京都左京区聖護院山王町にある熊野神社に立ち寄りました。
創建は弘仁2年(811年)で、修験道の日圓が国家護持の為に紀伊熊野から熊野大神を勧請したのに始まります。
平安末期、度々熊野詣でを行っていた後白河法皇によって、紀伊熊野から持ってきた土や樹木によって整備されたそうです。
室町時代には将軍 足利義満から広大な社地を寄進され、その境内は鴨川までに至る広大なものとなりましたが、応仁の乱で社殿が焼失して以降は衰退しました。
その境内には京都銘菓八ッ橋中興の祖、西尾為治の像と『八ッ橋発祥之地』の碑がありました。
明治時代に京都に鉄道が開業すると西尾為治の父 松太郎は京都駅で八ッ橋を販売し、全国的に有名になりました。大正時代、息子の為治はパリ万博に八ツ橋を出品して銀賞を受賞しました。
このように西尾親子が八ッ橋の普及に影響を及ぼしたのは確かですが、八ツ橋の起源や最古の業者については不明な点が多くあります。そのため、聖護院八ッ橋総本店や本家西尾八ッ橋、井筒八ッ橋本舗などの間で時々訴訟沙汰が起こる原因となってます。。
熊野神社の隣には聖護院八ッ橋総本店がありました。
元々、西尾為治の和菓子店「玄鶴堂」を法人化して大正時代に誕生した聖護院八ッ橋総本店ですが、経営危機に陥り破産。経営権は当時専務であった鈴鹿太郎に移ります。西尾一族は経営にタッチできなくなり、後に本家八ッ橋聖護院西尾を名乗って法人化しますが、聖護院を名乗ったことで聖護院八ッ橋総本店から提訴されます。また、聖護院八ッ橋総本店が創業元禄二年を名乗ることは誤認表示にあたるとして、井筒八つ橋本舗が提訴したこともありました。何かややこしい話ですね
聖護院を後にして、岡崎の平安神宮に向かってみます
写真はお寺じゃなくて、途中にあった京都武道センターの旧武徳殿。
平安遷都1,100年記念事業の一環として明治32年に営造された日本最古の演武場として国の重要文化財に指定されてます。
つづく
過去記事<京都写ん歩 京都御苑、横切っただけ>
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