2月4日
立春の日は朝から良い天気。朝の気温は-2℃でしたが、刺すような冷たさではなく、昼間は暖かくなりそうです。
息子を模試に送ったついでに滋賀県甲賀市水口町にあるお寺を訪れました。
浄土宗家松山大徳寺は元は禅宗の林慶寺でしたが、天正16年(1588年)に水口岡山城初代城主の中村一氏が同寺を香花院(菩提寺のこと)と定め、小田原大蓮寺の僧 叡誉に寺の建造を頼み、浄土宗に改め浄慶寺と号しました。
山門横のイロハモミジは水口町の古木・名木に指定されてます。
本堂に掲げられた山号の「家松山」の額。
家松山とは不思議な山号だと思いませんか
寺を建造した僧 叡誉は徳川家康が幼少の時の学問の先生でした。家康は関が原の戦の後にこの寺を訪れて寺領29石と金品を寄付し、家康の「家」と松平の「松」の各1字をとって「家松山」の山号を与えました。
その後、上洛のために水口を通る時はこの寺で宿泊したそうです。慶長7年(1602年)に家康は2世岌誉の法話を聞き、香木と法服を与えて寺号を大徳寺と改めさせました。
徳川家康公腰掛石
境内には家康が腰掛けて叡誉上人と色々話し合ったと伝えられる腰掛石がありました。
松潤に腰かけて欲しいな(笑)
神君伊賀越え以外の史蹟で、こんな身近なところに家康ゆかりの場所があるなんてね。
もう少し境内をぶらぶらしてみましょう
過去記事<神君伊賀越えゆかりの徳永寺へ>
過去記事<旧東海道水口宿 早朝散歩>
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