久留子紋
(くるすもん)
もともとは十字架の形からデザイン化されたもの
キリスト教のシンボル
久留子はポルトガル語のクロウズスで十字架のこと。
キリスト教が我が国に伝来したのは、天文18年(1549)。
ポルトガル人フランシスコ・サヴィエルが鹿児島に上陸して以来
わずかの間に信者は数十万に及んだ。上は大名から下は百姓
町人に至るまで、当時やたらに胸で十字をきったらしい。
坊主の横暴を憎んだ織田信長の腹いせもあるらしいが、
当時京都の南蛮寺をはじめ、近江安土、周防山口、豊後府内
などにはキリスト教の寺院、会堂、学校等が建ち並び、大いに
この新興宗教が流行した。これらの寺院の屋根瓦や鐘、墓碑
などには十字架が据えられ、高々とキリスト教が宣布された。
また、彼らは武器、馬標、旗印、陣幕にも日本の家紋と同じ
ように使い、自分達の信仰を誇示した。しかし、それはほんの
わずかの間で、やがて厳しい弾圧の時代に転じた。
「日本西教史」によれば、慶長15年大坂籠白の兵士に
十字架の旗を用いたものがいる。これは、切支丹の兵士
が禁令を解いてもらう約束で大坂方に味方したものである。
計画は豊臣氏の敗北で水泡に帰したが、それから23年後の
寛永15年(1638)島原・天草島に再び十字架の旗が翻った。
徳川氏が徹底した鎖国主義をとったのはこの後であるが、
それでも秘密に信仰した隠れキリシタンもいた。
マリヤを観音様に、十字架を轡紋十の字紋と偽ったり
して密かに信仰していた。
【 形 】
原形・・・十字
マルスター形(十字の先に切り込みがある)・・・切り竹久留子
アンドリウス形(※直〈筋〉違(すじかい))・・・丸に直違
花形(先が錨のように三分されているもの)・・・花久留子
※桛(かせ)形や丸で囲ったもの・・・丸桛木、丸に桛木(=中川久留子)
祇園守のように十字架の一部を取り入れた
ものや、島津氏の「丸に十文字」と
外見はなんら変わらないものも存在した。
花久留子 四つ子持ち久留子
切り竹久留子 中川久留子 変り花久留子菱
(丸に桛木)
≪ ※ 直違(すじかい) ≫
筋違ともかく。二本の線を斜めに交差させたいわゆる×印で、
違棒ともいう。普通は建造物の柱の間に入れた材木をさすが、
江戸時代領地や財産の没収刑の目印に用いられた。
交差する線の面白さが紋章の起こりとされている。
≪ ※ 桛木(かせぎ)≫
かせぎとは、つむいだ糸を巻き取る「エ」字形糸巻きのこと。
桛木紋は、簡略化したカセギを縦横に重ねたもので
キリスト教信仰をカムフラージュする目的でも用いられた。
馬の轡に煮ているので轡紋とも言う。
いつもお世話になっている↑↑家紋ワールドさんです。
いつもありがとうございます。
戦国時代、摂津地方の豪族
池田、高山、中川、伊丹、能勢、枚岡
の諸氏が教徒として十字架紋を用いた。
その他、備前、因幡の両池田氏
筑後の立花、有馬氏など。
『家紋大図鑑』(秋田書店):参照
『見る知る楽しむ 家紋の辞典』 真藤建志郎著:参照
。氷彫刻を見てもらいブログにまで載せていただきありがとうございます。
地元のみで20年氷彫刻の仕事をしてきましたが昨年からホームページをひらきました。おかげでこんなうれしい出会いをさせてもらえ感激しています。時々訪問させてもらいますね。
当ご本人様にご訪問・コメント頂き感謝感激致しております。
氷で形を作るのは北海道などで毎年みたり聞いたり
してきましたが、二橋さんの技にはビックリでした。
自分だけの記念に作って頂いた物は世界一のものになるのも素敵ですね。
素敵なものは沢山の方に知ってもらえると嬉しいです。
これからも頑張ってくださいね。
当ブログは日記は主に心に残したいこと、
そしてあとは趣味のことばかり書き記しております。
誰かに役に立てたり喜んでもらえればとっても嬉しいですね。
また、いつでもお気軽においでくださいませ。
これからも宜しくお願いします。
本当にありがとうございました。