<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今日から2月。極寒の2月です。

2025年02月01日 06時42分21秒 | Weblog

おはようございます。今日から2月。1月正月が過ぎてしまいました。歳月矢の如しです。

今日は終日雨降りのようです。まだ降っていませんが、すぐにも降り出しそうです。

気温は7℃。寒いです。室内でも手袋をしています。親指と人差し指の先に工夫がしてあって、スマホの画面をスワイプできます。

7時15分が今日の日の出の時間です。まだ部屋の障子戸を開けていません。しかし、雲が大地を覆っているから、光が届きにくいでしょう。

今日をいい日にします。いい日にしてにっこりします。いい日にしてくれているから、わたしはそれをそうだとして肯くだけですみます。

 

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外が薄暗い。

2025年01月31日 17時58分52秒 | Weblog

夕暮。午後6時。外が薄暗い。

午後5時過ぎまで畑に出ていました。いつものように草取りをしていました。

こころが安らぎました。

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家内が針仕事をしてくれた。

2025年01月31日 10時53分48秒 | Weblog

ズボンの裾を上げてもらった。老いて行くにつれて身長が縮んで行っているみたい。10cmほども短くしてもらった。

家内が、ゆっくり落ち着いて、針仕事をしてくれた。針箱をひさしぶりに見た。

もうすぐ針供養。2月にこの行事があった。もういまはないのかもしれない。

小学生の頃は、みな着ている衣服に「接ぎ」がしてあった。それが普通だった。破れたところを繕ってあった。修繕してある衣服を着ていて恥ずかしくもなんともなかった。むしろ母の愛情を感じて誇りたい気持ちすらあった。

いまはもう愛情の籠もった「継ぎ接ぎ」を着ている子供は見掛けない。大人にもいない。

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どっちに傾けてもいい。自由。好きにしていい。

2025年01月31日 10時41分50秒 | Weblog

ありがとうありがとうありがとうを言う。言えば言うほど、ほくほく、ほかふかする。これにあたたまる。

「ありがとうの中で暮らしていられる己」という自己設定をする。

この自己設定は悪くない。自己をバルーンにしてくれる。感謝がガスバーナーの役目を買って出る。浮き上がらせる。

感謝と不平不満。どっちにだって傾けることは可能。好きにしていい。

不平不満の中で暮らしているよりも,ものごとを感謝している方がラクチンである。

朝が来ている。ありがとう。空気がおいしい。ありがとう。差し込んでくる光がまばゆい。ありがとう。今日の空はやけに青いぞ。きれいだなあ。見ているよ。空さん、ありがとう。

ありがとうが言える自分がいる。ここまで歩いて来ている。ありがとう。

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春になれば、花壇は花園になる。

2025年01月30日 17時48分50秒 | Weblog

「働いた」ことになったかなあ。

テッポウユリの植え付けを済ませた。花壇の草取りをした。施肥はできなかった。

5時のサイレンが鳴った後も。

なぜ?

楽しいから。

冷え込んで来た。鼻水たらたらになった。

お陰でいくつかの花壇コーナーがキレイになった。

でも、社会貢献度はない。だから、花壇の草取りくらいでは。働いたことにはならないかもしれない。

でも、気分がよくなるから、いいんじゃない?

いいことにしよう。

数種類の花苗が植えられている。春になれば花壇は花園になる。そうすれば道行く人の目を楽しませるんだから。

 

 

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これで楽しく楽しく春を待つことができる。

2025年01月30日 14時51分57秒 | Weblog

とろりのお昼寝から覚めた。いい気持ちだった。

いい気持ちにさせてくれたお昼寝に感謝だ。

まもなく午後3時になる。花壇に出ていこう。

 

 

テッポウユリの球根を植え付ける作業が待っている。

白い色のテッポウユリ6球と赤い色のテッポウユリ6球。

球根の三倍の深さに埋め込む。鶏糞をどっさり施肥する。

ほんとうは秋口に植え込んでいなければならないのだが、買って来るのが遅かった。

 

