椿紋
(つばきもん)
縁起の悪い「椿紋」
ツバキは、春を飾るまことにあでやかな植物。
なので昔からも着物や帯、調度品などに良く見かける
文様であるが、いざ家紋となれば見当たらない。
椿の花は、突然「バッサリ!」と落ちる。
これが、人間の首が落ちるに似て武士には嫌われる。
家紋にも採用されないゆえんなのだそうだ。
ところが、
山脇東洋という幕末の医者がこれを用いている。
この人は、日本で最初に人体解剖をした有名な人。
今の京都市中京区六角大宮西の六角獄舎で、
14人(男10人、女4人)の首の無い刑死体を腑わけした。
宝暦4年(1754)、彼が五十歳の時であるが、
西洋人の解剖図によく一致しているので、深く感動した。
五年後にあらわした『蔵志』には、その感想が載っている。
昭和45年発行 歴史読本臨時増刊
歴史百科シリーズ『日本紋章総覧』
「家紋採集の旅」 丹羽基二:記 (特別読み物)
~~~ より以下引用 ~~~
山脇家は代々医者であるが、家紋は千葉椿(八重椿)紋である。
ところが、この千葉椿の実形が未だにわからない。いわば幻の
紋だ。ところがあるとき、教え子の結婚式で、一席をやって着席
すると、隣席の山脇さんという人が、心安く話しかけてきた。
いろいろ伺ってみると、この人が山脇東洋の末孫。
いま、芸大の教授をしていらっしゃる山脇洋二先生だ。
「お宅の千葉椿紋は、カタチがわかりますか。」
「確か、古いつづらか何かあったはず。探してみましょう。」
ということで、頂いたのが下図の「千葉椿」。
千葉椿紋
花弁を見ると十四枚、首を切られた十四人の数と同じ。
この十四人の戒名の刻まれた墓は今、京都の誓願寺に
あるが、その一つに「利剣夢覚信士」とある。首を切られた
人たちが自分の迷いを覚ましてくれたという意味か。
千葉椿は、
東洋の人体解剖を記念した創作紋ではなかろうか。
~~~引用終わり~~~
椿紋で検索すると、
【椿紋の由来水天宮】と出てきた。
第八十代天皇の高倉天皇と建礼門院の皇子として、
治承2(1178)年にお生まれになり、生後まもなく立太子となり、
数え三歳にして第八十一代天皇に即位された安徳天皇。
歴史には安徳天皇は、御年わずか五歳の生涯を閉じたと
記述されているが、言い伝えとして、官女の按察使局に
守られて筑後に潜幸されたと久留米に残っているらしい。
その安徳天皇と玉江姫の恋物語の由縁から、
椿の花が神紋になったとされる。
画像は「水天宮」のHPを参考にしてください。→ 「椿紋の由来」