以前のブログが消えてしまい
今回も追想記録
Myジュリアこと2000GTVは僕のところに来るまでワンオーナー車
84歳の御婦人が2001年まで大事に所有しており
新車時にはスキーや子息の送迎にも使われる乗用車的扱いもありつつも
全て伊藤忠もしくはいすゞでのフルメンテナンスと室内保管でしたので
錆などどこにも無い状態
これまたワンオーナー極上のGT1300Jrに乗ってたのに
それを手放してまで2000GTVにしたのは
もっとも完成されたジュリアに興味があった事と、GTAmへの憧れ
あわよくばオタフクフェンダーにしてGTAm風に・・・って思ってたが
こんな極上なボディを切るなんてしないぞ!っと当時付き合いのあった板金屋に言われ
そんなに凄く程度が良いんだっと喜びつつ、普通のエンジンでGTAmってのも寂しいな
って思いでこのまま楽しもうと決意したのは覚えてる
泉55のレアなナンバープレートでバンパーも付いてましたし
当時のディーラー車らしくスバルのウィンカーにいすゞのフェンダーミラー
レンズはコイト、フロントガラスなどの交換歴もなくウェザーも新車時から
どこも改造などされてなく、このまま維持しておくべきだったかもしれない状態
入手後色々とモディファイしてきまして2011年まではノーマルフェンダー
2000のグリルが1750GTVとなって、バンパーは外され
カーペットなどの床材撤去とバケットシートに識別カラー
カラーリングは1971年 トイネ・ヘイゼマンGTAmをオマージュ
この頃はノーマルに戻せるカスタムって事でパーツの変更程度
2009年ロールケージを入れて「もう元には戻さない」って気持ちが少し変わりますが
それでもオタフクにする予定はなく
最後までオリジナルエンジンはチューニングせずノーマルのままで走ってました
今思えばこの頃の僕が一番速かったようにも思います
だってオタフクでもなくエンジンは新車時からのままで、今より数秒遅いだけですから
2008年GTAmエンジン入手で心が揺らぎます
ここからは言い訳ですが、あえて書きます
GTAmは1750GTVベースに作られており
それまでの段付GTAのように専用のボディではなく、車体番号もAm用ってのはなく
1750GTVのラインの中から引き出されて作られた
いわゆる1750GTVのワークスチューニングカー的ポジション
その後2000GTVが発売されると2000GTAmっとなりますが
事実は元々の1750GTAmを改良したもので、ボディはやはり普通のGTVので
内装も1750GTVのままでタコメーターやバケットなどが替えられた程度
てことで、GTAmの特徴はエンジン
それを手に入れたら、オタフクボディにしたかった気持ちが再燃焼
当時これをしてたのはアウトパルコの谷中さんとボンバロッサのお二人
ボンバのお殿様には会うたび「オタフクにしない?」って勧誘受けてたのが懐かしい
ある時ダルマンドーのOさんが
オタフクフェンダーを安くするから買わないか?とのオファーに何となく乗って
MINI G1GPってタイムトライアルでフェンダー軽く傷つけて火が付きました
修理ついでにオタフク化・・・
フロントはここまでカット
そうしないと外に出たタイヤがステア切った際元のフェンダーに当たります
これはドキドキしました
ほとんどは板金としさんですが、僕も一部カットさせてもらいました
リアはフロントほどでは無いようにみえますが
見た目以上にリアのカットは勇気がいります
それでもこれぐらいカットしました
ペンのラインがカットライン
カット後にオタフクフェンダー当てて確認
簡単そうで全然簡単ではなかったらしく
オタフクフェンダーの出来は日本のエアロとは大違いで
ヨレヨレで左右非対称で元のフェンダーに全然フィットせず
あちらをつければこちらが浮いての連発
救いは入手したオタフクフェンダーの厚みが薄くフニャフニャで
無理やり曲げやすかった事(笑)
そして僕がその波やうねりを好んで修正なしでそのままリベット留めして
浮いた隙間も味として良しとしたこと
もしジュリアのフェンダーのような綺麗なのを求めたら板金屋さんは泣いたと思います
フィットどころか左右で膨らみも形状も違います
今でも僕のフェンダーのあちこちは浮いてて形が左右違いますから見てください
で一旦赤多めの感じになって
2011年5月オタフク化完了
写真は完成直後、今の僕の好みでは車高が低すぎ
この時点で陸運局にて全て公認取得しております
入手して10年後、絶対届かないはずのGTAmが出来てしまいました♪
それでもこれは2000GTVであってGTAmレプリカですが
僕の考えでは2000GTVをベースにGTAmエンジンを積んだのですから
ほぼGTAm(笑)
パーツもなるべくそれに近いものを用いウィンカーやナンバー灯、グリルなどは同じだと思いますし
出来るだけ今時のモディファイやパーツは用いないように心掛けましたが
タイヤは選択のしやすさを考慮して15インチと、ジュリアでもGTAmでもあり得ない大きさとなってて
ここが13インンチであればもっと・・・・・
結局狭角エンジンが来てくれたからオタフクにする気になりました
誰かを否定するつもりはありませんが、GTAmの魅力はエンジン
そのエンジン無くてはオタフクにする一歩は無かった
あとこれを見てわかると思いますが簡単に元に戻せないこと
オタフクにするなら最後まで乗るぐらいの覚悟でやって欲しい
オタフクボディが好きというより、そのボディの中にあるエンジンが大好きであり
本物のGTAmへの憧れは消えませんが
僕は自由にいじれて気軽なMyジュリアの方が良かったと思います。
