毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身 妙法蓮華経「如来寿量品」の結句より
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まいじさぜねん いがりょうしゅじょう とくにゅうむじょうどう そくじょうじゅぶっしん
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(仏陀=ここでは釈迦牟尼仏=は)つねにこの念を作(な)せり。(すなわち)いかんが衆生をして無上道に入らしめ、すみやかに仏身を成就するを得せしめん。
どうしたらこの世に生きるもののすべてを無上道(=人間の最高最善の生き方=仏道)に導き入れたらよいのだろうか。どうしたら一分一秒でも早く仏としての生き方をその身に成就させることができるだろうか。わたし(説法者の釈迦牟尼世尊)はいつもこのように思って仏法を説いています。
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さぶろうは何度も何度もこの法華経に戻って来ています。今日は如来寿量品第十六の最後の段、いわば締め括りの部分です。仏陀の説法の芯蘂はわたしを仏にすることです。仏陀はこれを念じて念じて説法を繰り返しておられます。
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ということは、つまり、こういうことの確認です。
1,人間は誰もが無上道(仏陀と等しい暮らし方)を歩いて行くことができるということ。
2,人間は誰もが仏身(仏陀と等しい暮らしをする身心)を身につけることができるということ。
わたしにできないことを仏陀が勧めておられることはありません。あなたも仏となりなさいと結論してくださっています。仏陀と等しい暮らしをすることが成仏です。
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でもわたしたちは、仏陀と等しい暮らしなんかできっこないと思ってしまいます。仏陀と等しいなんて傲慢な思想だ。傲慢になってはいけないと自分をたしなめます。そういうことが自分にできるわけがないと諦めます。そしてすごすごと引き下がってきます。でも、仏陀はそういう逃げ腰のわたしに向ってしきりにしきりに手招きをされます。戻って来なさいと手招きをされます。
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今日のさぶろうは「速成就仏身」に元気づけられています。いつになるかはわかりません。仏陀は一分一秒でも早くそうなりなさいと急き立てておられますが、我が身の愚かさ加減をかんがみれば、とてもとても即応実践はできませんが、そう(成就仏身)させようとしておられる仏陀のこころを思って元気を頂いています。