<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

鼻がきゅん。

2023年10月31日 18時53分34秒 | Weblog

漢詩が好きである。何を好きになってもいい。好きになっていいものなんて無限にある。それなのに、わたしは漢文漢詩が好きである。

好きで終わった。それでよかった。そう思っている。学者にはなっていない。それで飯を食っているわけではない。わたしの階段は天まで続いていなかった。

此処へ逃げ込んで来ればほっとする、くらいである。

威張れる話ではない。威張るとろくなことにはならない。威張らないくらいが丁度いいのだ、何でも。ふふ。などと、あいかわらず自己弁護が巧みだ、嗤ってしまう。万事こんなことだから、伸びるべき背丈が成長を止めてしまったのだ。

好きには訳がある。わたしの七輪に、漢詩の火を熾(おこ)してくださった方がおられたからである。いや、わたしだけに火を熾してくださったわけではない。先生の教室にいたものはみんなである。

わたしたちは高校一年生。高校の先生に漢詩の魅力をかがされて、鼻がきゅんとなったのだ。

苦い苦瓜を避けていたこどもが、ある日、親戚の叔母さんちに泊まりに行った際、その美味しい料理を作ってもらって、これはおいしいとなって、それからお母さんに苦瓜をおねだりするようになった。それにちょっと似ている。

わたしは大学は中国文学科に進もうとすら思ったが、そんな力はなかった。進めなかった。小物だった。図書館に行って漢詩に慰められて元気を起こして帰宅するくらいの、そこら辺の、横好きで終わってしまった。火付けの大塚文彦先生、お許しあれ。

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お餅が好きです。

2023年10月31日 17時55分41秒 | Weblog

このお爺さんは、お餅が好きです。お店に、搗き立て餅が売られていましたので、買ってしまいました。1袋に小餅が数個入っています。ふんわりしています。

台所の電子レンジでちょっとあたためて、パリッとさせて、砂糖醤油につけて、夕食に頂こうと思います。2個くらいは食べられそうです。晩酌をした後です。

 

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読者の方がいてくださるので、

2023年10月31日 14時09分41秒 | Weblog

読者の方がいて下さるので、ブログを書き続けられます。有り難いことです。感謝します。

いてくださらなかったら、大空にあげた風船はたちまち気抜けしてしまいます。

読んで下さるのはとても有り難いのですが、不安でもあります。読むに価しているかどうか。がっかりなさっているのではないか。そんな不安があります。

目を瞑って、不埒と傲岸と不遜を通しています。間違い字も書いているようです。不適当なことも書いていることでしょう。見直せばいいのに、それをしません。

プロフェッショナルではありません。どこからどう見ても。そんな見識も能力もありません。

思いついたことをその場でずずずずずと書いて、それでお終いになっています。反省することもしきりです。いい詩が書けたら嬉しいのですが。

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玉葱苗を買ってきました、2束。

2023年10月31日 13時53分24秒 | Weblog

極早生玉葱を買って来ました、近くの苗物屋さんで。売り始めなのかなあ、今日が。1束100本で700円でした。2束買って来ました。

これから裏の畑に植え付けます。すでに耕してあります。畝も盛られています。玉葱は肥料を多く好むらしい。数回追肥もしてあげねばらならい、らしい。

植え付け時にだけすればいい玉葱専用肥料もあるらしいが、それは買ってきませんでした。元肥には、有機石灰と油粕ぼかし肥料を使います、やや多めに。

こまめな作業です。お風呂用の小さな丸椅子を移動させながら、植え付けをして行きます。日射しがあるので暑いだろうから、麦藁帽子を被って行きます。でも土弄りをしていると、お爺さんは元気になります。秋空を見上げて楽しみます。

収穫時期は3月~4月。玉葱栽培を毎年していますが、上手になりません。なかなか玉が太りません。ちっこいのしかできません。病気が入ったりもします。苗代がもったいないね、と家内から嗤われます。

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何にもしないで、ズルして。

2023年10月31日 10時01分53秒 | Weblog

朝ご飯の後の、お茶碗洗いは、僕の当番になっている。奥さんは、だから、早めに外出が出来る。

なあに、お茶碗は少しだから、すぐに終わる。

今日は公民館で百歳体操らしい。僕は協調性ゼロ。人中がキライだから、参加しない。お喋りもキライ。

キライキライキライ。まるで地団駄の三歳児だ。78歳の三歳児。それくらいしかない。発達不良。

うふふ、オレ様はオレ様流儀を通す。何にもしないで、ズルして、怠けて、わがままして、それでちゃっかり百歳をものにしよう。

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肉体なしでも、どっこい、生きているかもしれない。

2023年10月31日 09時42分24秒 | Weblog

夜明けの6時半に寝て、8時半に目が覚めた。それから朝ご飯した。炊き込みご飯の残りを頂いた。大根葉の一夜漬けに、鰹節が掛かっていた。

その後は、迷わず、仏壇に行って、座った。灯明を灯し、線香を焚いて、正信偈を読経した。下手くその読経である。

仏壇に飾られている弟の遺影に話しかけた。今日が命日である。遺影はコスモス畑に行ったときの写真のようだ。今日は秋晴れの爽やかな日になっている。

弟も大根葉が好きだったなあ。この時期、我が家に来ると畑に行って、それを間引いて帰った。生きていれば74歳になっている。肉体なしで、どっこい、生きているかもしれない。

兄さんは肉体を引き摺って重たかろう。スピリットだけになったおれはフェザー級。軽いぞ。羽毛のように軽いぞ。何処へでも行けるぞ。自由自在だぞ。新規の感激感動が百千万億、億兆だ。

今日は、兄さんの裏山の八天山の、雲に抱かれて昼寝だ。そこまではしご段を下ろして上げようか? 上がってこないか? そんな悪戯好きの声が届いて来る。

そうあらんことを!

