<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

実にいい加減な男だ

2014年09月30日 05時16分17秒 | Weblog
さぶろうは実にいい加減な男だ
まるで無根拠なことをさも根拠ありげに喋る

薬師如来に観世音菩薩に不動明王に阿弥陀如来に大日如来
壁に掛けた古いカレンダーの写真の仏さま方(横列べにしてある)へ
さもさも懐かしい友人であるかのように親しげに喋る

「あなた様のお国の風景をお話してくださいまし」と頼んでおいて
それからしばらくして
その仏さまの国の住人になりすまして
それぞれのお浄土の風景を喋り出す

「へえへえ 某年某月某日 
わたしは阿弥陀如来さまのお国におりました
お空は晴れておりました
その折に見かけた風景はこうでございました
こうこうこうこうでございました

車輪のように大きな蓮の葉が池に浮いて青い花を咲かせておりました
次の日には黄色い花を咲かせておりました
金の鈴銀の鈴が金の塔銀の塔の四方八方に鳴り響いておりました
クジャクやオウムやカリョウビンガの鳥が鳴いておりました
その時赤いマンダーラバーケの花々が雨のように
仏さまのみ上に降り注いでまいりました

さぶろうは実にいい加減な男だ
嘘っぱちだ
過去も現在も未来もごっちゃまぜだ
国々の遠さ近さは切り取ってしまってある
そして
さもさもそこへ行ってきたかのようにして
ぽつぽつぽつぽつ喋って
ひとときを一人で過ごす

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細くて白い三日月

2014年09月30日 05時06分25秒 | Weblog
さぶろうは夕暮れどきに細い三日月を仰いだ。やや離れた北の畑にいた。畑で草取りをしながら耕していた。暗くなってもう手元がなんにも見えなくなっていた。そしてそのとき三日月の明るさがさぶろうに届いて来たというわけだ。彼はその明るさを辿ってみたのだった。それから彼は立ち上がって家路に就いた。ことこと歩いた。台所の窓にも明るさが灯っていた。
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さぶろうよよろこべ 光がそう言うのである

2014年09月30日 04時45分31秒 | Weblog
さぶろうよ
よろこべ

光がそう言うのである

この明るさは
さぶろうよ
おまへのために用意をしておいたものだ
遠慮は要らない
さあ、どれだけでも欲しいだけ手にとって食べろ

さぶろうは
光の直言に従って
手にとってこの明るさを食べた
これで彼は明るさを取り戻すきっかけを得た

そして
食べた後から後から
そこへ
光の卓袱台へ
ぽぽろぽろと涙をこぼした

光に
それだけの愛情を
示してもらうだけのさぶろうかどうか
それに見合うだけの暮らしをしているかどうか
それを考えてしまったからである
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それは平等であったし無条件であった

2014年09月30日 04時12分15秒 | Weblog
他力有用 自力無用



他力が働いているので自力は無用である。



さぶろうの力を発揮して地球を回さねばならないとしたら、朝も昼も夜も来ないところであったが、そうすることは無用であった。さぶろうの力が加わらなくとも地球は自転をしていたのである。



それをそうせしめている力があるからである。これを他力と呼ぼう。この力は常にある。どこにでもある。



それをそうせしめている力の根源は何であるのか。そしてそれは何故なのか。何故それはそうせしめられているのか。



何故それは秩序と調和を保っているのか。それをそうすることで何の利益があるというのか。利益度外視であるとすれば、それはまた何故であるか。



それをそうせしめている力がわたしにも及んでいるのは、では、何故か。この平等性は何故か。もしも不平等であったら、どういうことになるか。或いはなっているか。



さまざまな何故がわき起こってくるがどれも不可解である。不可思議である。難思議である。
思議してもしなくても、それはそうせしめられ続けているばかりだ。



さぶろうの思議を飛び越して、朝が来ている。光の朝が来ている。この他力の絶対慈悲を思う。



この日のさぶろうの回答はこうであった。さぶろうをよろこばせるために、さぶろうに他力の絶対慈悲が届けられた。さぶろうはそれを手放しでよろこぶ必要がある。無力のさぶろうに他力の絶対慈悲があふれんばかりだ。



この朝、明るい光のプレゼントとともに一杯のグラスの水がさぶろうに届けられている。彼はこの絶対慈悲をごくんごくんとおいしそうに飲んだ。そしてその贈り主のこころに、さぶろうのこころが温められた。



さぶろうのまわりにはいつもこの有用の他力が溢れている。無力のさぶろうはこれに加担することもないし、報酬を支払うこともないし、お礼を言うこともないが、それでもそれはお構いなしで、いっさい無条件でそのまま進行しているばかりである。
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小葱の初摘み

2014年09月29日 09時45分40秒 | Weblog
小葱の初摘みをした。細かく刻んで、小葱どっさり入り真っ青卵焼きをこしらえてもらった。朝ご飯の時に幅2cm級の小片を3個も食べた。味噌汁は白菜の間引き菜入りだった。
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着色拒絶でよかったのだ

2014年09月29日 06時44分31秒 | Weblog
もうそんなことはどうでもよくなったぞ。

そんなこととはどんなことだ。

俺は強いとか強くないとかだ。俺は偉いとか偉くないとかだ。

そこを越えたというのだな。越えても越えても青い山のはずなのだがな。越えられないはずなのだがな。

越えてはおらん。強い強くないのおれでなくてよくなったのだ。偉い偉くないのおれでなくてよくなったのだ。ただでよくなったのだ。ただのおれでよくなったのだ。

問答をしているのは山中の萩の花群の、a、b、c、d、e、f、gである。

萩は萩の、本来の花の色。外からの着色の、着色拒絶でよかったのである。

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生きてをる時間は

2014年09月29日 06時30分39秒 | Weblog
死なずに生きてをっても生きてをることを感じてをる時間は少ない。感じてをる時間以外は、ということは、死んでをるのかもしれぬ。あたら生きてをる時には、生きてをる化身を肌身はなさずあたたかく抱いてをりたい。とっくんとっくん、心臓の音が聞こえてをる。今夜はもっと近くに来て生きてをる心臓をあたたかく抱いてをいてやろう。
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美しい告白

2014年09月29日 06時09分12秒 | Weblog
あなた様に目をかけていただいたらそれでもういいんであります。これで願成就しました。荒れた藪の、西のはずれの、荒れ果てたお茶の木の、白い小さな花が、可憐にもさぶろうを呼び止めてそう言った。さぶろうは発見者である。ここで30年、誰にも見つからずにきたのだ。でもって、さぶろうは急遽「あなた様」に位を上げて、言葉をかけられた。さぶろうはこれを聞いた。そしてその一輪の告白を美しいと感じた。
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願っていた通りに進んだ

2014年09月29日 05時58分46秒 | Weblog
春菊苗を2鉢買ってきて、畑に植えこんだ。そよそよそよそよ。風が来て、5cmほどの黄緑色の若苗をそよがせた。夕暮れ。新しい住まいの土の上に座って、若苗はそよがせられるままにしていた。それで万事は願っていた通りに進んだのだった。
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爆裂の快適音

2014年09月29日 05時43分52秒 | Weblog
ぶおおっ。放屁した。死人にはこれはできない。ぶおおっ。これはだから生きておる証拠だ。真夜中3時。布団の中のさぶろうは、爆裂の快適音を聞いて、そこで身が引き締まるほどの感動を覚えた。
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