<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

やたら世界が軽い

2016年06月30日 09時34分05秒 | Weblog

それをほんとうに悩むべきかどうか。分からない。そんなもの、放り出してしまっていいのかもしれない。どうだっていいのかもしれない。それにしがみつく然したる理由も見当たらないが、僅かに付着している。蜘蛛の巣に掛かった枯れ葉のように。

悩むだけの価値も見いだせないのか? そうかもしれない。そこへ行くと、我が受け皿の中はもう空無になる。ニュートリノのようにすべてを通り抜けて行って、手元に残るものがない。脳を廻る血流が希薄になって来たのだろうか、やたら世界が軽い。

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たやすくは脱出できそうもない

2016年06月29日 18時04分44秒 | Weblog

ドリゴの「愛のセレナーデ」を聴いている。やっと聴く気になった。さぶろうは鬱だ。暗転を繰り返している。そうそうたやすくは脱出できない。それは分かっている。だから、障子戸も引いたままだ。玄関に立つ人にも会わない。電話にも出ない。そういう気分ではない。

仏教は、こんな甘ったれを甘やかしたりはしない。正義も倫理も哲学もそれを受け入れる人のためにあるのであって、この男にはおよそ他人事だ。めそめそしたい奴はめそめそしているのがいいのである。じめじめしたい奴はじめじめしていていいのである。当分、ここでこうしているしかあるまい。

しかし、ドリゴの「愛のセレナーデ」は聴いているのだ。聞き流しているとしても、ともかく耳を貸したのだ。案外、軽傷ですむのかもしれない。脱出口になるかもしれない。

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僕はぼんやりしている

2016年06月29日 10時19分42秒 | Weblog

僕はぼんやりとしている。外は雨。雨はかなり激しい。僕は興味を失っている。何でもどうでもいい。知りたいと思うことやりたいと欲することが見付からない。「だからなんだっていうのだ」なんてほざいて、すっかり冷めている。昨日も一日ずっと布団を被って過ごした。起き上がる気になれない。といって眠ってばかりはいられない。困った。食欲も起きない。食べてもおいしくない。ご馳走のはずなのに、まるでそそられない。無価値だ。もちろん何処へも行かない。本も閉じて開かない。目を瞑っているしかない。今日はリハビリ予約の日だけど、さっきキャンセルを入れた。リハビリしたってどうなるというんだ、と思う。怪我の足の痛みはずいぶん退いている。腫れも退いて鬱血が薄くなっている。トイレまではゆっくり歩いて行けるまでになっている。文句があるのは、何故なんだ? 何がどうしたのだ? 何がどうだからそんなに不愉快なんだ? 分からない。知ろうとする気持ちになれない。この世を混濁させている興味の混濁が限りなく沈澱して行く。もう寂しさも残っていない。

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里芋の中心座標に青蛙

2016年06月28日 06時45分20秒 | Weblog

夜中ずっと雨音が高かった。大川が溢れていなければいいが。夜明けになって止んでいる。風もない。静寂が張り詰めている。トマトが立ち枯れを起こしているのが見える。根腐れをしたのだろうか。大きな青い実を沢山着けたままで。里芋の葉がでっかくなったので、中心に座る青蛙がよほど泰然としていられるようだ。

僕はもうあまり病人をしていなくてもすむようになっている。痛みはしつこく残っているが、でも、もうトイレくらいまでなら装具を着けないでも歩いて行けるところまで回復している。明日はリハビリをしに病院まで行くことになっているが、この調子ならもう行かなくったっていいのかもしれない。まあ、ドライブがてら、しかし、行って来てもいい。

血糖値も安全圏内で安定している。薬を飲まないでも値は90を割っている。ご飯も焼酎も甘い果物もお菓子も普通にいただいている。頭が、しかし、どうも軽い。軽すぎる。そんな感じだ。右手の中指の強張りも相変わらずだ。朝方寝起きに曲がりにくい。老人だからあちこちでガタが来て当然かも知れない。長く生きた。あの世でも生きられるのだし、そっちも相応にバラエテイがありそうだし、何が何でもこの世でなくちゃならないこともないだろう。

僕はいつもの如くYouTubeでクラシック音楽を聞いてしばしの娯楽を手に入れている。ショパンのエチュード「別れの曲」のピアノが美しい。

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もうやすみます

2016年06月27日 23時46分53秒 | Weblog

おやすみなさい。もうやすみます。あなたがわたしのいる一日という場所を、このようにここちよい空間にしてくださいましたが、わたしにはまだそれをそうして下さったあなたのほんとうの意図が掴めていません。明日になればそれがはっきりとして来るかもしれません。その期待を胸に秘めて目を閉じることにします。もう真夜中になりました。わたしの空に星を散りばめたあなたのやさしさが涙になってわたしの瞼に沁みてきます。おやすみなさい。

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やわらかなおんなの人に触れたい

2016年06月27日 19時55分57秒 | Weblog

俗人さぶろう。俗悪さぶろう。やさしいばっかりのおんなの人の白く透き通る肌に触れたい。やさしいばっかりの人がこの世にいるわけはない。で、さぶろうは永遠に触れることはない。これでよろしい。透き通る肌をした人なんていない。これでよろしい。で、いつもここで幕が閉じる。願望するだけで終わる。夜が更けて夜が明ける。俗人さぶろう。どこまでも俗悪なさぶろう。煩悩無明の泥に這いずるばかり。泥の中にいるものは泥にいないものに恋い焦がれる。青い空のような、白い雲のような、透き通った、やわらかなおんなの人に触れたい。