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もうから口中に唾が滲む。

2023年10月31日 09時34分45秒 | Weblog

里芋の皮剥きをした。右手の包丁で。丹念に。

我が家の畑で獲れた里芋である。ことさらにおいしいはず。それだけ<跫音愛情>が掛けられている。

畑の野菜は、畑へ来て見て回る人間の足音を聞いて育つ。

今夜は、里芋たっぷりの豚汁だろう。とろりとろりするだろう。もうから、唾が滲む。

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どうぞご贔屓に。

2023年10月31日 05時32分22秒 | Weblog

「どうぞ、ご贔屓(ひいき)に」は、人と人との間の挨拶言葉です。

「どうぞよしなに」くらいの意味合いでしょうか。要求がましくは聞こえませんよね。

歌舞伎役者のだれそれがわたしの贔屓役者です、などとも言う。贔屓力士がいる方もある。わたしは朝乃山。

「贔屓目に見る」「贔屓の引き倒し」「身贔屓」「判官贔屓」などの表現もある。「依怙贔屓」は肩入れが強すぎて不公平になっているさまだろうか。

<ことさら強く引き立てて、特別扱いをすこと><片方だけに心を寄せて味方すること>が「贔屓」。贔は味方をすること。屓はその様子が特別強いこと。らしい、調べてみると。

贔屓されて悪い気はしない、よね。でも、神様仏様に贔屓されたら? ちょっと薄気味悪い? ことさらわたし1人を特別扱いされているとすれば、それは何故? と疑いたくなるよね。

病人は、もしかしたら、神様仏様の依怙贔屓にあたるかもしれない。もしかしたらのもしかしたら。病気そのものは吉祥事には思えないが、<そこから次へ行ける>点では、贔屓である。好意爆発である。では、次とは? 新しい境地が開けて来る段階があるとすれば、それは立派な「次」になる。そしてその境地に入ればまさしく神様仏様からの依怙贔屓>を思わざるを得なくなる。神様仏様のハートによって<選ばれた民>になれているからである。

わたしは鬱を患った。苦しんだ。青鬼赤鬼になった。阿鼻叫喚地獄に堕ちたままで、回復は100%不可能と思った。ところがどうしたことか、出口があった。わたしは回復した。生きている間に、地獄の様を毎晩見せられた。これは、後にして思えばだが、わたしに与えられた特権待遇だった。贔屓をして下さったのだと直感した。

仏教ではそれを、<転回><転出>の<転>と呼んでいる。この世は無常だが、無常は<次>を付与することができる点で、偉大である。永遠の旅をしている者には、常に<次>がある。ネクストステージが待っていてくれる。恐れているばかりではなかったのである。恐怖の<転>は安堵、安心である。

不公平に見えている依怙贔屓は、しかし、公平に、万人に共通していることである。長い長い目で見れば、神様仏様から万人に適用されている一大スペクタル現象なのである。病んで終りではない。苦しんで終りではない。死んで終りではない。此処はいつもいっときの通過点である。

 

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詩集「まばゆいばかりの光を浴びて」が驚いているでしょう。

2023年10月31日 05時11分24秒 | Weblog

榮太郎飴(紅茶味)は、とうとう、口の中で溶けてしましました。バニラミルク味も、一袋机上にあります。紅茶味がより好きです。午前5時半になっています。まだ外は真っ暗です。

昨日午後4時、お客様が訪ねて来られました。粗末な我が家の縁側に粗末な机と椅子2脚があります。そこにお迎えしました。ご恩のある我が恩師のお話をお聞きしました。

わたしの書いた詩集「まばゆいばかりの光を浴びて」を5冊お渡ししました。詩の図書館から借りてお読み下さったようです。出版してらもう20年以上の時が流れています。読んで下さる方を得て、詩集が驚いているでしょう。ご厚意に感謝します。

我が恩師大塚文彦先生の姪にあたられる方です。近郷の方です。先生のお子様が奈良に住んでいらっしゃるとお聞きしています。差し上げた詩集の1冊を、縁があれば、お子様の1人に、お読みいただけるかもしれません。

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もう一度、寝るかなあ。

2023年10月31日 04時59分13秒 | Weblog

さあ、もう一度ベッドに戻って、寝るかなあ。午前5時になりました。ふくらふくら眠気がしています。欠伸が出ます。ブログを数篇、書きました。

新聞投稿の11月の詩を2篇書こうと思って、それで、起きてパソコンを開いたのですが、詩は書けていません。ハイヤーセルフと繋がっていないのでしょうか。

詩を書いているときには、なんだか、外からの力を感じます。大きな大きな力を、背後にふっと感じます。これも願望に違いありません。

明日からは11月です。投稿の締め切りが迫っています。

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