曇り空。いまにも雨が降り出してきそうな。煙突の煤のような雲が流れている。
*
畑に行こうか行くまいか。悩ましい。
*
北の畑に行って、薩摩芋の蔓を植える畝を盛り上げておかねばならない。
椅子に座って、スコップを使って。左足麻痺のお爺さんは、器用なことをするものだ。
*
時間がやたら掛かる。骨が折れる。休み休みする。休みが長い。だらしない。見かねた鴉が、電信柱の上で笑いだす。
曇り空。いまにも雨が降り出してきそうな。煙突の煤のような雲が流れている。
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畑に行こうか行くまいか。悩ましい。
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北の畑に行って、薩摩芋の蔓を植える畝を盛り上げておかねばならない。
椅子に座って、スコップを使って。左足麻痺のお爺さんは、器用なことをするものだ。
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時間がやたら掛かる。骨が折れる。休み休みする。休みが長い。だらしない。見かねた鴉が、電信柱の上で笑いだす。
「此処」には大中小があります。
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わたしは此処にいます。
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生きても死んでも此処にいます。
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死んでお浄土に往っても、そこも此処です。
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幾分か大きめになった此処です。
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お浄土も穢土もやはり仏様の世界だからです。
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仏様の世界の「此処」を逸脱することはありません。
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地球も此処、太陽系も此処、銀河系も此処、宇宙全体も此処です。
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此処にわたしがいます。わたしがいるところが、此処です。
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気宇広大の「気宇」は膨張縮小が自由です。
午前8時を過ぎました。朝ご飯をいただかねばなりません。
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お爺さんのお腹は減っていません。
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食べても食べなくてもいいんです、だから。
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この頃ずっとこの調子です。
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下降線を辿っています。着陸態勢に入った飛行機のようです。
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これでいいんだろうなあと思います。
近所のお婆さんから、チョコレート1箱をもらいました。またも。
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わたしは恐縮します。とても恐縮します。
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お婆さんはわたしよりも一回りほど年上です。お元気です。一日に何度もお散歩をされています。
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孫扱いされます。
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お喋り好きです。わたしが畑にいると立ち止まって話しかけられます。
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「わたしはもうすぐお浄土に往くが、若い者は元気にしておらねばならん」が口癖のようです。
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わたしはもうお爺さんのお爺さんですから、若い者ではりません。「どちらが先にお浄土詣りか、わかりませんよ」とわたしは返事します。
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チョコレートはもう何度ももらっています。お返しが気になってしまいます。たいてい、林檎3個をお返しにします。
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お婆さんは、「お爺さんが死んで、寡婦年金がたくさんあるから、わたしはお金持ち。お金の使い道がない」と言われます。
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「他人様に物をあげてよろこんでもらう。それがわたしのよろこび」「だから、気にしなくてね」と言われても、もらいっぱなしでは居心地がわるいんです、こちらは。
このお爺さんは、下手くそです。栽培が下手くそです。
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昨日、家内が畑から空豆を収穫してきました。豆の房を剥いたら、小さな実しかはいっていません。これじゃあきらかに失敗作です。茎はしっかり伸びていたので、期待をしていたのですが、期待外れに終わってしまいそうです。
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でも、その初収穫の希少な小さな空豆をおそるおそる食べてみました。焼いてもらいました。美味しいを連発しました。希少価値がありました。
下手くそでも、ともかく、栽培しててよかったなあと思いました。
畑の一隅で水芋がどっさり芽立っています。昨年も誰も一度も食べていません。水芋は茎を食べます。(芋も食べられます)
三杯酢にして、わたしは小さい頃に何度も、お婆ちゃんから料理をして貰って、食べました。筋張っていますから、噛むとサクサクさくと音がします。
筋剥きをしたら手指に痒みがあります。食べると、喉の奥に<えぐみ>を感じます。それで、現代人は遠離ってしまいます。おいしいものが、ほかにいっぱいあるから、でしょうね。
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さて、食べない水芋は、では、捨てていいか。捨てていいはずですが、このお爺さんは、困ったことに、捨てられません。<もののおいのち様>に、申し訳なく思ってしまうのです。
で、結局は、また畑に子芋を植え付けてしまいました。人様にお分けしようとしても、みなさんノーの答えしか返ってきません。で、なおさら、断捨離が<可哀想>になるのです。
おはようございます。4月29日になっています。今日は前半3連休の最後の日。あいにく雨になっています。
少雨。洪水を引き起こすような降り方ではありません。無風です。でも、畑には出ていけません。畑にで出れば、やりたいことはたくさんありますが。
仕方がありません。雨の音を映画音楽にして、蟄居します。
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昨日、薩摩芋の蔓を20本(900円)買って来て、夕方、北の畑に植え付けました。雨を得てよろこんでいるでしょう。
お昼です。あんまり腹は減っていません。
昨日インスタント味噌ラーメンを2袋買って来ています。
これを食べて見ます。
小葱は昨日摘んで来て刻んで冷蔵庫に冷やしておきました。
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外はまだ曇り空をしています。雨が降っていませんから、午後からは畑にも行けそうです。
死がそこにゐて美しき桜かな
釈 応帰
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桜が美しく咲いていてくれているのですが、わたしはなかなかそれを美しく見れないのです。わたしが驕っているからです。病を病んで死を身近にしないと、せっかくの桜が無駄に散ってしまいます。傲慢をへし折られないと、この世が見えて来ないのです。この世の美しさが見えて来ないのです。
でも、大丈夫、わたしは病んで死にます。これは間違いのないことです。美しい桜を美しく見ることができる仕組みになっています。
南無阿弥陀仏を称うれば、難陀(なんだ)、跋難(ばつなん)、大龍等、無量の龍神、尊敬(そんぎょう)し、よるひるつねにまもるなり。
現世(げんぜ)利益(りやく)和讃より
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現世でわたしがこれまでに受けて来た利益はたくさんあります。たくさんたくさんあります。数限りなくあります。「現世利益なんか、望んでいない」「おれは神仏に頼んだりはしない」などと豪語してもいいのですが、すでに十分過ぎるほど受けて来ているのです。現在完了しています。
わたしは夜も昼も守られています。守っているハタラキがあるからです。見えないけれどわたしに働きかけて来ています。
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龍神さまも見えないハタラキを担っておられます。しかも無量の、推し量ることも出来ないくらい厖大なハタラキを働かせてくださっています。
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何故か? 此処は阿弥陀仏の世界だからです。仏界だからです。わたしが称えていなくとも、阿弥陀様が阿弥陀様の方から、わたしにハタライテ、念仏してくださっています。安心していていいのです。
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難陀も跋難も龍神様のお名前でしょう。八大龍王さまのお一人なんでしょう。
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生きている間も阿弥陀仏の世界。死んでいっても阿弥陀仏の世界。此処は真如界です。
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阿弥陀のアミタは「永遠の命」「わたしが推し量ることなど出来ないほどの光輝く豊かな安らぎ世界」の謂いです。此処にわたしがいます。生きたり死んだりしながら永遠の命を生きています。