疑問が生じた。こういう疑問。
サツマイモや里芋やジャガイモなどは緑色の葉っぱで光合成をしてデンプンを地下茎に貯蔵する。貯蔵ができる。いざというときにはこれに頼ることができる。これは栄養分になる。次の生命体がここから生活をスタートさせることもできる。
カボチャにはカボチャの実がなる。ズッキーニにはズッキーニの実がなる。西瓜には西瓜の大玉が完熟する。樹木の梨や柿やブドウにも果実が実る。甘い果糖が貯蔵される。
山々は緑色をしている。これは草木が葉を緑にしているためだ。この緑の葉をつけた草木は、しかし、貯蔵をしない種類がある。
是はなぜか。これが今日の僕の疑問である。しないでいい理由があるためだ、ということは分かる。その、しないでいい理由とは、では、なんだろう?
幹を太らせておくことで十分なんだろうか? 根を太くして地中に埋めておくだけで十分としているのだろうか? そもそも貯蔵するという発想がないのだろうか? すんなりしているだけの草木も見かける。
どの草木も次の代の生命を育むために種子をつける。種子の周りに、その種子が根を出して発芽していけるだけの栄養素は準備しているはず。それが巨大化していないだけなのだろうか。
これは植物学の専門家の知恵をお借りしなければならないだろう。僕は無知だからこのへんのことも分かっていない。
サツマイモやジャガイモは、人間が人間に都合のよいように、人間の食料にできるようにと遺伝子操作をしているからだろうか。本来は、では、サツマイモもジャガイモもすんなりほっそりとしていたのだろうか?
貯蔵しないでいる姿が、草木の本来の姿なのだろうか?
あれだけ山野にあふれる草木が、せっせと毎日光合成をしておきながら、いったいそれをどうしているのだろう? 「必要な分だけの電力」の扱い方をしているのだろうか?