無いものにおびえる、ということで生まれる「心配」。
私を支配するもののひとつです。
こういう話題になって、良かったなぁ。
なんせ、このブログは、書きながら考え、整理する大事な場になっているのですもの。
私は、決して、わかった上で書いているわけではありません。
書きながら、考え、前に進んでいるんです。
だから、途中で行きつ戻りつしても、許してくださいね。
さて、心配。
これから解放されたら、どんなに人生楽だろー。
ちょっとスイッチが入ると、たちまち入道雲のごとく、すごい勢いで「心配」が
大きくなってしまう。
「家族」「健康・命」のスイッチが一番敏感で、入道雲を大きくさせるようです、私の場合。
つまり、自分にとって、とっても大切なものに反応するのですね。
じゃ、どういう仕組みでスイッチが入るのか。
「~になったらどうしよう。」
「~になってしまうかもしれない。」
と、思った瞬間にスイッチが入ります。
・・・ではないね。
「私が、スイッチを押しています。」ですね。
そう、スイッチを押すのは私なのです。
同じ状況でも、主人のスイッチは押されないことは、よーくあります。
つまり、心配っていうのは、極めて主体的なことなのね。
心配するのも、心配しないのも、本人が決められるのよね。
自動的、強制的ではないってことよね、本来。
ただ、自動的にスイッチが押されてしまう、と錯覚するくらいの早さや的確さがある、
ということで、ここが問題なのでしょう。
ここが、なんとかなれば・・・
ふ~む、少し心配から解放される可能性が、見えてきたみたい・・・。
私を支配するもののひとつです。
こういう話題になって、良かったなぁ。
なんせ、このブログは、書きながら考え、整理する大事な場になっているのですもの。
私は、決して、わかった上で書いているわけではありません。
書きながら、考え、前に進んでいるんです。
だから、途中で行きつ戻りつしても、許してくださいね。
さて、心配。
これから解放されたら、どんなに人生楽だろー。
ちょっとスイッチが入ると、たちまち入道雲のごとく、すごい勢いで「心配」が
大きくなってしまう。
「家族」「健康・命」のスイッチが一番敏感で、入道雲を大きくさせるようです、私の場合。
つまり、自分にとって、とっても大切なものに反応するのですね。
じゃ、どういう仕組みでスイッチが入るのか。
「~になったらどうしよう。」
「~になってしまうかもしれない。」
と、思った瞬間にスイッチが入ります。
・・・ではないね。
「私が、スイッチを押しています。」ですね。
そう、スイッチを押すのは私なのです。
同じ状況でも、主人のスイッチは押されないことは、よーくあります。
つまり、心配っていうのは、極めて主体的なことなのね。
心配するのも、心配しないのも、本人が決められるのよね。
自動的、強制的ではないってことよね、本来。
ただ、自動的にスイッチが押されてしまう、と錯覚するくらいの早さや的確さがある、
ということで、ここが問題なのでしょう。
ここが、なんとかなれば・・・
ふ~む、少し心配から解放される可能性が、見えてきたみたい・・・。