ズッキーニの種が発芽したよ。
蒔いていた種はほとんどすべて。
朝日を受ける双葉の、緑が眩いよ。
如雨露で水撒きを続ける。
わたしの愛情を水の元素にして、優しく降り掛ける。
ズッキーニの種が発芽したよ。
蒔いていた種はほとんどすべて。
朝日を受ける双葉の、緑が眩いよ。
如雨露で水撒きを続ける。
わたしの愛情を水の元素にして、優しく降り掛ける。
この世に生まれて来たくて、この世に生まれて来ました。だからこれですっかり百点満点なんです。願望はすべて成就しています。「ああよかった、ああよかった」で過ごしていけるはずです。
それからあとはみんな欲張りです。ああしたいこうしたいは欲張りです。
なのに、欲張ります、わたしは。欲張って失望して塞ぎ込みます。「ああよかった、あああよかった」で暮らして行けなくて、ことごとく失意します。
みんなそれは、しかし、わたしの傲慢がもたらした結果です。わたしの傲慢の量を減らせば、失意の量も減らせるはずです。
時間は6時半。気温は2・8℃。寒い。炬燵に入っている。足下はいいが、肩が寒い。ジャンパーを着込む。
8時半を過ぎた。日射しは弱いけれど、霜は解けた。気分を転じて、外に出た。帽子を被って、花壇を見て回った。
鹿の子百合があちこちで発芽していた。もう少し気温が上がったら、化学肥料を施肥をしてあげよう。
おややや、隣家の瓦屋根が白くなっています。霜が降りているようです。朝方、冷えたようです。
畑に植えている胡瓜苗が危ない! もう霜は降りるまいと高を括っていました。すでに10cmほどには育っています。
これは苗物屋さんで買い求めてきたものです。4株あります。温室栽培の促成でしょう。縮れて枯れてしまうでしょう。
ああ、嬉しい。
「ああ、嬉しい」を1分間隔で立て続けに10回言ったら、ついにとうとう嬉しくなった。世話掛けるなあ。
ま、いっか。とにかくも嬉しい気分になれたんだから。
嬉しくしてなくちゃ損だよ。損得勘定じゃいけないだろうけど。
なにせ老い先が短い。その短い時間をどうするか。どう過ごすか。
その間を、ニコリとしている。できるだけ、ニコリとしている。ニコリとしていたって、それで山の小鳥さんが集まって来てくれるでもない。
誰が褒めてくれるわけでもない。人に差し上げられるものでもない。
でも、鬱憤だらけにしているよりかは、そんな負の感情は吐き出してしまって、嬉しい気分を醸成した方がマシだ。
やっとやっと「ああ、嬉しい」になるが、長くは保てない。薄まってしまう。やがて闇雲に消えてしまう。またやり直しをしなくちゃならない。
1分おきに10回も繰り返さなくちゃならないとしたら、そうそう何回もはできない。難儀だ。
寒い。炬燵に入ってじっとしている。それでも手の先がかじかむ。ときおり炬燵の中に差し込む。エアコンはオンにしない。
窓の外は曇り空が広がっている。もうすぐ雨が降り出してきそうだ。予報だと終日雨か。お天道様にお目にかかれそうにない。
いつものヤクルト販売員さんが玄関に立たれた。玄関まで出る。いつものヤクルト1000を1セット買う。その1個を飲む。
昨日、嘉瀬川ダム、七山を超えて唐津に向かった。途中、咲きかけた桜の花を見て何度も立ち止まった。まだ1分2分咲きどまり。寒さが戻って来たので面食らっているかもしれない。
3月21日、月曜日になっています。春分の日、休日です。午前7時過ぎ。いまのところ雨は止んでいます。気温は低く、お爺さんの僕は炬燵に入って暖を取っています。窓の向こうは曇り空が覆っています。もうすぐ朝ご飯です。
昨日は午後から檀家寺に行きました。春の彼岸会のご説法を1座だけ聴聞しました。左の耳から右の耳へ抜けてしまって、さて、何を聞いてきたのやら覚えていません。広い御堂内は暖房を効かせてあって、うとうと寝てしまっていました。
畑の冬野菜が終わります。菜の花を着けてしまいました。もう食用には向きません。冬野菜のかずかずはみな抜いてしまって、夏野菜の準備に掛からねばなりません。九条葱、小葱、一本フトネギなどはまだ大丈夫です。薹が立っていません。
今日は昼から客人がお出でになる予定です。3ヶ月ぶりにお会いします。家内は牡丹餅をご馳走しようと張り切っています。