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3月7日京都で開かれた講演会で、同志社大学の石川立(りつ)神学教授は聖書を読み慣れてくると、踏み固められた道を滑っていくようにスラスラ進むようになって、むしろ大事な地面の下にあるものを味わうことなく通り過ぎてしまう、そこで立ち止まって耕す必要が生じる、と語った。それは翻訳聖書の場合、翻訳をし直すことである、と言う。日本語の特定の意味に偏して固まってしまうことがあるので、原文に照らしてほぐし豊かな土壌にするのである。
日本聖書協会は2018年末には、新しい翻訳(「標準版」)を出す予定である。「また、新しい翻訳が出るのか」という反応も聞かれると伝えられる。新しい訳を出版する理由として三つ挙げられた。一、明治元訳(1887年)から大正訳(1917年)まで、また口語訳(1955年)から新共同訳(1987年)まで、それぞれ大体30年の間隔であるので、そろそろ次の訳が登場してもよい時期である。二、聖書学、原典研究、翻訳理論が進展している。日本語も変化している。三、新共同訳見直しの要請が出ている。例、動的等価の名残があり、「解りやすく」が説明的で冗長になる傾向がある、など。
新共同訳が一般の読者に読みやすくを目標としたのに対し、次の訳はキリスト教信徒を対象に、礼拝での朗読にふさわしい、格調の高い日本語を目指している。パイロット版が出ていて一般の人たちの声を寄せることができる。私も昨年一部フィードバックを寄せさせていただいた。原語はハードルが高いので、英語、日本語の訳が新しく出て、複数参照できることは大歓迎である。
なお、講演は日本聖書協会が「聖書事業懇談会・京都」と題して主催したもので、同志社大学今出川キャンパスで行われた。講師石川立氏は神学部長、神学研究科長であり、新訳の翻訳者兼編集者である。
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予言といえば、大本教の「天に王星の顕はれ、地上の学者智者の驚嘆する時こそ、天国の政治の地上に移され、仁愛神政(みろく)の世に近づいた時なので、これがいはゆる三千世界の立替立直しの開始である」という予言が成就して学者知者さんらが驚嘆したらいいななんてね。
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%A4%A7%E6%9C%AC%20%E5%A4%A9%E3%81%AB%E7%8E%8B%E6%98%9F
それは、ジョセフ・スミスが、当時の聖書の文章をそのまま、「もっとも正確な書物(モルモン書)」に使ってしまったからだ。
モルモン内部での常識は、「モルモン書は神の言葉を最も正しく書き表している。」とするもので、つまり、モルモン書がカノンになってしまっているので、その時代に応じた新しい解釈が出来なくなっている。
その時代に応じて、生ける預言者から啓示を得られるという、モルモンの売りが、皮肉な事に、モルモン書によりブレーキをかけられている。
ま、新し翻訳の聖書を買う事が必要ないので、金銭的には助かりますけどね(笑)
いずれにしても、テキストや手引き、預言者や教会幹部の言葉が聖書解釈に最も優先されるモルモンでは、現代ン最新の研究に基づいた新しい聖書解釈などは、全く不要です。
下手に耕すと、田んぼに穴が開くって怒られるかも?(笑)
「予言者」と「預言者」では意味が違うのだ問題とか・・・
原文では同じなのにね
でも「教義と聖約」は「聖」のほうがいいかな、意訳だけど・・・一発で変換できないけどね
そうですか、聖書の新しい翻訳がでますか。
礼拝での朗読にふさわしい・・良いと思います。
口語訳に戻るかんじなのでしょうか。
モルモン書の現在の訳もそうですが、リズム感に欠けるというかスッと入ってこないというか。。
モルモン書の次の訳も格調の高くお願いしたいです。
ただし翻訳は翻訳者の思想に流されやすく、共同作業は権威に流されやすいものなので、結果として出てきた新しい聖書の言葉が、モルモンを容易に攻撃しやすい方向にごまかされはしないか、その点が心配です。