<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

心配は要らない。恐れなくていい。安らかであり得る。

2020年08月31日 17時05分53秒 | Weblog

善逝。ぜんぜい。善く逝きし人。

 

これは仏陀の別称である。

 

煩悩を断じ尽くして、迷妄を放ち去って、仏陀の智慧の世界に逝(い)った人は、こう呼ばれた。

 

煩悩は断じ尽くされるのだ。迷妄は放たれていくのだ。しまいにはこうなる。

 

煩悩の主体者がなくなってしまうのだから、こうなるしかない。迷妄の動揺を起こす主体者がなくなってしまうのだから、こうなるしかない。

 

これでよい。こうなるしかない。煩悩が尽きる。迷妄が尽きる。恐れが尽きる。

 

みながみな、万人が万人、だから善逝になるのだ。仏陀が一人こうなるのではない。

 

一人だけの善逝快楽をむさぼるようなら、それは仏陀ではない。

 

万人にそっくり共通体験を体験させてはじめて、そのひとは仏陀になれる。

 

10

心配は要らない。恐れることはない。やすらかであっていい。

 

11

人は仏陀と同じくみな善逝をして行くのだ。

12

その道が準備されている。しっかりと確保されている。万人が善く逝く。

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空が、乳飲み子のような泣き顔をしている。

2020年08月31日 16時49分58秒 | Weblog

生老病死。人は生まれ、人は老い、人は病み、人は死ぬ。

 

ともかく一度は死ぬ。人は誰でも死んでおしまいにする。おしまいにしたいのだ。

 

ともかく死ぬ。ちゃらにしたいのだ。

 

それですやすやの寝息になる。死体の寝息。安らかな寝息。

 

人は誰でもこうなる。寝息を立てて死んで行く。これで決着がつく。

 

決着なんてつかないはずなのに、あっさりつく。決着がつく。

 

後腐れというものがない。まるでない。

 

悪いことじゃない。このけりの付け方は悪くない。

 

人には死がある。生きた人には死がある。あらゆることをやすらかにする死がある。ある日あるとき、息が止まる。

 

 

山鳩暮風は今日はこんなことを思った。だから、どうということでもない。

 

夕暮れた。台風9号の接近のせいだろう。まだ5時なのに、もう日が落ちている。空が乳飲み子のような泣き顔をしている。

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おれは、ぐずる。年をとっていながら、赤子だ。ぐずる。泣き止まない。

2020年08月31日 16時34分02秒 | Weblog

おれは、ぐずる。

年をとっていながら、こうだ。赤子だ。ぐずる。

何がどうというのでもない。不機嫌だ。ともかく不機嫌だ。だから、ぐずる。

駄々をこねる。むずがる。

自分でも訳が分からなくなっている。

なんどこうなっているのか、理由がつかない。

でも、何かにぶつけたい。

ぶつけてもいいものに、思い切りぶつけてみたい。

ひっくり返してみたい。そこら辺にあるものを、手当たり次第。

むにゃむにゃむにゃむにゃ、自己が崩れる。崩壊していく。

ぐする俺を、ぐずり止めさせようとするが、効き目がない。

玩具を手に握らせても同じ。

ぷんぷん怒っている。手の施しようがない。

手の施しようがないが、施して上げねば、ますますひどくなる。

自己破壊者になる。

 

おれはいったい何者なんだ。ただのぐずり屋に過ぎない。訳が分からない。赤子だ。

泣き止まない。延々泣く。寝てしまうまで泣く。

早く寝てしまえ! 早く寝てしまえ! 寝てしまえ!

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泌尿器科医院に来ました、薬をもらいに。

2020年08月31日 14時29分42秒 | Weblog

泌尿器科医院に来ました。薬をもらいに来ました。頻尿の症状が改善する薬です。

 

診察が終わりました。午後は患者さんが少ないようです。これから薬屋さんに行きます。

 

外気温が38℃あります。冷房をしても、車がなかなか冷えません。

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飛蝗が貫禄を示して歩いている。でっかい秋の訪れ。

2020年08月31日 13時35分46秒 | Weblog

今日は8月31日。月が閉まる。

閉まるとすぐに始まる。開閉は隣同士になっている。接点が見つからないほど小さい。

僕は、今日は閉塞された空間にいることになっているが、その実は、そうでもない。あんがい、のっぺらかんとしている。横着なのかもしれない。

ただいまの外気温は36・5℃。鉄板の上のお好み焼きだ。熱い。暑いじゃないくて熱い。大地が鉄板になって焼け付いている。お好み焼きになっている植物が哀れ。

明日から9月。新しい月が開く。新しい月というだけで、新しい妻君を迎えたような新しい気分になる。いい気なものだ。でも、9月が開始しても、新しい妻君は夢の中だけであって、そのそぶりも現れないでがっかりするのかもしれない。

すっかり秋めいている。飛蝗が貫禄を示して歩いている。暑い草地の草の上を。でっかい秋の訪れ。

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宇宙に終わりがあるか。ある。しかしまた始まる。これを繰り返す。そういう説も。

2020年08月31日 13時12分20秒 | Weblog

終了後また始まって行く宇宙 無始と無終がビッグバンして     薬王華蔵

☆1

宇宙に終わりがあるか。終わりがある。終わりがあるが、そこからまたふたたび始まっても行く。終わったところまでを見れば、宇宙には終わりがあるが、始まったところまでを含めて見れば、終わりがない。永遠である。始まりと終わりを繰り返しているだけだからである。途中途中に、ビッグバンが打ち上がる。

☆2

膨張から縮小へと転換して、ふっとゼロになる。しかし、しばらくすると復活する。思い出したようにピクッとしてビッグバンが起きる。膨張が始まる。宇宙はどんどん拡大して行く。そしてまた思い出したようにして、立ち止まる。そこから一気に今度は縮小への道を辿る。

