第133回 2016年7月26日 「夏を涼しく やわらかく~大阪 錫(すず)製品~」リサーチャー: 宮﨑香蓮
番組内容
今回ご紹介するのは、夏にぴったりのイッピン。大阪で作られる錫(すず)のタンブラーだ。見た目に涼しげなばかりか、飲み物を注げば驚くほど早く冷える。40年間、不動の人気を誇るロングセラー。それを生み出す伝統のワザとは?また近年、一流料亭でひっぱりだこの錫の器がある。これは一度途絶えた技術を職人が執念で復活させたもの。そこに秘められた物語とは?ひんやりと美しい金属の世界を宮﨑香蓮がリサーチする。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201607261930001301000 より
詳細不明につき、勝手に調べてみました。
「大阪錫製品」
日本の錫器の歴史
錫器が日本に伝わったのは今から約1300年前といわれ、奈良正倉院宝物に錫製薬壷・水瓶などが数点保存されています。金、銀に並ぶ貴重品であった錫は宮中でのうつわや有力神社の神酒徳利、榊立などの神仏具としてごく一部の特権階級のみ使用されてきました。
『人倫訓蒙図彙』(1690年出版された風俗事典的絵本)では「錫師は錫鉛を以て徳利鉢茶壺を造る、」と記され、江戸初期に京都を中心に製作されていた事が確認されています。
その後広く一般にも普及していくと酒器や茶器の形も美しさを保ちながら使い易さを重視した現在の形に落ち着いてゆきました。
大阪浪華錫器の歴史
大阪における錫器造りの起源は、延宝7年(1679年)『難波雀』に「錫引き、堺い筋」とその記録があり、江戸中期には、心斎橋・天神橋・天王寺など流通の良い上方(大阪)で生産され、やがて産地から産業へと拡大されました。
錫屋の老舗〝錫半〟(1996年閉店)が正徳4年(1714年)に心斎橋で開業。その後多くの大阪の錫器製造業者が集合し、特産品としての地位を確立しました。
最盛期の昭和前半には大阪全体で300名を超える職人が競うようにその腕を振るったといわれています。
第2次大戦の勃発とともに、職人の招集が相次いだり、戦時統制により材料の入手が困難になるなど大きな打撃をうけました。
それでも、昭和58年(1983年)3月、錫器の伝統性・技術・技法等について審議の結果、当時の通産大臣(現 経済産業大臣)より伝統的工芸品『大阪浪華錫器』として指定・承認されました。
日々の研鑚を忘れることなく先人たちの優れた技術や知恵を受け継ぐ品を作り続けています。
以前お世話になった「錫半」さんが閉店されていたとは・・・ショックです。
*https://www.miihin.jp/SHOP/osu-1401.html より