さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

あなたの周りの般若

2011年09月18日 14時40分01秒 | 神・仏教・民俗の話

【一】 音が観える話

千宗旦と落ちた椿の花

※ 千宗旦(せんのそうたん)・・・1578~1658
    江戸時代前期の茶人、利休の孫
    表千家、裏千家、武者小路千家の基礎を固めた人

京都の安居院(あぐいん)というお寺の住職は宗旦と仲良し。
この寺の椿はめったに花を咲かせないことで有名でした。
ところがある日、この椿が珍しくいくつか花をさかせました。
そこでお寺の住職、何を思ったのか、そのうちの一枝を
ポキンと折って小僧さんを呼んで一言。

「ご苦労だが、咲かないと言われている椿が珍しく花をつけたから、
これを宗旦さんの所へ持って行って、茶花にしてもらいなさい。」

小僧さんも、初めて見る安居院の椿、両手で大事に持っていたものの
石につまづいて転んだ拍子に、花が取れてしまいました。
あわてて花を拾ってももう元には戻りません。
困ったなどうしょうか迷った挙句、宗旦さんのところへ行き
正直にことの次第を話しました。    

宗旦さんは椿の花を受け取ると、優しく言いました。
「小僧さん、貴方に怪我が無くて何よりでした。ご苦労様でした。」
そこまで言ってきらりと目をひからし、何かを思いついたらしく、
まだ緊張した小僧さんに言いました。
「小僧さん、お寺へ帰ったら、今日は日がいいから午前様にお茶を
一服差し上げたいので、お越しいただくようお伝えください。」

「えっ?」
小僧さんは吃驚!折角内緒にしてもらおうと思ったのに・・
しかし、仕方なく寺へ戻り伝えました。
「宗旦さんが、お茶をいかがでしょうとおっしゃっておいででした。」
「おおそうか、せっかくのお誘いだ。よばれることにしよう。」

やがて、宗旦宅へ到着した住職を意味ありげに迎える宗旦さん。
「ようこそおいでくださいました。さあさあどうぞ。茶室へ・・」
そこにあったのは、見事に活けてあった椿の枝と、
床に落ちた椿の花。

動揺を抑えつつ住職、心を無にせんと座し、黙然することしばし。
やがて静かに目を開いて一言。

「じつに見事ですな。」
それを聞いて、宗旦さん、目を細めて
「そうですか、ありがとうございます。」

 

 

お話はここまでで
ネット検索してみるとねぎらいの気持ちとか
全てを生かすという教えとか出てきたんですが、
この茶室には見事に「♪ぽとり♪」という音が活けてあった。
今回はつまり、
ポトリという音を聞いたというお二方、
このときの二人のことを、

 ≪音を観る人≫ 
“見”ではなくて、視野だけに限定されない“観”なのだ
つまり観音さまというのです。この話を聞いてから著者は、
自分の周りにいらっしゃる仏様を探すようになったと書かれています。

どうでしょうか?
あなたの周りにもこんな観音さま、
もしかしたらいらっしゃるかもしれませんね~♪

 

 

『般若心経 心の大そうじ名取芳彦:参照

 

 

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (忠太)
2011-09-19 04:31:25
いい話ですね。
住職も偉ければ、宗旦さんも偉い。しかし、誰より立派と感心したのは、小僧さんの正直さでした。“ぽとり”の音がユーモラスなのも、この音を最初に観たのが小僧さんだからでしょう。

いい話、ありがとうございました。
返信する
忠太さんへ♪ (obichan)
2011-09-19 19:50:05
コレはまだ信仰心の無かった著者が、
“初めからから仏様ありき”“祭られている像”だと思っていたふしがあったけれど、
そのときから生活の中に、周囲の人々の中に「仏」を探すようになったとおっしゃっています。
そしてやっと人や物に対して素直に合掌ができるようになったそうです。

正直さ、労う優しさ、全てを察してぽとりを観る寛大さ…
「仏」を感じる心や様子って、そういえばそんなものだなあって共感しました。

コメント、ありがとうございました。
返信する

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