1
漢詩が好きである。何を好きになってもいい。好きになっていいものなんて無限にある。それなのに、わたしは漢文漢詩が好きである。
2
好きで終わった。それでよかった。そう思っている。学者にはなっていない。それで飯を食っているわけではない。わたしの階段は天まで続いていなかった。
此処へ逃げ込んで来ればほっとする、くらいである。
3
威張れる話ではない。威張るとろくなことにはならない。威張らないくらいが丁度いいのだ、何でも。ふふ。などと、あいかわらず自己弁護が巧みだ、嗤ってしまう。万事こんなことだから、伸びるべき背丈が成長を止めてしまったのだ。
4
好きには訳がある。わたしの七輪に、漢詩の火を熾(おこ)してくださった方がおられたからである。いや、わたしだけに火を熾してくださったわけではない。先生の教室にいたものはみんなである。
5
わたしたちは高校一年生。高校の先生に漢詩の魅力をかがされて、鼻がきゅんとなったのだ。
6
苦い苦瓜を避けていたこどもが、ある日、親戚の叔母さんちに泊まりに行った際、その美味しい料理を作ってもらって、これはおいしいとなって、それからお母さんに苦瓜をおねだりするようになった。それにちょっと似ている。
7
わたしは大学は中国文学科に進もうとすら思ったが、そんな力はなかった。進めなかった。小物だった。図書館に行って漢詩に慰められて元気を起こして帰宅するくらいの、そこら辺の、横好きで終わってしまった。火付けの大塚文彦先生、お許しあれ。