を生産性のある状態に改善する
5 節倹と経済的自立
6 一致協力
7 平等
その後も受け継がれた精神、伝統:
末日聖徒の社会が物質的に安定し向上するにつれて、上記7の平等を目指すという目標はそれほど強調されなくなった。(また、奉献の律法(3の原則)も同様と考えられる。沼野)。しかし、中心的な方針は、その後の移民(東部、ヨーロッパからの植民)、公共事業による雇用創出、土地・灌漑の割り当て、多くの小規模協同店舗、砂糖、牧農業などに反映された。
事情・目標とも異なるけれども、共同体の構成員が財産を全て供出して、それを分配し全員が平等に暮らそうという、理想郷の試みの一つと見ることができよう。他の例、武者小路実篤の「新しき村」、オーエンの協同組合など。L.J.アリんトンの分析は明瞭で理解を深めてくれた。
典拠。 レナード・J・アリントン 「大盆地の王国: 1830-1900年末日聖徒の経済史」 1958年
[補足] 英語、ギリシャ語、ヘブライ語の意味
・英語 consecrate [ < L. consecere < com-, together + sacrare, to make holy
< sacer, sacred ]
「 宗教的な用途のため聖別する」
・ギリシャ語 ἁγιάζω 聖別する
< ἅγιος 聖い 使徒4:32-35 21回 / NT
・ヘブライ語 < חָרַם 神のために別にする レビ27:28
三つの言語とも「聖別する」という意味である。
http://broken-spot.blogspot.jp/2012/06/brief-history-of-tithing-and-financial.html
ブリガムが主導権をとってから、全収入の10%になったようで・・・1846年ジョン・ペイジ使徒(1799 - 67)は、使徒たちが十分の一を免除されるのは公正か、貧しい人が、生活費まで犠牲にして10%を払っている等と意見表明。後に彼はストラング派に。破門。彼の後にはエズラTベンソン(1811-69)。ジョン・デーリンの先祖にこのベンソン。
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/s/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3
幹部は、全時間や労力を捧げてるので、奉献に最も近いということなのでしょうかね。教会職員さんも奉献に近い生活になるんでしょうね。
http://broken-spot.blogspot.jp/2012/06/brief-history-of-tithing-and-financial.html
ブリガムが主導権をとってから、全収入の10%になったようで・・・1846年ジョン・ペイジ使徒(1799 - 67)は、使徒たちが十分の一を免除されるのは公正か、貧しい人が、生活費まで犠牲にして10%を払っている等と意見表明。後に彼はストラング派に。破門。彼の後にはエズラTベンソン(1811-69)。ジョン・デーリンの先祖にこのベンソン。
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/s/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3
幹部は、全時間や労力を捧げてるので、奉献に最も近いということなのでしょうかね。教会職員さんも奉献に近い生活になるんでしょうね。
『特殊な事例をさも一般論であるかのように持ち出す論法ってどうなんでしょうねぇ』
とはあなたに向けて発言ではございません。誤解させてしまったのでありましたら申し訳ありません。
>役得には程遠いんだよということを説明したかっただけです。
あなたの説明では納得するどころかむしろ・・・いえ、コメント欄が議論の場となることはブログ主様の意に反すると思いますので詳しくは申し上げません。
そういうつもりではなくて、この教会の預言者はJSは別として富豪層から選ばれて、財政的には庶民が暮らしているような町内会のお金持ち程度まで落ちるから、役得には程遠いんだよということを説明したかっただけです。
アメリカ国民の平均年収と比べれば、それは年収は高いのですが、数的にはアメリカ国民の平均はお金に困窮しているか、財政的に苦労してかせいでいる人たちが代表でしょう。 それに職業牧師とモルモンを比べるならば、地元のビショップやステーク会長だと思います。
”A Methodist pastor of a middle-class congregation in the Midwest, she said, "is paid a $138,000 base salary plus a parsonage allowance."
”
http://www.sltrib.com/home/4800350-155/how-much-do-top-mormon-leaders
統計では、宗教団体では、そんなにいかないようだ、http://www.payscale.com/research/US/Job=Clergy/Salary
記事は宗教団体のトップエグゼクティブでとでもいう意味なのか、全くの間違い??それとも訳間違い??