今回も追想記録
Myジュリアこと2000GTVは僕のところに来るまでワンオーナー車
84歳の御婦人が2001年まで大事に所有しており
新車時にはスキーや子息の送迎にも使われる乗用車的扱いもありつつも
全て伊藤忠もしくはいすゞでのフルメンテナンスと室内保管でしたので
錆などどこにも無い状態
これまたワンオーナー極上のGT1300Jrに乗ってたのに
それを手放してまで2000GTVにしたのは
もっとも完成されたジュリアに興味があった事と、GTAmへの憧れ
あわよくばオタフクフェンダーにしてGTAm風に・・・って思ってたが
こんな極上なボディを切るなんてしないぞ!っと当時付き合いのあった板金屋に言われ
そんなに凄く程度が良いんだっと喜びつつ、普通のエンジンでGTAmってのも寂しいな
って思いでこのまま楽しもうと決意したのは覚えてる
泉55のレアなナンバープレートでバンパーも付いてましたし
当時のディーラー車らしくスバルのウィンカーにいすゞのフェンダーミラー
レンズはコイト、フロントガラスなどの交換歴もなくウェザーも新車時から
どこも改造などされてなく、このまま維持しておくべきだったかもしれない状態
入手後色々とモディファイしてきまして2011年まではノーマルフェンダー
2000のグリルが1750GTVとなって、バンパーは外され
カーペットなどの床材撤去とバケットシートに識別カラー
カラーリングは1971年 トイネ・ヘイゼマンGTAmをオマージュ
この頃はノーマルに戻せるカスタムって事でパーツの変更程度
2009年ロールケージを入れて「もう元には戻さない」って気持ちが少し変わりますが
それでもオタフクにする予定はなく
最後までオリジナルエンジンはチューニングせずノーマルのままで走ってました
今思えばこの頃の僕が一番速かったようにも思います
だってオタフクでもなくエンジンは新車時からのままで、今より数秒遅いだけですから
2008年GTAmエンジン入手で心が揺らぎます
ここからは言い訳ですが、あえて書きます
GTAmは1750GTVベースに作られており
それまでの段付GTAのように専用のボディではなく、車体番号もAm用ってのはなく
1750GTVのラインの中から引き出されて作られた
いわゆる1750GTVのワークスチューニングカー的ポジション
その後2000GTVが発売されると2000GTAmっとなりますが
事実は元々の1750GTAmを改良したもので、ボディはやはり普通のGTVので
内装も1750GTVのままでタコメーターやバケットなどが替えられた程度
てことで、GTAmの特徴はエンジン
それを手に入れたら、オタフクボディにしたかった気持ちが再燃焼
当時これをしてたのはアウトパルコの谷中さんとボンバロッサのお二人
ボンバのお殿様には会うたび「オタフクにしない?」って勧誘受けてたのが懐かしい
ある時ダルマンドーのOさんが
オタフクフェンダーを安くするから買わないか?とのオファーに何となく乗って
MINI G1GPってタイムトライアルでフェンダー軽く傷つけて火が付きました
修理ついでにオタフク化・・・
フロントはここまでカット
そうしないと外に出たタイヤがステア切った際元のフェンダーに当たります
これはドキドキしました
ほとんどは板金としさんですが、僕も一部カットさせてもらいました
リアはフロントほどでは無いようにみえますが
見た目以上にリアのカットは勇気がいります
それでもこれぐらいカットしました
ペンのラインがカットライン
カット後にオタフクフェンダー当てて確認
簡単そうで全然簡単ではなかったらしく
オタフクフェンダーの出来は日本のエアロとは大違いで
ヨレヨレで左右非対称で元のフェンダーに全然フィットせず
あちらをつければこちらが浮いての連発
救いは入手したオタフクフェンダーの厚みが薄くフニャフニャで
無理やり曲げやすかった事(笑)
そして僕がその波やうねりを好んで修正なしでそのままリベット留めして
浮いた隙間も味として良しとしたこと
もしジュリアのフェンダーのような綺麗なのを求めたら板金屋さんは泣いたと思います
フィットどころか左右で膨らみも形状も違います
今でも僕のフェンダーのあちこちは浮いてて形が左右違いますから見てください
で一旦赤多めの感じになって
2011年5月オタフク化完了
写真は完成直後、今の僕の好みでは車高が低すぎ
この時点で陸運局にて全て公認取得しております
入手して10年後、絶対届かないはずのGTAmが出来てしまいました♪
それでもこれは2000GTVであってGTAmレプリカですが
僕の考えでは2000GTVをベースにGTAmエンジンを積んだのですから
ほぼGTAm(笑)
パーツもなるべくそれに近いものを用いウィンカーやナンバー灯、グリルなどは同じだと思いますし
出来るだけ今時のモディファイやパーツは用いないように心掛けましたが
タイヤは選択のしやすさを考慮して15インチと、ジュリアでもGTAmでもあり得ない大きさとなってて
ここが13インンチであればもっと・・・・・
結局狭角エンジンが来てくれたからオタフクにする気になりました
誰かを否定するつもりはありませんが、GTAmの魅力はエンジン
そのエンジン無くてはオタフクにする一歩は無かった
あとこれを見てわかると思いますが簡単に元に戻せないこと
オタフクにするなら最後まで乗るぐらいの覚悟でやって欲しい
オタフクボディが好きというより、そのボディの中にあるエンジンが大好きであり
本物のGTAmへの憧れは消えませんが
僕は自由にいじれて気軽なMyジュリアの方が良かったと思います。