世の中には極めて有能な人がいます。超突出して有能です。太陽の昇る東の方角へ千歩を進めています。わたしはこういう人を見ると自分がいかに無能であるかを思い知らされます。東へ行っても適わないから、じゃ、太陽の沈む西へ行きます。有能な人とわたしとは対極にあります。てんで比較対照にはなりません。ところがところが、地球は回転をしています。回転をしていると言うことは円だということです。逆回りのわたしが、この計算で行くとどこかで出くわすこともあり得るのです。わあああい、です。こんなのはもちろん屁理屈なんですけど、ね。
「弥陀の五劫(ごこう)思惟(しゆい)の願をよくよく案じみれば、ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」 歎異抄より
*
劫は計り知れない時間の単位。五劫とはその倍の倍の倍の倍の倍ほどの意味。思惟は思いを込めて熟慮されたこと。
*
阿弥陀如来が五劫もの間、人類救済を熟慮されてこられた。そして願いを建てられた。そしてそれを実行に移された。その願いをよくよく考えてみると、人類救済というよりもわたし一人のためであったということが諒解されてくる、と親鸞聖人は仰せであった。
*
「ほとけさまが救うと仰られたのは、娑婆世界に住む苦しめる悪衆生全体である。そのはずなのだが、そうではなかった、悪はわたしのことだったのだ。」と受け取られたのだ。
*
法蔵菩薩が
世自在王仏のみもとで
長い長い間ご修行をされた
そして阿弥陀仏となられた
ご苦労をなさたのは
すべて
わたし一人を救うためであった
それが申し訳なくてならないのである
それなのに
わたしはいまだに
悪の権化のままである
それがまた申し訳なくてならないのである
その悪の権化のわたしを
見捨てることもなさらずに
ここへ来て
阿弥陀仏となっていてくださっている
それが申し訳がなくてならないのである
わたしへわたしへわたしへ
わたしへわたしへ
わたしへ
ほとけが光を届けられる
それが申し訳がなくてならないのである
*
劫は計り知れない時間の単位。五劫とはその倍の倍の倍の倍の倍ほどの意味。思惟は思いを込めて熟慮されたこと。
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阿弥陀如来が五劫もの間、人類救済を熟慮されてこられた。そして願いを建てられた。そしてそれを実行に移された。その願いをよくよく考えてみると、人類救済というよりもわたし一人のためであったということが諒解されてくる、と親鸞聖人は仰せであった。
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「ほとけさまが救うと仰られたのは、娑婆世界に住む苦しめる悪衆生全体である。そのはずなのだが、そうではなかった、悪はわたしのことだったのだ。」と受け取られたのだ。
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法蔵菩薩が
世自在王仏のみもとで
長い長い間ご修行をされた
そして阿弥陀仏となられた
ご苦労をなさたのは
すべて
わたし一人を救うためであった
それが申し訳なくてならないのである
それなのに
わたしはいまだに
悪の権化のままである
それがまた申し訳なくてならないのである
その悪の権化のわたしを
見捨てることもなさらずに
ここへ来て
阿弥陀仏となっていてくださっている
それが申し訳がなくてならないのである
わたしへわたしへわたしへ
わたしへわたしへ
わたしへ
ほとけが光を届けられる
それが申し訳がなくてならないのである
@ 夕空へわたしから差し上げるものがない 釈 応帰
*
give はこちらが他へ与えること。take はこちらが他からいただくこと。木の葉も掌も表と裏で構成されている。表裏で一体である。give の表と take の裏とは一体不離でなければならない。
*
受け取ること、いただくことがあまりにもあまりにもたくさんである。空気をもらう。光をもらう。空をもらう。山をもらう。時間を頂く。空間を頂く。愛情を受ける。保護を受ける。仏陀の教えを授かる。母を父を子を友を授かる。家族を与えられる。慰めと励ましを与えられる。
*
与えられてばかりだったということに気づくばかりだ。与えられてきた分のその1000000000000000000000000000000000000の1をもお返しをしたことがない。 take ばかりで、give がないのだ。
*
坂村真民さんの光という詩。正確には覚えていない。こんなふうな詩だった。
ひかる
ひかる
すべてのものは
ひかる
この世にあるものは
ひかる
ひかる
ひかる
ひからないものは
ひかりをうけて
ひかる
光ったと思ってもそれは届けられた光の反射である。わたしは発光源ではない。わたしは光の発電ができないことが知られてくる。
*
与えていない者は、与えられていることへの感謝しかないのだ。与えることができなかったことへの慚愧に震える。すまなかった、すまなかった、与えてきたと思っていたことがすべてわたしの傲慢だった、それが知らされてくる。
*
give はこちらが他へ与えること。take はこちらが他からいただくこと。木の葉も掌も表と裏で構成されている。表裏で一体である。give の表と take の裏とは一体不離でなければならない。