 

これで春を待つ。楽しく楽しく春を待つことができる。

わたしをそうさせてくれた球根さんに感謝。

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もう、どうにでもなれ~~~っ。

2025年01月30日 13時17分40秒 | Weblog

ね、ね、眠い。お昼寝タイム。目が潰れるよ~。目の奥がとろりとろり、とろとろり。もう、どうにでもしてくれ~~~って感じ。コタツの中。座椅子にもたれて座ったままの姿勢で眠る。

死ぬときもこうだよね、きっと。目が潰れて、意識が朦朧としてきて、「もうどうにでもしてくれ~~~っ」だよね、きっと。アッという間に済んでしまっているよね。で、気付いたらもう体外離脱が完了している。

外は晴れ。光が大地に跳ねて明るい。

午前中、東の花壇に出て、牡丹コーナーのところの草取りをした。丸椅子に腰を下ろした状態で。牡丹が春の蕾を蕾んでいた小さく、丸く、ほっそり。

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「あ」は楽しい音。わたしの音を楽しむ。

2025年01月30日 09時22分34秒 | Weblog

ああ、ああああ、ああああああ。ああああああああ。

「あ」は楽しい音。口を開くと飛び出す音だから。

楽しい音を重ねてみる。幾つも幾つも。幾つも幾つも。

100になったら、もう音の野原になる。春になる。

ずんずん楽しくなる。止めようがなくなる。

簡単にできる。すぐにできる。一人でできる。

あああああああああああああああああああああああ。

あああああああああああああああああああああああ。

あははははあははははあはははあはは。明るくなる。

あああああああああああああああああああああああ。

1000になったら楽しい音の地球になる。

1000000000になったら楽しい銀河になる。

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此処を去ることはない、よろこびの宇宙の此処を。

2025年01月30日 08時43分57秒 | Weblog

wellness. 心身の快適状態。るんるん。るるるん。

わたしの全身は春の野山。

快適の薇(ぜんまい)蕨(わらび)が蕾んでいる。

一面に一面に一面に。

わたしは、わたしに与えられているもので調和が取れている。

それで落ち着いていられる。

しばらくすると、調和の中で明るいリズムが音符のままで踊り出す。

じっとしていられないのだろう、快適のオタマジャクシが水面に浮かんで来て、水を跳ねる。

わたしはよろこびの宇宙にいるのだから、こうしていられるのだ。

生まれても死んでも、どんな変化があっても、ここから去ることはない。

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うっとりっていいですよね。

2025年01月30日 08時20分21秒 | Weblog

障子戸を開けたら、隣家の屋根が霜に埋もれている。明け方には氷点下にまで気温が下がっていたようだ。道理で、寒い。

8時半、いまは東の空の朝日を受けて、屋根一面の霜がキラキラ輝いている。

寒い分は、囲炉裏を炊いて温まろう。こころのなかに、囲炉裏を組んで、明るい希望の薪を燃やそう。縮こまってばかりはいられない。

テレビのYouTubeでクラシック音楽を聴いています。美しい音楽ばかりです。よく聴いています。ありがたいです、いつでもどれだけでも聴けるから。(でも、ただただ、わたしの場合はうっとりしているだけですけど)

うっとりっていいですよね。うっとり聴いてうっとり眺めて、受け取っている人生をうっとりうっとり堪能しているって。讃美して称賛して讃嘆して。褒めて褒めて。うっとり屋さんになっているって。

 

