滋賀県甲賀市甲南町にある天台宗 補陀落山 檜尾寺(ふだらくせん ひのおじ)に参拝してきました。
大同元年(806年)、比叡山延暦寺の根本中堂建立のための良材を求めてこの地を訪れた伝教大師最澄は、この地に巣くう大蛇が尾を動かす度に火が出て樹木を焼き、人畜を害していることを知りました。最澄はこの大蛇を降伏退治し、直ちに千手観音像を自作・安置して、この火尾寺を創建されたと云われています。
本堂
仁寿3年(853年)に慈覚大師が師命により文徳天皇の勅を奉じ堂宇を再建。
この時、寺号の火を檜に改称して、院号 文殊院、寺号 檜尾寺となり、檜尾神社の別当寺として28院6坊を有する大寺であったと云われています。以後、数回の兵火に焼かれるも何度も再建され、安政年間(1854-1860年)に元空大和尚が現在の本堂を再建しました。
過去記事<檜尾神社の極彩色彫刻>
檜尾寺は、近江西国三十三カ所第30番、甲賀西国三十三カ所第11番、近江湖南二十七名刹霊場、びわ湖百八霊場第84番となってます。
文殊院本坊の前にあった毘沙門天石像の苔蒸した感じが素敵ですね
この辺りには補陀落(ふだらく)を山号とするお寺が多いのですが、補陀落とは南の海の彼方にある観音菩薩が住まう浄土のことで、サンスクリット語の Potalaka(ポータラカ) を語源としているそうです。
檜尾寺と檜尾神社から400mほど離れたところにある真っ黒な短い鳥居。
おそらく昔は、ここまで参道が伸びていたんでしょう。
この黒鳥居は、根本の腐食が進んでしまい、上部のみが保存されていますが、一説には江戸時代初期の伝説の彫刻師 左甚五郎の作とも云われてます。
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