普通、カリスマと言えば、「超人的・非日常的な資質」、「人心をつかむ傑出した、統率力のある」人を指す。
しかし、コリント人への手紙(第一、12:1, 4, 31など)に出てくる「賜物」の原語は意外にも charisma で、聖書では「恵みの賜物」、「与える者、神の側が恵みを及ぼして賦与される賜物」という意味である。具体的には、「聖霊の働きにより信じる者に与えられる賜物」である。[カリスマはカリス<恵み>からきている。]
英語で言うカリスマ(charisma) には、この元の語義が含まれていて、日本語が持つニュアンスとは異なって、広い意味で使われることがある。
今回の総大会で、ソルトレークトリビューン紙がウークトドルフ副管長の説教を紹介するのに、彼はカリスマ性のある教会幹部であると書いていたのは、超能力の持ち主といった狭義の意味ではなく、広い意味で、暖かく説く賜物に恵まれ、多くの教会員の心をつかんでいる教会幹部と表現したものと受けとめた。
しかし、コリント人への手紙(第一、12:1, 4, 31など)に出てくる「賜物」の原語は意外にも charisma で、聖書では「恵みの賜物」、「与える者、神の側が恵みを及ぼして賦与される賜物」という意味である。具体的には、「聖霊の働きにより信じる者に与えられる賜物」である。[カリスマはカリス<恵み>からきている。]
英語で言うカリスマ(charisma) には、この元の語義が含まれていて、日本語が持つニュアンスとは異なって、広い意味で使われることがある。
今回の総大会で、ソルトレークトリビューン紙がウークトドルフ副管長の説教を紹介するのに、彼はカリスマ性のある教会幹部であると書いていたのは、超能力の持ち主といった狭義の意味ではなく、広い意味で、暖かく説く賜物に恵まれ、多くの教会員の心をつかんでいる教会幹部と表現したものと受けとめた。
The charismatic German, second counselor in the faith's governing First Presidency, went on to say, "I don't believe God wants his children to be fearful or dwell on the evils in the world."
"
http://www.sltrib.com/home/5130200-155/monson-announces-plans-for-temple-in
カリスマのあるドイツ人の管長会第2顧問の・・・
今回のウークトドルフ副館長の話の中で、リバイバル(大覚醒)の事が出てきましたが、本当にジョセフ・スミスは、リバイバルの影響を受けたのでしょうか?私はずっと疑問に思っています。
もしそうなら、リバイバルの歴史の中にジョセフ・スミスの名前や、モルモンの事がもっと出てきてもいいはずなのですが、出てきているものを見かけません。
NJさんは、リバイバルとジョセフスミス、モルモンとの関係をどう見ているのでしょうか?
以下NJさんへの質問ではありませんが
話の中で「リバイバル運動の牧師たちが、恐怖(恐れ)によって導こうとしていた」と言う批判的な表現が有りましたが、その様な傾向はモルモンにも有るのではないでしょうか?
特に、ジョセフ・フィルデイング・スミス大管長の話や著書の中には、恐怖をあおるような内容が多いように感じます。(例えば「背教者」に関する見解等)
より正確な情報をシェアさせていただきます。
1818年~1824年の間に、パルマイラ周辺で行なわれたリバイバル運動の集会の記録は残っているそうですが、ジョセフの住んでいた町で集会があったという記録は無い、ということのようです。
昨日の投稿は不正確な表現でありましたので訂正させていただきます。
1820年6月が。
http://en.fairmormon.org/Joseph_Smith%27s_First_Vision/Methodist_camp_meetings
キャンプ・ミーティング https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0
そうですよね・・・。
となると、ジョセフスミスの見神の時期は教会の主張する歴史から、微妙にずれてるんですよね。
やっぱ、後で思いついたのかな???
野外集会についての記事ではなく、いつ頃から始まったとかっては不明なわけで。当時のローカルの新聞とか精査したんでしょうけど、まぁ、そのくらいしかなかったんでしょう。
"Historians refer to the region as “the burned-over district” because preachers wore out the land holding camp revivals and seeking converts during the early 1800s.6 In June 1818, for example, a Methodist camp meeting took place in Palmyra, and the following summer, Methodists assembled again at Vienna (now Phelps), New York, 15 miles from the Smith family farm. The journals of an itinerant Methodist preacher document much religious excitement in Joseph’s geographic area in 1819 and 1820. They report that Reverend George Lane, a revivalist Methodist minister, was in that region in both years, speaking “on Gods method in bringing about Reformations.”7 This historical evidence is consistent with Joseph’s description.
"
https://www.lds.org/topics/first-vision-accounts?lang=eng&old=true
父と母が毎週別々の宗派のキリスト教会に集っていたというのは普通の家庭ではありえない事態ですし、聖書の解釈をめぐって論争していたのであれば、息子に影響しないはずがないですよね。