☆3

死んだふりがうまいのである。生きているのもその「ふり」にすぎないのだけど。我々人間もそう。あるとき死を見せる。死んでみせる。でもその実は、死んでなんかいない。死んだふりをしてみせただけである。

☆4

仏教ではそれを往生成仏と呼んでいる。キリスト教のイエスのように復活するのだ。次へ次へと展開して行く。展開するのが好きなのである。往生は「往って生まれる」ことである。時間空間移動だ。そして次の高度な生命体「仏陀=目覚めたもの」に変容する。

☆5

クリプトピオシスという生き物がいる。微少な生き物である。water bear の愛称がある。この生き物は死んだふりがとてもうまい。条件があいさえすれば生き返る。どれだけ時間が経過しても生き返る。その間は上手に死んでいることができる。綱渡りするのだ、死と生を。ウイルスもそうしている。

☆6

てなことが、短歌と言えるかどうか。わからない。僕の書いた作品は、くだらない散文でおわっているかもしれない。で、その通り、落選した。ぶざまに。

ま、いいじゃないか。それであれこれ考える材料にはなったんだから。

☆7

呼吸もそうなのかもしれない。一瞬の生と一瞬の死の綱渡り芸当をしているのかもしれない。息を吸い込んでいる状況が生。息を吐き出した状況が死。息を吐き出しているところが外なる宇宙。息を吸い込んでいるところが内なる宇宙。移動が好きなんだろう。

 

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性とはかくも明るかりけり

2020年08月31日 12時54分43秒 | Weblog

植物の性器の花のあかあかし性とはかくも明るかりけり      薬王華蔵

自然界では性はオープンになっているらしい。花は植物の性器である。赤いダリアだってヒャクニチソウだって、赤いハイビスカスだってユリだって、日を受けて風を受けて、爽やかで明るい。隠微陰鬱ではない。羞恥されることがない。

人の性はそうはいかない。あからさまではない。隠されている。慎み深くされている。それはそれで奥床しい。奥床さを積極果敢に楽しむこともできる。

植物の花にも雄蘂と雌蘂がある。オスメスがあるのだが、そこに静かにして開かれているだけだ。楽しむというプラスアルファがない。虫が来て蝶が来て、花が提供するおいしい蜜を吸っているだけだ。

性は子孫を残すための道具である。生殖の遊具である。これで次世代を産み落として殖やしていく。

これがなければ、その種は耐えてしまう。子孫を残す染色体が、性をかたどって、それで虫を遊ばせている。遊ばされているとも知らずに。そういう面もある。人間も虫かもしれない。花をいじくっている虫かもしれない。

だからなんだよう。なんなんだよう。説明文は短歌に昇華されないという弱点がある。これも例にもれず、落選の憂き目を見た。

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やさしい薬剤師さんに親切にしてもらったことがあった。

2020年08月31日 11時59分36秒 | Weblog

忘れずに服薬すべしと錠ごとに日付記しし人のまぶしき     山鳩暮風

白衣を着込んだ薬局の薬剤師さんがそうしてくれたのである。コロナ感染を防ぐために砦が築かれている。砦の近くによって薬を受け取る。白衣の匂いだけが冷房の風に乗ってこちらへ運ばれて来る。

親切な薬剤師さんだったのである。こちらが高齢者なので、飲み忘れてはいけないと思われたのであろう。錠剤を包んでいるビニールの処に、三日分の日付を書いて下さった。僕は彼女の若いしなやかな指先を見ていた。一つの生き物のようだった。

ただただまぶしかった。「人のまぶしき」ではなく、「人をまぶしむ」とした方が動きが見てとれるだろうか。

もちろんこれも屑になった投稿作品の一つ。もう何ヶ月も入選とは縁が切れている。どんな短歌を書き上げればいいのか、途方に暮れている。しかし、絶望を避けて書き続けている。才能のないのは悲しい。その悲しさはわが文学の水源になる。

でもこうして作品にしておくと、その薬剤師さんのお姿が偲ばれて来る。まんざら無意味でもなかったのだ。

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落下するふわりを見たり栗の毬

2020年08月31日 11時47分32秒 | Weblog

落下するふわりを見たり栗の毬       山鳩暮風

先日、近くの檀家寺の朝の清掃奉仕に出掛けた折、栗の木を見つけた。丹波栗がたわわに実をつけていた。大きな栗の木が、吹いてくる夏風にふわりふわりと揺れる。作業をしているその真上である。するうちに草の上にふわりと毬が落下して来た。危ういところだった。毬はとがっている。チクリと刺す。

ふわりが愉快だった。まだ青い栗だ。さほど充実していなかったのかもしれない。ともかくも季節を感じた。

季節を感じるのが俳句だろう。でもこの作品も落選だった。落選の作品ばかりが山を成す。あとはみな死骸のように冷たくなってしまう。死なせてなるものかと思って、今日はここに引っ張り出してきた。話の種にはなった。

 

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一椀のうまさうまさよ朝の粥

2020年08月31日 11時37分09秒 | Weblog

一椀のうまさうまさよ朝の粥           山鳩暮風

粥を啜る。さらさらの粥であるから、啜りやすい。丸のままではなくて、小さくした赤い梅干しがのっているだけ。

病人食のようだが、これがうまい。どんぶり一椀がすぐに終わる。

ああ、うまかったあが口からついて出る。あっさりしたところが妙味なのである。

もちろんこれに味噌汁がついている。ワカメの味噌汁である。

川柳のつもりで書いたが、川柳とも言えないかもしれない。おかしみがないと川柳とはいえないのかも。

投稿したが、案の定、選者からあっさり無視された。

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