広重「東海道五十三次」の秘密
對中如雲(たいなかじょうん)著
(1995年刊)
歌川広重の「東海道五十三次」は昔、永谷園のお茶漬け海苔に入っていた
五十三次カードの端の三角の応募券を(15枚だったかなあ)集めて、
3回ぐらいもらったことがある。私たちのころは確か、安藤広重と習っていた
と思うが、安藤の名は使ってなく、歌川広重の方が正確らしい。
最近、古文書がらみで浮世絵の絵が載ってる本や資料を探していたところ、
司馬江漢の洋風画をモデルにしたものとの説があるらしいとの本を見つけた。
これに対してのTV番組もあったらしく、
「江漢作と称する画帖そのものが、後世たぶん昭和以降に描かれた贋作」
とまで断言しているサイトもあった。(いつの記ものか不明)
しかし、其の後のものらしいサイトがあった。
江漢/広重東海道五十三次の研究
2004年/06月版
原文資料 江漢の冨士論、写真論
~より以下抜粋~
○画の妙とする処は、見ざるものを直に見る事にて、画はそのものを
真これを見んとするに画にあらざれば、見る事能わず。
・・ただ筆意筆法のみにて冨士に似ざれば、真に写し画の妙とする事なし
之を写真するの法は蘭画なり。蘭画というは、吾日本唐画の如く、
筆法、筆意、筆勢という事なし。ただそのものを。、
山水はその地を踏むが如くする法にて・・真に写さざれば,画の妙用とする処なし。
富士山は他国になき山なり。写真鏡という器有り、
之をもって万物を写す、故にかって不見物を描く法なし。
唐画の如く。無名の山水を写す事なし。
【写真鏡(ドンケルカーモル)について】
1813年6月12日 山領主馬あて書簡
この度和蘭奇巧の書を京都三条通りの小路西に入、吉田新兵衛板元にて出来申し候、
その中へ日本勝景色富士皆蘭法の写真の法にて描き申し候、日本始まりて無き画法なり。
江漢の引退事情 (江漢後悔記)
準備が進んでいた「和蘭奇巧」の出版の話が消えてなくなった。
江漢の人気が急落し、出版しても売れないと版元が判断したのであろう。
和蘭奇巧の挿し絵用として用意していた「和蘭写真の法」(写真鏡)による
日本勝景の原画が転用され、洋画に描き直されてこの53次画集になったのである。
「まえがき」で問題提起された
①広重は東海道を旅行したのか
②再刻版や異刷りが多い。
③東海道名所図会からの借り物が多い。etc
などよく研究されたものだなあと感心しました。
まだ、すべて見終わったわけではないけれど、とても面白かったです。
結局は歴史もだけど、こういう芸術作品などの見分けはどんなに調べて研究しても、
今日現存する資料に基づいたものであって、また新たなものが出てくれば変る事実
があるかも知れないと言うことだけは確かなことでしょう。
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