わかぁぁんないぃぃ・・・
特殊な事例をさも一般論であるかのように持ち出す論法ってどうなんでしょうねぇ
『牧師の年収』で検索すれば・・・
『全米の一家の平均年収は$48,201。一家の平均年収は昨年度より上がっていますが、一人当たりの年収は下がっています。つまり、より多くの家族のメンバーが働きに出ている傾向にある、ということ。
オレンジカウンティの一家あたりの平均年収は$60,118。ちなみに、満足度が一番高い牧師の平均年収は$39,680。そして一番低いガソリンスタンドの店員は$17,750だそうです。』
http://www.design-penguin.com/OC/life/work.html
『日本基督教団年鑑2012年版によると、大手教派の牧師の平均年収は、280万円弱となっています。』
https://matome.naver.jp/odai/2143084871829658601?page=2
6000万ドルの資産とか可能なのは、教会所有の様々な事業・諸企業の執行役員を兼務するという、かつてそういった特権?義務?があって(ヒンンクレー管長時に停止?)、そこからの収入があったればこそでしょうね。
https://www.youtube.com/watch?v=ZiAUIxItWvQ
「2012年米誌によるモルモン教会財政状況」
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/e08c6dd0d20b06a2767cfc9744ded02e
一億円支給される?
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/b61459ed945701102022b6c5d76187d5
まぁ、モンソン管長さんの場合、ユタ大学MBAを卒業なので、成功した、願望はかなったみたいな感じでしょうか・・・
米国労働省統計局(BLS)の発表では、平均時給は$21.25、年収平均は4万3556ドル
今の円に換算すると、平均年収は435万円となります。
http://heikinnenshu.jp/country/usa.html
下世話な話になってしまうけれど、金銭的だけで判断したら、一生稼ぎの10%取られる暮らしの方がお得で、月々1万もらう預言者は損。 捧げた資産の10%が生涯中に教会から年金で戻ってくるようなもんでしょう。
本当のところ年収12万ドルは日本の感覚だとすごーく高給なイメージでうらやましいですけれど、アメリカ感覚では年収6万なら貧困に近くて、12万だとややリッチな庶民程度です。
年収12万前後はアメリカの歯科医や医療助手の平均給料、プログラマーの初任給の平均、民間航空機のパイロットの平均給与程度。
懐手のサインを示す、ブキャナンの写真が。http://ossycorner.blogspot.jp/2014/01/femous-present-and-past-world-leaders.html
「ユタ戦争(1857.3-1858.7)時の、合衆国第15代大統領ジェイムズ・ブキャナン(1791-1868 57.3-61大統領)は、フリーメイソンだね。そして、もち、管長ブリガム・ヤング(1801-77)、彼のサイド・キック、副管長ヒーバー・C・キンボール(1801-68)らは、バリバリのフリーメイソンざんすな。 この両人は、教会員になる前からの、知合いで、メイソンのコンビ・強い関係の仲間だったんだと。・」
ブキャナン
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E3%83%96%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%8A%E3%83%B3
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%8F%8C%E9%A0%AD%E6%88%A6%E7%95%A5%20%20%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3
https://www.lds.org/churchhistory/presidents/images/presidents/BY_mm3_st.jpg
ユタ戦争時(1858)、57歳の写真 いわば正装にフリーメイソンの徽章ピンを胸元に。
https://www.lds.org/churchhistory/presidents/controllers/potcController.jsp?leader=2&topic=multimedia
あのマーティン手車隊、1856年、リチャーズ使徒を使って裏でプッシュしてたんでは、ブリガムは??メイソンとして翌年のマウンテン・メドウやユタ戦争のプランを控え、翌年に手車隊移民が延期では、それら蒸気エンジンなど物資を連邦軍に差し押さえられたりする可能性を懸念して・・・
手車 http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E6%89%8B%E8%BB%8A
ユタ戦争 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%BF%E6%88%A6%E4%BA%89
http://fox13now.com/2017/04/06/lds-church-president-thomas-s-monson-released-from-the-hospital/
たとえば指導者が自分のエリアに、ワードとか、飢えている人がいたら、そういった人が満たされるまで自分の食事を一番最後にするみたいな、誰か貧しく困ってる人がいれば最優先として援助が差し伸べられるまで・・・といったように、貧しい人のことに思いが至れば、自ら清貧みたくなってしまうんでは??
