<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

声を聞きたいだけなんだ

2008年01月31日 23時32分56秒 | Weblog
声を聞いたら安心してしまう。すると電話の内容はもうどうでもよくなって、いきなり「じゃあね」で切ってしまう。相手は嫌だろうな、と思うけど。で、数時間したら、不安が雪の吹きだまりのようにたまってしまって、またぞろ声を聞きたくなっている。

     *

おれはまったくアホだ。オタンコナスだ。わがままかってだ。わがことだけで過ごしている。サイクリングから帰ってきた。夜道、街灯がぼんやりついている一本道で、立ち止まった。誰も通らない。田舎の農道だからあたりまえだ。寂しくなってしまった。灯りの下にぺんぺん草が見えた。
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妹夫婦には頭が下がった

2008年01月29日 23時59分06秒 | Weblog
家内の父が他界しました。家内もわたしも父の死に目に間に合いませんでした。連絡を受ける直前に家内は、我が家の玄関で足を踏み外して捻挫をしたせいで、車に乗れなくなってしまいました。わたしは遠くへ行っていたので、家内から電話を受けたあと、戻ってくるのに時間を食ってしまいました。悔いが残ります。大正7年の生まれですから、満で89歳になっていました。死亡診断書では、直接の死因は肺炎と言うことになっています。8年前に脳梗塞を発症してからは入退院を繰り返していました。それから認知症も進みました。

      *

義父には娘が三人います。長女は近くに嫁ぎました。わたしの家内は次女です。長女と次女は結婚して家を出ました。家内の母は53歳で亡くなりました。三女が母を看取りました。その後結婚、父と一緒に住んでくれました。この妹夫婦がよくできた夫婦で、親身になって父の世話をしました。頭が下がりました。妹は実の父ですから、看病や介護をするのは当然なのかもしれませんが、妹の主人が実に誠実に世話をしたのです。わたしは彼に脱帽です。陰日向がありません。わたしはその反対で、親孝行をしないままでした。思い返してみて恥ずかしいです。
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山鳥に蜜柑をあげました

2008年01月28日 10時53分12秒 | Weblog
山から里に下りてくる小鳥に蜜柑をあげました。半分に切って、剪定が成された梅の枝に刺しました。たくさん。あいにく雨が降ってきました。目白、ヒヨ、百舌鳥が顔を出します。大きな鳥が来ると、小さな鳥は逃げていきます。目白は集団を作ってやってきます。猫が木の下から威嚇します。飛びついて捕獲することもあります。右手ではっしと叩き落とします。すばやいです。目白はさまざまな鳴き声をします。なかなかのミュージッシャンです。
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威張らない赤鬼

2008年01月21日 00時44分18秒 | Weblog
威張ったのは好きではありません。偉い人は威張りません。威張る人は偉くありません。赤鬼は、威張ってはいけないぞ、いけないぞと自分に言い聞かせることがありました。偉くない赤鬼には、威張ることなんてなんにもないわけですから、そんなふうに自分に言い聞かせることなんて不必要なことでありましたが、でも、誰に対してもどんなときにも威張ってはならないとなると、話はこみいります。弱い人に威張ってはならない。やさしい気持ちを持っていなければならない。そうです。威張っていると声が大きくなります。居丈高になると胸を反らしてしまいます。赤鬼はときどきとっても大きい甲高い声を放ってしまうことがあります。それから、胸を反らして歩くこともあります。大きな声を出さないでいると、落ち込んでしまいます。胸を反らさないでいるとしょんぼりしてしまうことがあります。自分で自分を力づけることが難しくなります。おれはほんとは偉いんだぞと言ってみたくなるときがこれまでにも何度かあったのです。赤鬼を軽蔑するにんげんに対して、口を滑らせてしまったこともあったのです。軽蔑をされたときにもやっぱり威張ったふうでいてはならないのです。こんなときに、威張ってしまうと台無しです。これまでのことはみんな嘘になってしまいます。

「偉くなるのではない。偉くなろうとするのではない。偉くなろうと意気込む自分の心を棄てるのだ。それが赤鬼一生の修行である」これは赤鬼のよく行く鬼寺の門に張り紙をしてあったことばです。偉くなろうとした者はみな鬼になってしまったのだ、と鬼寺の和尚は諫めます。だとすると、この世で鬼になった赤鬼は、おおいに反省をしなければならないのでありました。威張ることがいけないのではなくて、偉くなることもいけないことだとは、赤鬼にはどうしても思えないことでありました。

      *

話が長くなりますから、結論だけを書きます。偉いのは仏さまだけだからです。仏様の目からしたら、赤鬼のやっていることは威張ることではありません。偉いったって、偉ぶることではありません。ここのところをどう説明したらいいかわからないでいます。赤鬼がもともとつまらないと言うつもりはちっともありません。それどころか、赤鬼が赤鬼をしていることはとってもすごいことなのですから。

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詫びた赤鬼

2008年01月20日 12時41分28秒 | Weblog
ごめんごめん。ごめんごめんごめん。赤鬼は、お布団をかぶったまま、なんどもそう呟きました。朝になっていました。目を覚ましました。目を覚ますとすぐにこうです。ごめんごめんが始まります。誰もそこにはいませんから、誰かに対して言っているのではありません。ただただ詫びたいのです。赤鬼はたしかにこれまで悪いことをたくさんしました。体の具合を悪くして寝込んでいるとことのほかそれが思い出されてきます。ずぶとく長く生き延びてきたのに、その割りにはよいことをちっともしていません。それも辛いのです。生きてきたのは、ずいぶん多くの善意に助けられてきたからにほかなりません。それはそうなのです。ひとりの力で生きてこられたなんか思っていません。赤鬼は青鬼という友達がいます。彼からどんなにおおく元気をもらってきたことでしょう。慰めを分けてもらったことでしょう。そういうことをひょいひょい思い返すことがこのごろやけに多くなりました。あのときこのときが瞼のスクリーンに映ります。赤鬼のごめんごめんが始まります。何度か呟いてそれですむということではありませんが、赤鬼は布団から起き出してきて、水で顔を洗いました。
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