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受け取ること、いただくことがあまりにもあまりにもたくさんである。空気をもらう。光をもらう。空をもらう。山をもらう。時間を頂く。空間を頂く。愛情を受ける。保護を受ける。仏陀の教えを授かる。母を父を子を友を授かる。家族を与えられる。慰めと励ましを与えられる。
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与えられてばかりだったということに気づくばかりだ。与えられてきた分のその1000000000000000000000000000000000000の1をもお返しをしたことがない。 take ばかりで、give がないのだ。
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坂村真民さんの光という詩。正確には覚えていない。こんなふうな詩だった。
ひかる
ひかる
すべてのものは
ひかる
この世にあるものは
ひかる
ひかる
ひかる
ひからないものは
ひかりをうけて
ひかる
光ったと思ってもそれは届けられた光の反射である。わたしは発光源ではない。わたしは光の発電ができないことが知られてくる。
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与えていない者は、与えられていることへの感謝しかないのだ。与えることができなかったことへの慚愧に震える。すまなかった、すまなかった、与えてきたと思っていたことがすべてわたしの傲慢だった、それが知らされてくる。
@ どこにいてもできる修行す冬苺 釈 応帰
*
山には入ったら、陽の射さないところに冬苺が実っていた。赤土の断崖に蔓が延びて葉の間に点々と実をつけている。小さい実だ。摘んで舌にのせる。すっぱい。
*
このところ仏教でいう「修行」のことが頭にひっかかっている。それで、ふと、冬苺はこんなとこころを修行の場にえらんでいたのか、と思った。場を選ばなければ修行ができない、ということはない。どこにいてもそこが修行をする場である。
*
修行とは、仏道の実践である。わたしの栄達のことではない。わたしの幸福追求のことではない。総則は、衆生無辺誓願度である。衆生の救済、自覚覚他である。実践の具体的は、六波羅蜜である。
1,布施(ふせ) さしあげること。いただいたものに感謝を覚えること。
2,持戒(じかい) するべきことをしてするべきでないことをしないこと。
3,忍辱(にんにく) 恨まないこと憎まないこと。受けて立つこと。
4,精進(しょうじん) 努力を惜しまないこと。投げ出さないでいること。
5,禅定(ぜんじょう) こころのコントロールをすること。穏やかでいること。
6,智恵(ちえ) 仏の教えを信じて明るいこと。暗い目をしないこと。
*
山中の冬苺は、では、どんな実践をしているのであろう。他をうらやまず、褒められもせず、穏やかで明るくしている。そういう修行の真っ最中のような気がした。
*
山には入ったら、陽の射さないところに冬苺が実っていた。赤土の断崖に蔓が延びて葉の間に点々と実をつけている。小さい実だ。摘んで舌にのせる。すっぱい。
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このところ仏教でいう「修行」のことが頭にひっかかっている。それで、ふと、冬苺はこんなとこころを修行の場にえらんでいたのか、と思った。場を選ばなければ修行ができない、ということはない。どこにいてもそこが修行をする場である。
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修行とは、仏道の実践である。わたしの栄達のことではない。わたしの幸福追求のことではない。総則は、衆生無辺誓願度である。衆生の救済、自覚覚他である。実践の具体的は、六波羅蜜である。
1,布施(ふせ) さしあげること。いただいたものに感謝を覚えること。
2,持戒(じかい) するべきことをしてするべきでないことをしないこと。
3,忍辱(にんにく) 恨まないこと憎まないこと。受けて立つこと。
4,精進(しょうじん) 努力を惜しまないこと。投げ出さないでいること。
5,禅定(ぜんじょう) こころのコントロールをすること。穏やかでいること。
6,智恵(ちえ) 仏の教えを信じて明るいこと。暗い目をしないこと。
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山中の冬苺は、では、どんな実践をしているのであろう。他をうらやまず、褒められもせず、穏やかで明るくしている。そういう修行の真っ最中のような気がした。
@ やや永く人生はあり冬花火 矢島渚男
*
今朝の「NHK俳句」の選者は矢島渚男さん。笑い顔が何ともいい。これは選者の一句である。
*
長生きしすぎてしまったとは言っていないけれども、ともかくも永く生きているなあという実感が湧く。矢島さんは年男と言うから本年とって72才なのだろうか。人のいのちは露のいのちであったのに、わたしはここまで生きさせてもらった。冬の花火があがる。花火も瞬時で落ちる。
*
永く生きた。そう思う。いつ死んでもいいなどと不遜なことは言うまい。生かされる間を生かしていただく。日一日に感謝を覚えていたい。
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今朝の「NHK俳句」の選者は矢島渚男さん。笑い顔が何ともいい。これは選者の一句である。