同じ運搬という機能を持つ車で、自分はメルセデスやアウディ等高級車で、隣が中古の軽とかって・・・
どうやって貧しい人がいなくなったのか、キリストのような愛を持っていたとはいいいますが、そういった内面の浄化とかって無しではということなんでしょうか??
時たま説得力がない場合があるのです。
什分の一が平等という方がいますが、持てる者の什分の一と持たざる者の什分の一は重さが違うと感じます。
末日聖徒の奉献の律法は、預言者(大管長会だけではない)に選ばれた時に、世俗の仕事を辞めた上で、彼の私有の全財産(貯金や土地、動産の類)を教会に寄付することが伝統であって、その後に得る年金や権利金収入は蓄財しても問題がないとされているようです。 さらにその上で教会から月々1万ドルほど(富豪にはすずめの涙程度)の生活費が渡される(年金とかの部分は知りませんが、この分は什分の一は払わない)そうです。
末日聖徒の預言者は富豪から選ばれるので、彼が1回全財産捧げ尽くしたところで10年も預言者やっていれば億なんてすぐに戻ってくるのでしょう。
>針の目のたとえ
通り抜ける時に困難なだけで、門を通り抜けたらあとは自由ですよね。
ヨブが試練で全財産奪われた後に10倍祝福されたように、金持ちが一人も天国に入れないという意味ではないでしょう。
死んだら札束は持っていけないという意味でもなく…
「持ち物すべてを売り払って貧しい者に分け与え、私に従って来なさい」は彼の生涯で1回のチャレンジとして是非そうしてみなさい。(神が財政的にも祝福するから心配するな)の意味だったと思われ、もしも青年が悲しんで立ち去らなければ、またすぐに青年は金持ち(しかもより信仰深く)になったろうにと私は理解しています。
生涯に1回くらいは死ぬ気ですべてを神に(教会献金とかでなくて、乏しい者に)投げ打つくらいでないと、日の栄なんか到底無理なのかもしれません。
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=president%20monson%20hospital
あ、うわさですね・・・
http://blog.goo.ne.jp/y-hne/e/08bdd0fd8c2a4397ded588a6e507ef05
明仁 実の父
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E6%98%8E%E4%BB%81%20%20%20%E5%AE%9F%E3%81%AE%E7%88%B6
古川善二 天皇
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E2%80%9D%E5%8F%A4%E5%B7%9D%E5%96%84%E4%BA%8C%E2%80%9D%20%20%20%E5%A4%A9%E7%9A%87
何がなんだか「・・・
「日本の天皇明仁の事実上の退位は日本の王位を巡る権力闘争を創り出したと、皇室家族に近い右翼情報源は言う。日本の右翼グループは明仁は天皇裕仁の本当の子供ではなく、デイビット・ロックフェラーの傀儡であったこと明かして混乱に陥っていると、彼らは言う。それが徳仁皇太子を推すあるグループによって継承をめぐる大きな戦いが激しくなっている理由です。一方、他の派は明治時代より外国勢力の影響を受けた皇室家族の置き換えを進めていると、その情報源は言う。京都に本拠を置く秘密組織八咫烏は日蓮仏教派、台湾人と北朝鮮と連携してそのような根本的変革を推し進めていると、彼らは言う。彼らが推している候補は王位継承主張者である小野寺直(なおし)であると、その情報源は付け加えた。
今の皇室の背後にいる既成勢力もまた、徳仁皇太子には心配していると、その情報源は言う。彼の妻である皇太子妃雅子は創価学会の仏教徒であり、その為、日本の天皇の基本的仕事である神道儀式への参加を拒否していると、彼らは言う。雅子はまたロックフェラーの仲間である小和田恒の娘であると、彼らは述べている。しかし、現在の既成勢力は彼が雅子抜きで各種の神道儀式を自分の側で行うと約束すれば、徳仁で喜んで行くと彼らは言う。そうでなければ、彼らは現在の支配家族の中で後継者、おそらく息子と後継者を持つ文仁殿下を・・・」
http://ameblo.jp/jicchoku/entry-12262408230.html
http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/07f5a6b110e1e1faaf15adbd4c58dd9a
https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=%E5%BE%B3%E4%BB%81%20%20%E5%AE%9F%E3%81%AE%E7%88%B6
大事には至らないようですが、すでに実務をこなす限界は超えているように思えます。
http://www.ksl.com/?sid=43751995&nid=148&title=lds-church-president-thomas-s-monson-hospitalized
この総大会で、エネルギー使い過ぎたのか??
