【 扶 桑 】
その語源は中国の伝説で、
東海の日の出づる所にある同根から
雄木と雌木が生えた神木を「扶桑」または「扶木」という
事に由来する。これに基づいて、東海の日出づる国である
日本を扶桑国と美称するようになったらしいです。
『大和』=『扶桑』=日本の美称化
戦後生まれの私は「大和」は知っていても、
日本を「扶桑」と呼ぶというのは全く知りませんでした。
共に帝国海軍が保有した超ド級戦艦だといいます。
しかも、その時代は扶桑の方が良く知られていたようです。
(「日出る国の哀姉妹~戦艦扶桑・山城~」様HPを参照)
って「何、これ~?」というほど、凄い形でした!!
まるで建て増し住宅のように、後から後から上へ上へと
付け足していったものだから、まるで積み木のような
不安定な外見になってしまったそうです。
(1/700戦艦扶桑のギャラリー)↓↓をリンクしてます。
http://nabeck.web.fc2.com/katosama.htm
2008年2月にご覧になった、
この戦艦と縁ある方のお話が載っています。
戦争の残痕は、今なお続いています。
また、『山海経』にある扶桑(扶木)の記録
「下に湯谷がある。湯谷の上に扶桑がある」
という部分から、
エジプトの『死者の書』と同じものではないか?
という話が書かれているのが、下のリンクのページ。
(↓↓)
http://www.chinjuh.mydns.jp/sengai/mito/m004.htm
古代エジプトにおいて、人は死後も魂になり霊界で生き続ける
と信じられていた。人が死ぬとどこへ行き、どんな暮らしをする
のかを描いたのが『死者の書』と呼ばれるもので、
墓石やミイラをおさめる棺に刻まれた。
霊界で途方にくれないよう、死者の心得として記したのだろう。
その『死者の書』に、『山海経』にも描かれた風景が存在する。
~「中略」~
中国では、仙術を学ぶことで、生きたまま神仙の世界に
行けるという考えがあるから、天界への入り口もあえて
異世界のこととはせず
「西へむかっていくつ山を越えるとたどり着ける」
と説くわけだが、魂を迷わず楽土へ導くための
指南書としては、どちらも同じである。
遠い昔
『山海経』とエジプトの『死者の書』は、
同じ本だったのではないだろうか?
(引用、部分引用有)
山海経動物記・表紙
(少し興味があるのでリンクしました)
はるか昔、日本は中国から見れば、
世界の東の果てにぽつんと浮かぶ島に見え、
扶桑と太陽の物語が伝説と残った。
それに似た話がエジプトの伝説にもあり、
人類皆兄弟というのは、
こういうところからも言えそうだ。
そして、この「扶桑と太陽の話」から、
なんと!!
家紋≪日月紋≫と関わってくるのである。
おお~♪
やっと、家紋に戻ったー!
ということで、
【 家紋≪番外編2≫扶桑 】
おしまい。。。