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ありがとうの領収書、いくつもの。

2025年01月30日 07時19分20秒 | Weblog

わたしはいまのいまの時間を受け取りました。ありがとうを言います。

わたしは此処という場を受け取りました。ありがとうを言います。

わたしは1月30日に朝を受け取りました。ありがとうを言います。

わたしは鼻が吸う空気を受け取りました。ありがとうを言います。

わたしは新鮮な空気から元気を受け取りました。ありがとうを言います。

こうしてわたしは、すべてにわたって順調なスタートを受け取っています。ありがとうを言います。

一日の始まりに、ありがとうをたくさん言いました。恵まれています、わたしは。

部屋の障子戸の向こうが明るくなっています。いい日になりそうです。

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歳月は早足です、老人にはことさら。

2025年01月29日 19時31分09秒 | Weblog

ついせんだってお正月を迎えたのに、もう明日は30日です。31日の次は2月です。

歳月は早足です。老人になるといっそうこの傾向は強まります。

今週の土曜日は、月初めの2月1日になっています。

2月はお釈迦様が入滅をされた月です。15日には涅槃会が催されます。「如月の別れ」とも言われています。

禅宗系列のお寺にはたいていお釈迦様の「涅槃図」の長い大きい掛け軸が掛けられます。

梅の花も蕾をつけます。鴬が梅の木に来て鳴き出します。まだ歌を覚えていないので、チュッチュッチュッとしか鳴けません。

2月になればわがふるさとの公民館では集落文化祭が開催されます。

わたしはクレヨン水彩画を提出しようともくろんでいますが、まだ完成していません。急がれます。

 

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反逆を父に母にす 霜の朝

2025年01月29日 17時53分52秒 | Weblog

わたしが頂く時間。一日で24時間。1年で8760時間。

79歳の老人のわたしは692040時間を頂いて、それを次から次に傍の小川に流して来た。

時間は立ち止まれないが、わたしの俳句は立ち止まれる。過ごした時間をピンでとめることができる。壁に掛けることもできる。

舞台に上げ、スポットライトを当てて、浮かび上がらせて、クローズアップすることもできる。肩に手を置いて、お礼言上ができる。詫びることもできる。

反逆を父に母にす霜の朝

山鳩暮風 

佐賀新聞俳句、木原選入選の句。

反逆をしたのは若い頃。高校生のころだった。前の晩、わたしはふてくされて、偉そうに、毒ついた。父をないがしろにしただけではすまず、母も侮蔑した。次の朝は霜の朝だった。寒い。寒いのに、何もなかったかのようにして、あたたかい声をかけられた。悔いた。途端に己の不遜が恥じられた。

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あったかいコーヒーとあったかい俳句。

2025年01月29日 17時37分15秒 | Weblog

俳句は己を振り返るのに適している。過ぎて行くばかりの時間に、これでストップが掛かる。するとそこが静かになって来る。明るくなって来る。過ごしている人生が、やさしく語り掛けて来る。

コーヒーと日付けの変はるころの雪

埼玉県川越市 諏訪一郎さんの投稿作品。

この俳句が高野ムツオ選で三席に入賞したいた。

選者評;受験勉強とも在宅ワークとも取れる。やっと一区切りつき、コーヒーを淹れた。時計を見たら午後12時過ぎ。折から雪が降り出した。中七から下五の句またがりによるゆったりとした表現が一息ついた充実感を伝える。

さすがは選者だなあ。こんなふうに読み取られると、状況がありありと浮かび上がって来る。

「日付けが変わる頃」の作者の時間が、おーいと呼びかけて来て、そこで立ち止まって、あったかいコーヒーとあったかい俳句を飲ませているようだ。

過ぎて行くばかりの時間もこうやって日の目を見て、よろこんでいるだろう。

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三歩進んで二歩下がる。

2025年01月29日 17時23分18秒 | Weblog

水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」に、「三歩進んで二歩下がる」のフレーズがある。

三歩進む。そして意図して二歩下がる。

そこがいいなあと思う。

下がると、上がった階段がよく見える。

上がったことに実感が持てる。

足し引き1段の上がりになることを確かめて感謝する。

意図しないでも、人生の階段は、三歩進んで二歩下がっているのかもしれないが。

調子に乗らないところがいい。引き下がることが自分を謙虚にしてくれるのだ。

三百六十五日の一年に、一段だけ歩を進めて高くなる。これくらいでいい。

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