救われるを目標に、想定外を想定してなかったんではあかんのではということで、やはり聖文の研究が鍵になろうかと・・・・
たとえば、one mighty and strong, これは
「07 「主なる神であるわたしは、一人の力ある強い者を遣わす。その者はその手に力の笏を持ち、光を衣としてまとい、その口は言葉、すなわち永遠の言葉を語る。また、その腹は真理の泉である。わたしが彼を遣わすのは、神の家を整えるためであり、また神の律法の書に名前が見いだされ、その父とその子孫の名前が登録される聖徒たちの受け継ぎをくじによって手配するためである。
08 しかし、神から召されて任命されたその人は、神の箱を支えるために手を伸べると、まぶしい稲妻に撃たれる木のように、死の矢によって倒れるであろう。
09 また、覚えの書に記されていない者は皆、その日に何の受け継ぎも見いださず、裂かれて、その持ち分は不信仰な者たちの中に定められ、そこで泣きわめき、歯ぎしりをするであろう。」
10 これらのことを、わたしは自分から言っているのではない。それゆえ主は、語られるとおりに果たされる。 」(教義と聖約85)の予言、この解釈は20世紀はじめくらいに変更があったとか・・・
第2のエンダウメントには似て非なるものに「05 (1843年5月17日)いっそう確実な預言の言葉とは、人が聖なる神権の力によって永遠の命に結び固められたことを、啓示と預言の霊によって知ることである。
06 人が無知で救われることは」があったり
まぁ、いろいろ信仰もって研究していかないとということでしょうかねぇぇ・・・・
また、一説によれば教会幹部はすでに、第2の洗い(?油そそぎ、?エンダウメント)という一般に未公表の神殿儀式を通じ、永遠の命、昇栄に既に(夫婦として受けるので)結び固められてるという話。ふつうエンダウメントでは忠実であればという約束まで。時々、使徒が各地に訪問の時、ローカルの指導者ご夫婦もこの儀式に推薦され預かってるとかって。
また、十分の一の目的は、貧しい人のためとは、霊感訳でアブラハム、メルケゼデクの時代の(霊感訳創世記14:38)とはありますが、今日、十分の一や奉献といえば、この世に神の王国・教会の拡張建設発展維持費用に使われる目的となっていてそのへんも教会トップが責任もって管理しているということで、現況問題なしみたく理解されてることなんではと・・・
まぁ、比較すれば大会社のCEOとも見劣りしない平均的な資産額なんでしょうかね。
「13 このようにしてあなたがたは、神の御心の御手があなたがたにほほえんで、たくさんの富を手に入れた。・・・19 キリストに望みを抱いてから富を求めるならば、富は得られるであろう。・・・」
義人であって、この世のものにも恵まれたんだと理解されるのでしょう。
大洪水以前の人々は、愛情とかってあんまりなかった人々だった??
