アメリカ大リーグのワールドシリーズの試合観戦を忘れていた。ニュースで、大谷選手の所属するドジャースが、今日、第5戦を勝利したことを、夕方6時のニュースで知った。ドジャースがアメリカ大リーグチャンピオンとなった。おめでとう。
ヤンキースは1勝しかしなかった。残念だろう。
ドジャースは強かったなあ。大谷選手を含め、たくさんのオオモノ選手の活躍が目立った。
ドジャースに移籍して1年目で優勝を決める試合にまで進めた大谷、山本の両日本人選手は、なんとラッキーだったんだろう。
アメリカ大リーグのワールドシリーズの試合観戦を忘れていた。ニュースで、大谷選手の所属するドジャースが、今日、第5戦を勝利したことを、夕方6時のニュースで知った。ドジャースがアメリカ大リーグチャンピオンとなった。おめでとう。
ヤンキースは1勝しかしなかった。残念だろう。
ドジャースは強かったなあ。大谷選手を含め、たくさんのオオモノ選手の活躍が目立った。
ドジャースに移籍して1年目で優勝を決める試合にまで進めた大谷、山本の両日本人選手は、なんとラッキーだったんだろう。
頭が痛い、朝からずっと。ヘンだ。僕は頭が痛くなることがほとんどない。であるのに、今日はズキンズキンした。痛みが取れなかった。気分も悪い。風邪でも引いたのかとも思ったが、風邪の症状はない。
せっかく友人が来てくれたので、頭痛のことは言い出せなかった。6時間、なんとか応対した。
(彼は車の免許を取得していないので、送り迎えが必要だ)
9時50分に駅までお迎えに行って、16時にまた駅まで送ったが、その間も頭の痛みがやわらがなかった。
気分が乗らなかったが、気づかれないように努力した。気分をハイにするようにしたが、そうすることにも疲れた。こういう場合、どうすればよかったのだろう? 無事に駅まで送り届けてほっとしている。
彼からは畑で収穫したばかりの生姜を大きな袋一杯頂いた。こちらからは我が家の畑で収穫した薩摩芋をお返しした。
今日は10月の最終日。31日、木曜日。空は曇って薄暗い。気温は18・6℃。肌寒いので、長袖シャツの上にジャンパーを着込んでいる。
さっき、外に出て、小半時ほど、ラッキョウを植え込んでいるプランター4個の草取りをした。すぐに草が茂る。草がラッキョウの草丈を追い抜いてしまう。草はまことに強靱である。
今日は友人が来る。駅まで9時51分にお迎えに行く。収穫した生姜を持って来てくれるらしい。駅まで来るまで10分ほど。もうすぐ出掛ける。
夕方、裏の畑に出た。暗くなって手先が見えなくなるまで、スコップで畑を耕し、土をやわらかくし、それから畝を盛り上げた。
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よぼよぼのお爺さんにしては、よく働いた。たかだか、ほんの数時間ほど,椅子に座った姿勢で、畑仕事をしたくらいなんだけど、満足できた。
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気温が低くて、汗はそれほど掻かなかった。でも、全身がぽかぽかした。家の中に戻って、風呂に直行した。いい湯を浴びた。
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明日、もし雨が降らなければ、盛り上げた畝に秋野菜の種蒔きをしよう。畑を有効に活用してあげると、畑がよろこんでくれる。
夕方、4時半。気温22℃。曇って来た。やや、ひんやりする。
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昼間から酒を飲んだので、ふらりふらりして、畑に出て行けないでいる。
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でも、家の中に居るだけでは、時間が暮れて行かない。さて、と、やっぱり畑に出て行くとするか。
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裏の畑の草取りをして、スコップで耕して、玉葱を植え付ける準備でもしておくとするか。
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そうすれば、日が暮れて,わが一日が終わることになるだろう。
泣けば泣くほど深くなる空がある
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これも川柳部門に投稿し、そしていつものように、落選になったわたしの作品。
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落選は悲しいが、こうして落選後に読み返してみると、なるほどと落選が頷ける。
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悲しくなると空は深くなる。どんどん深くなる。深みの奥へ奥へ、地上の悲しみを吸い取ってくれるようになる。有り難いものだ。わたしの悲しみのために空が深くなった。深くなった空が、目の前に現れて来ることがあった。
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何度泣いたことだろう。生きて80年を過ごして、深くなった空を何度も何度も仰いで、何度も何度も空の深さ、お慈悲の深さに癒された。
明日が弟の命日。で、今日、弟の家族といっしょに「弟を偲ぶ会」をした。といっても、都合がついたのは,二人と二人だけだったけど。集まって、食べて、飲んで、弟の話をいろいろした。弟の30歳の頃の写真を拡大してポートレイトにして持参してあったので、弟の遺影にもコップを置いてビールを注ぎ、乾杯し、お猪口をもらって、日本酒を注いで、弟にも飲んでもらった。
弟が他界して9年になる。弟は僕よりも4歳年下。若くしてこの娑婆世界を後にしたが、死んではいない。次の世界、お浄土に往って成仏を果たして、元気一杯、縦横無尽の活躍をしているはずである。もちろん、すべてが意のままの世界にいるのだから、自由自在に地球へも戻って来て、この会にもにっこりにっこりして参加をしたはずである。
人は死なない。肉体を死ぬが、命を死ぬことはない。命は永遠の命である。人は、永遠に、進歩向上を得てパワーアップして行く。わたしはそういうふうに考えている。だから、肉体の死を悲しく考えることはないのである。
わたしがこの世の肉体を死んで9年が経って、さて、こうやってわたしを偲んでくれる人がいてくれるかどうか。あやしいものだ。ふっとそんなことを考えた。
じゃが芋がやっと発芽しています。もうすぐ11月なのに。
青が鮮やかで美しい。
植え付けが遅れました。二列しか植え付けていません。
畑の白菜がここまで育って来ました。元気です。虫に食われたところもありますが。
ちょっとくっつき過ぎていますね。
もう少し間隔を開けてあげるべきだった。
愛の星光の星にいるを知る
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ごめんなさいね、落選の句ばかりで。
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いい句に仕上がったと思っているのはそれは、うぬぼれ。その自惚れを選者に受け入れてもらえなかったので、不本意を悲しがった作品が涙していそうで、それでちょいと、こうして明るい場所へ出して上げている。
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「愛の星」「光の星」というのはわたしが住んでいるこの地球という星のことである。そういう受け止めをしてみたのである。自己肯定をしてみたのである。そうやって肯定感を持ってあらためてこの地球という星を受け入れてみたのである。
ああよかったなあと思ったのである。そういう愛の星光の星に80年を生きていられたことを嬉しがってみたのである。
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これじゃ、しかし、作品にまで昇華されていなかったのだろう。