何事もない。日が落ちて日が昇る。
日が昇って日が落ちると考えると恐怖に捕まるが、そうではないのだ。日が落ちて日が昇る。何事もなく日が落ちて、何事もなく日が昇る。希望から希望への虹の橋を渡るばかりで、躊躇逡巡がない。
何事もない。日が落ちて日が昇る。
日が昇って日が落ちると考えると恐怖に捕まるが、そうではないのだ。日が落ちて日が昇る。何事もなく日が落ちて、何事もなく日が昇る。希望から希望への虹の橋を渡るばかりで、躊躇逡巡がない。
軽いのがいい。無抵抗なのがいい。押し止めない方がいい。流れに乗って流れた方がいい。日が落ちたら死ぬ。日が昇ったら生まれる。万事これで完了していくのだから、世話はない。不安はない。
何事もするすると成し遂げられていく。何事もない。何事もない。何事かはあろうと思って身構えていたのだが、何事もない。幾ばくかは執着があると踏んでいたが、その執着もない。悶着もない。
それまで日々に新しい風を受け、新しい光に浴し、新しい水と食事を摂取した。新しい野山を歩き、新しい大海に慰めをもらい、新しい大空を打ち仰いだ。よくもまあこれだけ新しく出来たものだと感動する。
これだけ多くを経過し経験し見て来たのだから、もうわたしは経験豊富なスペシャリストに近い。神宮奥座敷の神棚の神格者として厳かに祀られてもおかしくはない。だが、実際は軽い。飄々颯々としている。
夕暮れた。一日が一生であるとすれば、これから順次、するする死ぬ時間帯だ。日が落ちるとそれがするするすういと死ねたことになる。己の死とはそういうものだ。さらさらしていて抵抗がない。
朝が来て目覚めたらまた新しい一日の一生になる。これを繰り返す。わたしの場合は(71年+10ヶ月)x365日=26221日。つまり2万6千2百21生を生き死にしたことになる。
「よし、わかった、あんたに惚れた」「よかろう、遊んだ分は全額こちらで払ってやろう」と腹をぽんぽんと打って気前よく恵んでくれる福の神頼み。
「あとで倍にして返せ」「逆らうな」「おれを誉め讃えよ」などの有償では駄目。条件を出されても呑めない。無償で恵んでくれる寛大な福の神やあ~~~~い。
そんな甘い話が転がっているか。棚から牡丹餅が落ちて来るか。
しかしなあ、世の中は広いぞ。何が起こるかは分からないぞ。濡れ手に泡も、夢の中では実現する。もうちょいだ。ひょっとしてひょっとする。大吉大吉大吉ということも皆無ではない。。世の中は広い。
・・・・とまあ、さぶろうは炬燵に暖を取って、落花生の殻を剥いて、前歯でぽりりぽりり噛み潰しながら、ただいまドンキホーテになっているところ。
であるのに、暇を持て余して、気晴らしをしたくなる。いまは酒は飲んでいない。甘いものも食べられなくなった。食事制限も付いている。何か一つ二つ楽しいことがなくては身が持たない。友人曰く、どのみちどうせ死ぬのだから好きな酒を飲んでいいじゃないか。甘いもの好きなものを喰って口の賑わいをさせてやればいいじゃないかと言う。病院へ行くからあれこれの制限条項が出て来るのだ。その通りだ。
ああ、ぶらりぶらり旅へ出てみたい。遠くへ行きたい。行きたいところへ行って、見たい風景を見て、泊まりたいところにふらりと泊まる。もちろん一人だ。勝手気ままのふらりふらりに付き合う人はいない。問題は遊び資金だ。パトロンがいるわけじゃなし。あとは福の神頼み。
いささか愚痴ることになるが、高齢者国民保険代、電気代、水道代、ガス代、下水道代、新聞代、受信料、ネット・スマホ通信費、火災保険、自動車任意保険、車買い取りローン、高速使用代金、給油代金その他もろもろ、年金生活者の年金からなにやらかにやら引かれ引かれて、わずかながら入って来るが、それもまだ半月もある。とにかくやたら差し引かれる。加えて市役所から税金が請求されてくる。月々の病院の診察代金もばかにはならない。
みなさんこれでよくやっていくなあ。退職後の無職浪々の身で支出をやり繰りしながら生活をするというのは大変だなあ。
おはようございます。寒さがやわらいでいるみたい。
昼の草取り、玉葱畑の施肥、夜の切り干し大根作りもちょっと一段落。集落の30分間散歩は三日坊主だった。もうやっていない。怠け者。
ミニ自転車を車に積んで遠くへひょいと旅に出掛けたいが、費用支払いの算段が付かない。財布に持ち合わせがなくとも、気がはやる。ともかく出てみたい。どうしたらいいか。思案中。
待っても待っても兎は切り株にぶつからない。打出の小槌をくれてやる殊勝な鬼にも、いままでのところ出遭わない。鬼一匹にすら。
ままごとのひとり土遊びで小半時を浮き浮きして過ごせた。有り難いことだ。この年齢に届くと可成りの欲望が切って落とされている。出世欲もない。尊敬されたいの名誉欲もない。金を儲けて威張り散らしたいもない。女性にもてはやされたいのお色気もない。冬日の中の<ひとり土遊び>でいい。時がこれで勝手気ままに流れていく。
もう夕暮れ。藪の冬椿のあたりがもう暗い。雀が笹の茂みの塒(ねぐら)に帰って来ているらしい。団欒の声がする。
午後からぶらり園芸店に行ってチューリップの球根を20球買い求めた。赤と黄色それぞれ10球。1球30円。合計で600円と消費税。植え付け時期がちょっと遅いかも知れない。もう発芽しているのもある。
帰宅して早速、玄関先の花壇に12個、長方形のプランターに5個、ベランダの濡れ縁の丸い鉢に3個を植えこんだ。もちろん施肥も忘れなかった。移植鏝を遊具にして土遊び。「一人ままごと遊び」を遊んでいるようだった。しかし、これだけのことをしておくと、いよいよ春が来るのが楽しみになった。気分がそわそわする。まるでこどものようだ。しかし、さて、この老爺は春まで元気で生きていられるかどうか。確かではない。