「32節 主はエノクに言われた。「これらあなたの兄弟たちを見なさい。彼らはわたし自身の手で造られたものである。わたしは彼らを創造した日に、彼らに知識を与えた。また、エデン園で人に選択の自由を与えた。
33節 わたしはあなたの兄弟たちに語って、互いに愛し合うように、また父であるわたしを選ぶようにという戒めも与えた。ところが見よ、彼らは愛情がなく、自分の血族を憎んでいる。
34節 わたしの憤りの火は彼らに向かって燃えている。わたしは激しい憤りをもって、彼らに洪水を送ろう。わたしの激しい怒りが彼らに向かって燃えているからである。
」(モーセの書7章)
http://theboard.byu.edu/index.php?area=viewall&id=26688」
「ハイラム・スミスは、
「われわれが見るどの星も一つの世界であり、人が住んでいるのだ、この地球の世界が人々で住まわれてると同様に。太陽にも月にも人が住んでいる。・・・諸々の星にもこの地球同様、人が住んでる。」(1843)と説教で。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22Every+star+that+we+see+is+a+world+and+is+inhabited%22&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
」
エライザ・R・スノウはジョセフの言としてエノクの民は地球から分かれた(d&c45:12)星に住んでいてその星は金星だと話したとのこと。
飛鳥昭雄氏の本に古い天文図には金星がなく、紀元前2000年(?3000年)くらいのから金星が入ってくるとのこと。『衝突する宇宙』ヴェリコフスキーに、少々、金星について神話の章が。
失われた10支族も地球から分かれた星に(北アメリカ大陸の北端あたりから)という話。
>共産主義が成功するためには、指導者も人民もイエス・キリストのようでなくてはならない
共産主義は人民が善人であることが前提になっていると私もきいたことがあります。
つまり「日の栄」では自由でかつ義人のみの社会なので共同制度や奉献の律法が遵守可能なんでしょうね。
自由意思を差し置いて理想を押し付けようとするとまさしく悪魔の主義となるのでしょう。
教義と聖約の中にも何人かの名前が出てきます。
そして、宗教組織を作り運営し、モルモン書も出版し、となるとますます金が要る。教会堂や神殿の建設にはなおさら金と労働力が必要です。
貧乏な青年ジョセフが、資金を得るのは、他人の懐をあてにするしかない。その結果が「共同制度」であり「奉献の律法」だったと考えるのが自然だと思います。
そこに参加し出資した人たちのすべてが、信仰心に基づいていたのか?と言うのは、疑問が有りますね。
当時の社会的状況は詳しく知りませんが、西部開拓時代、となると、個々の家族で頑張るより、複数の家族で、集団としてまとまった方が効率が良く、生き残りやすかったのではないかと思います。
それは、人類の歴史で、部族や国家が出来、その民衆の心を統一するのに、「宗教」が有った事と同じじゃないでしょうか?
ただ、問題なのは、「人間は集団でしか生き残れない」と言う現実と「人間は個々に自由に生きる権利がある」と考える理想との間に矛盾が有る事です。
そこで、現在では、ほとんどの集団(国家)が「緩やかな縛り」によって運営されています。
ただ、ジョセフが作った集団が、現在の国家と違うのは、「その集団の長がジョセフ自身でなければならなかった」と言う点でだと思います。
そして、自分が生きて行くためには、その集団の資産管理をジョセフ自身が行う必要が有った。
そもそも「奉献」と言う言葉は、単なる「集団への経済的貢献」ではなく「神(宗教者)に対する奉納」を意味します。
宗教を基盤とした集団では、多くの場合、「集団への貢献=神への献身」とされます。
ユダヤ教でも、神殿に納められたものは、祭司を養う為に多くが使われていただろうと推測されます。
最後に、ユートピアの様な理想的集団が存在しえないのは、「平等」と言うのが非常に難しいからです。
「配分における平等」は比較的簡単ですが、「貢献における平等」はすごく難しい。
どの集団でも、「多く持てる者は多く出す」とは言いますが、その根拠は何処にも無いのです。
今の自由主義経済でも「なんで、金持ちはもっと出さないのか!!」と言う貧乏人の思いと「なんで、貧乏人は一銭も出さずに受け取れるのか!!」と言う金持ちの思いがぶつかり合って居ます。
ここのところを、為政者は、「神」「信仰」「次の世での幸福」、あるいは「人間愛」「思いやり」等と言う言葉で、説得しようとしたのですが、どうも成功しては居ないようですね。
「ブリガム・ヤング(June 1, 1801 – August 29, 1877)は、次の10月総大会で、名誉の退位を行って、息子ジュニア(使徒)に、管長職を譲位、つまり、世襲制を目論んでたというのが・・・ブリガムの死後、ほぼ教会全財産が、ジュニア(使徒)らに継承されることとなり、次の管長となるジョン・テイラー他たちが、破門すると脅して、どうにか、ジュニアらから教会財産を取り戻したんだとか」
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E5%AF%8C%E3%82%92%E6%84%9B
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/41863deaea10dc9b549bd9398330c482