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わたしたちは全く無力です

2016年06月27日 18時16分04秒 | Weblog

わたしたちは死ぬことが出来ません。

わたしたちで都合よく自力で死んでいるように見えてしまうのですが、<死ぬことができる条件>を満たしているのはわたしの力ではありません。

わたしたちはまったく無力です。

わたしたちは仏の手によって、仏の救いの手に救い取られて、死なされて行くばかりなのですから。

死は仏を頼んで完成完了していくのです。

大きな大きな宇宙の誓約によって成就されていくのですから。

わたしたちは自らの力で死んで行くことはできません。

生まれて来たようにして死なされて行くしかありません。常に受動態です。

前も真ん中もその後もただただ仏の偉大な力によっているのです。

生きるのも死ぬのもただただ宇宙の意思(キリスト教社会では愛、仏教用語では慈悲)によっているのです。

でもこれはさぶろうの受け取りです。

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悲観視してばかりじゃいられないよ

2016年06月27日 16時17分31秒 | Weblog

悲観視してばかりじゃいられないよね。政財界の人たちが智慧を集めて打開策を捻っているだろう。この混乱に乗じて火事場泥棒をする輩もいるかもしれないが、大概は火消しの努力に邁進しているはずである。これは一国の問題ではない。グローバルなのだ。経済はいまやグローバル経済なのだ。ミクロではなくマクロなのだ。大波が一挙に地球上を呑み込んでしまうのだ。ヨーロッパの結束が綻び始めた。この弱体化を歓迎した国も、或いはあるかもしれない。だが、資本主義経済は陸続きだ。影響を受けないですむ国はないだろう。世界秩序の統率者を自認している大国アメリカの大型エンジンも唸りを上げているだろう。EU内の綻びをミシン針で縫い合わせているEU裁縫師もフル活動をしているだろう。いまや日昇る国の中国もEU諸国と貿易を拡大してきたのだから、かすり傷くらいではすまされないかもしれない。楽観視してはいられないけど、悲観論ばかりじゃこのクライシスを打破できない。経済活動が頭打ちになれば国の発展は覚束なくなる。未来を生きるこどもたちに影ができてしまう。

さぶろうの心痛は、しかし、棒にも箸にも成らない。それこそ誰かさんの弁のように、世界の裂け目が広がらないように、まずはG7の開催国、旗を振ったこの国の経済の行く先を「注視して行く」しかないのだが。政府に打つ手はあるか。G7に打つ手があるか。森が燃え尽きてしまわないうちに、とにかく早期に火の手がおさまって欲しいものだ。

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世界が安定へ向かって動き出してほしい

2016年06月27日 15時37分53秒 | Weblog

イギリスがEUヨーロッパ連合の離脱を決めた。あろうことか、直接選挙の国民投票を仕掛けて、イギリス国民の総意の形をとって動かしがたい事実にしてしまった。統合へ統合への力の方向性がこれで止まった。ヨーロッパ諸国は分裂への下り坂を駆け下りて行く。全体の安定よりは一国という個の利益を尊重したのだ。この影響は凄まじかった。その日のうちに世界経済が一気に混乱した。ニュースではリーマンショックの時の株価下落を上回る勢いの国も出て来た。日本の日経平均株価はたった1日で、対前日比マイナス1000円以上となった。為替相場も津波を受けた。比較的安全だとされている円買いが進んで円高が進み、1ドルが100円を割る場面も出て来た。日本だけではない。各国の相場がメチャメチャになっているようだ。保たれていた秩序が破壊されたのだから、この堤防決壊はどの国にも深刻な打撃だ。いまやグローバルに津波は押し寄せる。今日の東京株式市場為替相場は1ドル102円台を推移した。しかし、株価は前日比プラス300円を突破。やや持ち直して来た。今後、日銀や政府や財務省がどう動くか。このまま混乱が続くようであれば、ます一番先に若者と老人とこどもたちの貧困が進むのではないか。失業率も高まってしまうだろう。貨幣経済の価値観が衰退して、生活は不安定度を増すだろう。若者に希望が失われたら国家は破綻する。これは当事国イギリスの若者層だって同じ思いだろう。ヨーロッパは移民問題を抱えている。宗教上の不調和もある。火種が四周を取り巻いている。紛争が紛争を呼ぶだろう。問題は、われわれ日本人が想定しているよりもうんと複雑であるに違いない。

逆転が起こらないか。逆流が起きて来ないか。世界が安定へ向かって、調和へ向かって、秩序へ向かって、平和へ向かって、動き出して欲しいものだ。週明けの今日の東京株式市場は少しだけ揺り戻した。逆流した。多くの人が少しだけ安堵の胸を撫で下ろしたであろう。

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寂しい荒野に放り出しておくしかない

2016年06月27日 15時12分28秒 | Weblog

信仰は自由だ。だからお仕着せをするつもりはない。ここにはよく仏教のことを取り上げている。読者はスルーしてもらっているに違いない。それで結構だ。これはさぶろうの処理能力の貧困問題だ。さぶろうは煩悩が盛んだ。業火に巻かれてしまうことがある。これを打ち消すために消防隊出動を要請しなければならない。それが仏教経典だ。ことばが隊員となる。消火活動をお願いする。これでようやく火の手がやわらいでくる。それでも収まらない場合がある。そのときはもう打つ手がないから、寂しい荒野に放り出しておくしかない。彼はそこを彷徨い歩く。寂しがる。それに耐えられるか。鍛練を積んでこころの筋肉を逞しくして耐えられるようにするしかない。そういうときにふと野のユリに助けられることがある。一輪の花の姿をした化仏が、やさしいおんなの人の声をしてさぶろうを慰めて来ることがある。拾われるのである。さようさよう。荒野滞在も悪いことばかりじゃないのである。しかし、これはさぶろうの場合である。信仰はあくまでも自由だ。自由でなければならない。束縛をするものであってはならない。

 

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