8
次から次に美しいところを見ることのできる幸福。これを与えられているのだ。だったら、これを堪能するべし。
一つの場に執着することはなかったのだ、ということが合点されて来る。一つの場で終わりではなかったのだ。
この世を生きて次の世を生きる。世界は続いているのだ。わたしは生きて生きて生きて行く。命の旅は、数千数万数億光年の天の川銀河の、先の先、アンドロメダ星雲までも続いているのだ。
8
次から次に美しいところを見ることのできる幸福。これを与えられているのだ。だったら、これを堪能するべし。
一つの場に執着することはなかったのだ、ということが合点されて来る。一つの場で終わりではなかったのだ。
この世を生きて次の世を生きる。世界は続いているのだ。わたしは生きて生きて生きて行く。命の旅は、数千数万数億光年の天の川銀河の、先の先、アンドロメダ星雲までも続いているのだ。
7
電車が止まって下りる。降り立ったここも美しいところだ。後にしてきた娑婆世界も美しかったが、それにもまして、数倍も数倍も増して、ここもまた美しい。此処は何処なのだ、いったい。
死んだ世界なのだが、世界が死んでなんかはいない。寧ろ生き生きとしている。
6
電車を降りる。そしてそこで、我に帰る。ああ、死んだんだと言うことが納得される。そして、それでよかったのだと言うことも理解される。安堵する。なあんだ、心配なんて要らなかったじゃないかと思う。
短兵急なものの見方もあるが、そうでない見方もある。流れているのだ、時間は。長い長い時間の宇宙を流れているのだ。その一瞬なのだ。死んだも生まれたもその一瞬なのだ。
それでお終いにはなっていない。わたしの命の旅はずっと続いているのだ。
5
後で分かることだ。どっちにしたって、後で分かることだ。真実は分かるようになっている。この世を死んで去って後にして、電車に乗り込む。次の駅に電車が止まって、そこで下りる。
わたしは悠久の旅人なのだ。旅をして旅をして旅をしている。それで地球にちょいと降り立ったのだ。死んだと見せているが、此処を去っただけなのだ。
4
わたしは、美しいと見る方を選択する。事実かどうかは問わないで置く。それは、寧ろ、どでもいいことなのではないか。己がそれをそうして納得を得れば、それでいいのではないか。事実を見極める眼力は、残念ながら、ない。
わたしが暮らしているこの世界を、美しい世界だとする方が、わたしにここちよいからだ。
3
この世を美しく見る。見ていい。美しく見ていい。醜く見てもいいが、美しく見てもいい。美しくなんかあるものか、という引き算もあるが、足し算もある。引き算があれば、足し算もある。選択が許されている。
わたしは我が儘だから、わたしが生きているこの世界を美しくして、眺める。
1
形容詞に、「お」をつける。おうつくしいと。白衣観音がおうつくしい。わたしがクレヨン水彩で描いただけなのに、それでも十分おうつくしい。
2
見入る。そういう時間を過ごせる。見入る。仏陀という方を想像する。想像して想像する。観音は仏陀の化身。仏陀に準じている。化身を通して仏陀に近寄って行ける。
そうだ。悦には入るときも、あっていい。いいのだ。額縁を買ってきた。大きめのを。描いた仏画をここに収めて、立てて、飾った。見る。悦に入る。額に入れると相応に映える。自画自賛とは此の事だ。笑ってしまう。でも、ここちよい。仏と対座する縁(よすが)になれる。描いたのは、わたしだけど、絵の中の仏は独立して仏だ。仏と対座する。
絵は縁(よすが)なのだ。縁の役目を果たしているのだ。
6
威張らない方がいいのになあ。威張ると威張るだけ落ち着くところがなくなってしまうのになあ。店が繁盛したりお金持ちになったりするのはいいこと。偉くなるのはいいこと。人を使えるようになるのはいいこと。でえもねえ、即威張っていいということにはなっていないはず。権限を嵩に着て押さえつける。服従させる。人を見下してものを言う。人を見下しているなんていいことじゃないのになあ。
人に威張るということが、幸福に暮らす必須条件ではないはずなのになあ。
*
今日は、威張っている人を見てしまった。で、こんなことを書いてしまった。やっぱり威張っていた方が楽なのかなあ。
5
仕えてくれる人にも、奥さんにもこどもにも威張っている。押さえつけている。自分に対して配慮が足りない、服従が足りないと言っては暴力を揮う。口汚く罵るだけではすまないで手を挙げる。暴走をする。よくないなあ。我慢をしないことが自由尊重だと勘違いをしているのかなあ。経済発展は、我慢ということを放棄させたところがある。
<人の振り見せて我が振り直せ>か。己の中にも<威張り>がある。ちょっと考えてしまった。