「ブリガム(1801-77)は、1832年バプテスマを受けると、同年、兄や弟たちと共に、ニューヨーク州にある家を発って、ジョセフに会うべくオハイオ州カートランドに向かったんですね、で、予言者ジョセフの家で・・・・で、何かブリガムに祝福を与えましょうということになって、ブリガムの頭の上に手をおいてジョセフの口から出た言葉は、ある期間(ある時期になると)、ブリガムは教会を導く者となるであろう、が、しかし、彼には一つだけ危険な側面があるだろう、彼の富への愛着が、それであろう(危険や誘惑につきまとわれてしまう、何故なら、彼の富を愛する性質の故)ということです」
だから必ず貧富の差が発生するのですね。
さらに現代社会は立場の弱い者から生産物の多くを搾取することで成り立っています。どうしようもないですね。
うまくいかない原因も聖書に書いてあって、次の使徒行伝5章に、
ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、 共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。 そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。 売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。 アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた
とあります。 アナニアは奉献をためらったが、集団の中で信仰があるように見せかけたかったということだったのでしょう。
ペテロは寄付しない自由もあったのになぜだ?と述べています。
JSの時代は初期にピーターホイットマーとかマーティンハリスなどの大金持ち系の教会幹部がいてくれたおかげでJSはモルモン書の初版本の印刷にやっとこぎつけたりしたのですが、JSの言動に不信感を持ったりもしたようですが、やはり貢献度に比例した発言権が持てない奉献の律法制度が割り切れなくて、相次いで離反していったようですね。
>イエスの時代にもどこかの一派(クムラン洞窟のあたり?)は共同生活を送っていたと聞いたことがあります。
信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。
のはペテロを受け入れたエッセネ派の信者らのことだったのだろうといわれていて、聖書ではイエスキリストのおかげで奉献の律法がこの世に到来したような書かれ方ですが、学者の言うことにはエッセネ派はイエスの降誕の200年前から存在し、バプテスマのヨハネもイエスもエッセネ派に属していたのだろうと述べています。
エッセネ派は、既得権益であるパリサイ派から分派して反対する集団で、キリスト教でいうところのプロテスタントのようなものだったようです。
原始キリスト教の奉献の律法がうまくいったのは、そのような伝統的な準備があってのことで、JSの場合はこれといった支持母体もなくて1代でそれをやろうとしたので圧倒的に分が悪かったのだと思われます。
日本では見たことがありません。
新約の時代、どの程度機能していたか存わかりませんが、定着しなかったような気がします。
ジョセフの時代も同様ですが、神の命にもかかわらず、どの時代でも定着しなかった理由はどこにあるのでしょうか?
イエスの時代にもどこかの一派(クムラン洞窟のあたり?)は共同生活を送っていたと聞いたことがあります。
いろんな時代に見られますが、理想の究極であり、人間にとってはかなり高度な要求と思います。
それを行おうとしたジョセフのアイデアに回復の理想を見ることができます。
このような形態はジョセフの時代より、西部に移住した時の方が成功する可能性が高いとおもうのです。
閉鎖的な社会にのみ適合する制度と感じます。
あらゆる時代、世界の各地でそうした制度が行われたことがありますが成功した例が全くないですね。
だから理想郷(ユートピア)なのでしょうか?
ちなみにユートピアの作者はトマス・モアです。
残念なことですが現在は貧しい者に分け与えようとすると『自立を妨げる』って怒られます・・・第三ニーファイのような社会が実現すればいいですね。ただそれは経済学的には成り立たない社会だと思いますが。
信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。 使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。
彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、 使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。
第三ニーファイもそうだったとされているところから、最初あったはずの福音が回復されるならば、こうあるべきというイメージがJSの脳裏に焼きついていたのは、自然の流れだったと思われます。
私達改宗者も振り返って考察し、判断できる立ち位置に届き始めたということでしょうか。
アメリカの中にあって一つの小さな独自の世界を作り上げていると感じています。
神学者ティリッヒが宗教に似たもの(従順と献身を求める組織)としてナショナリズムとコミュニズムを挙げていますが、宗教を基本としてその二つを取り入れているように感じます。
ジョセフ・スミスは先見の明があった人だと思います。
共同制度は頓挫しましたが、閉鎖的で堅固な宗教社会を作るためには方向性は間違っていなかったと感じています。
共産主義が成功するためには、指導者も人民もイエス・キリストのようでなくてはならないという発言をラジオで聞いたことがあります。
このような全き献身を成功させるために、普通の人では無理なのでしょうね。
平等の理念は一見理想的に思えますが、みんな生きるためには自己を犠牲にすることに限界があるのでしょうか?
当時の状況を充分に理解することができませんが、ジョセフの理想はなかなか優れたものであると強く感じさせられます。