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長生きしすぎてしまったとは言っていないけれども、ともかくも永く生きているなあという実感が湧く。矢島さんは年男と言うから本年とって72才なのだろうか。人のいのちは露のいのちであったのに、わたしはここまで生きさせてもらった。冬の花火があがる。花火も瞬時で落ちる。
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永く生きた。そう思う。いつ死んでもいいなどと不遜なことは言うまい。生かされる間を生かしていただく。日一日に感謝を覚えていたい。
竹取物語では、かぐや姫は月に帰ってしまう。これはどうもほんとうではないか。とこのごろよく思うのだ。ファンタステイックになりたい願望のなせるわざなのかもしれない。
*
地球は太陽軌道を回っている。太陽はまたもう一つ大きな宇宙軌道を回っている。だから、地球に住んでいると言うことは、そのまま、宇宙空間を遙かに遙かに旅をしているということでもあるのだ。
*
人はみな異星人なのかもしれない。ある日異星から飛来して地球で生まれあわせる。やがてここでの役目が終わる。さようならをするときになる。戻りたい星が一番近くにやってきた時に、さようならが実現する。
*
かぐや姫は月だったが、銀河系の星は億兆ある。月旅行がすんだら、他の星にだって旅をしたいだろう。なにしろ、たましいは存在だけがあって形を持たない。便利である。意思さえすればどこへでも旅ができるのである。じっと一箇所に止まっていたくはないよねええ。
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地球は太陽軌道を回っている。太陽はまたもう一つ大きな宇宙軌道を回っている。だから、地球に住んでいると言うことは、そのまま、宇宙空間を遙かに遙かに旅をしているということでもあるのだ。
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人はみな異星人なのかもしれない。ある日異星から飛来して地球で生まれあわせる。やがてここでの役目が終わる。さようならをするときになる。戻りたい星が一番近くにやってきた時に、さようならが実現する。
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かぐや姫は月だったが、銀河系の星は億兆ある。月旅行がすんだら、他の星にだって旅をしたいだろう。なにしろ、たましいは存在だけがあって形を持たない。便利である。意思さえすればどこへでも旅ができるのである。じっと一箇所に止まっていたくはないよねええ。
@ からころろ笑いたくなりほどなくて死ぬといふのに降りしきる雪
薬王華蔵
*
すまぬなあと思います。雪まで降って見せてくれます。ほどなくて死ぬわたしがいます。そこへ、この世の見納めに、あの世の土産に、真っ白い粉雪が一面降ってきます。ふいと、からこころ笑いたくなってきました。わたしは、煩悩を抱えてここまで生きてきました。猜疑心、恐怖心、嫉妬心、いろいろ重たい心の中で生きてきました。それが一気に解放されます。
*
はい、誰もが、ほどなくて死ぬ身です。ずいぶんと近づいてきた感がします。ちょっと開き直って、からころろ、笑ってみるのもなかなかいいのです。おどけた詩を書きました。
「ざまあみろい」
ざまあみろい
偉ぶっていた奴も死ぬ
元気なのも死ぬ
ほんとに偉かったのも死ぬ
病弱なのも
生涯の不運不幸を嘆いていたのも
とんとん拍子で出世したのも
最後はみんな平等に
まっさらにもどって
あっけなくおしまいになる
胸がすかあ
ざまあみろい
薬王華蔵
*
すまぬなあと思います。雪まで降って見せてくれます。ほどなくて死ぬわたしがいます。そこへ、この世の見納めに、あの世の土産に、真っ白い粉雪が一面降ってきます。ふいと、からこころ笑いたくなってきました。わたしは、煩悩を抱えてここまで生きてきました。猜疑心、恐怖心、嫉妬心、いろいろ重たい心の中で生きてきました。それが一気に解放されます。
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はい、誰もが、ほどなくて死ぬ身です。ずいぶんと近づいてきた感がします。ちょっと開き直って、からころろ、笑ってみるのもなかなかいいのです。おどけた詩を書きました。
「ざまあみろい」
ざまあみろい
偉ぶっていた奴も死ぬ
元気なのも死ぬ
ほんとに偉かったのも死ぬ
病弱なのも
生涯の不運不幸を嘆いていたのも
とんとん拍子で出世したのも
最後はみんな平等に
まっさらにもどって
あっけなくおしまいになる
胸がすかあ
ざまあみろい
まはだかがまはだかを抱く夜の底 海と空とはまはだかなりぬ 薬王華蔵
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もうすぐ死ぬ身である。もういちど、まはだかでまはだかを抱いてみたい。眠れない。生きている人の生きているうちのいのちの輝き。白い乳房。いのちの噴き出すふたつの丘。人だけが持つ願いではない、これは。海と空とが真夜中に抱き合っている、しんしんと。ふたりともまはだかである。
*
もうすぐ死ぬ身である。もういちど、まはだかでまはだかを抱いてみたい。眠れない。生きている人の生きているうちのいのちの輝き。白い乳房。いのちの噴き出すふたつの丘。人だけが持つ願いではない、これは。海と空とが真夜中に抱き合っている、しんしんと。ふたりともまはだかである。