同入円寂 平等大智 どうにゅう えんじゃく びょうどう だいち
同じく円寂の平等大智に入る
「円」は「完全な」の義。「寂」は「寂静」の義。大円鐘智の涅槃寂静。仏陀の智慧のハタラクところ。ここへみな同じく平等に進んで行く。
明けましておめでとうございます。元旦になりました。平等大智の元旦に入って来られました。わたしめも同様に大きな顔をして、平等の楽しみを楽しめます。寂静おのずから。円寂おのずから。
同入円寂 平等大智 どうにゅう えんじゃく びょうどう だいち
同じく円寂の平等大智に入る
「円」は「完全な」の義。「寂」は「寂静」の義。大円鐘智の涅槃寂静。仏陀の智慧のハタラクところ。ここへみな同じく平等に進んで行く。
明けましておめでとうございます。元旦になりました。平等大智の元旦に入って来られました。わたしめも同様に大きな顔をして、平等の楽しみを楽しめます。寂静おのずから。円寂おのずから。
正月の方から歩いて来てくれるから楽だよね。こちらの方から歩いて行かねばならぬとしたら、さぞさぞ疲れることだろう。怠け者だから、この老爺はいつまで経っても届くまい。ああ、よかったよかった。あと、15分したら、お正月。寝ていて元旦。
真正寺の鐘はまだ響いて来ない。もうすぐだろう。あ、鳴り出した。聞こえて来た。
仏陀もこうだ。仏陀の方から歩いて来て下さる。有り難いことよ。老爺は煩悩のままでいい。有り難いことよ。
大晦日の夜のNHK紅白歌合戦は見ない。何十年間もついぞ見たことがない。まるで興味がない。こういう老爺もいるのである。変わり者なのかもしれない。みんなで、ぎゃぁぎゃぁ浮かれて騒ぐのが嫌いなのである。日本中がそうしているかと思うと、意地でもそうはしたくないのである。家族はテレビに釘付けにされている。老爺は別室に移って過ごす。九時を過ぎた。もう終わったようだ。
それじゃ、さぶろう。そんなに過ぎた一年に感謝しているというのなら、もう一切文句のモの字も言わないか。新年は、感謝感謝で通せるか。
ううううん、それがそうじゃないんだよなあ。文句となると別だよなあ。感謝を言いながら、恨みも言う。妬みも言う。悪口も言う。憤慨もする。不平も言う。なっちゃいないんだよなあ。
7
お礼を言いたい。誰かにお礼を言いたい。言わなくたって、その誰かは怒りはしないだろうが、一言はっきりと言っておきたい。あなたのお力でわたしはこの一年を生き切ることが出来ました。感謝をしています、と。返礼なんか要求をしないほどの大きな胸、大きな腹をしているのかもしれない、その誰かは。
6
いやいやそれは周囲の人間かもしれない。家族の者かもしれない。友人知人かもしれない。そういう人が近くに居て支えていてくれたのかもしれない。或いは遠くの人かもしれない。遠くから愛情を送信していてくれたのかもしれない。直接支援とか間接支援とかが入り交じっているのかもしれない。
5
その誰かは、もしかしたら、この目に見えているものなのかもしれない。鳥だとか魚だとか、青空だとか雲だとか風だとか、山だとか海だとか、木だとか草だとか石ころだとか。月だとか太陽だとか星々だとか。そういうふうに目に見えているものかもしれない。見えていたのに、それをそうと受け取っていなかっただけかもしれない。
4
その誰かは見えていない。見えていないのは、形がないからだろう。形はないが、こころがあるのかもしれない。そのこころが活動をしているのかもしれない。まるで形があるかのようにして、活動をしてくれたのかもしれない。その活動の気配だけは効いていたかも知れない。
3
誰かがかばい立てをしてくれたのである。弁護に努めてくれたのである。助けたのである。誰かが手を引いてくれたのである。何度も何度も、誰かが力をくれたのである。危ないところになっても、誰かが必死で守ってくれたのである。それが誰だかは分からない。
2
この老爺は生きた。この一年を生きた。今日は大晦日。大晦日を老爺は生きている。それをつくづく有り難いことに思う。生きられなかったかもしれないのに、生きて来られたのである。生きるに値しないと否定されてもいいところを、肯定されてきたのである。