「退き佐久間 佐久間信盛」
佐久間 信盛(さくま のぶもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の宿老、鳴海城主。平手政秀自害から主君の織田信長による折檻状で織田氏を離れるまでの約30年間、織田氏家臣団の筆頭家老として家中を率いた。尾張佐久間氏の当主。通称は出羽介、右衛門尉。子に信栄・信実。従兄弟に佐久間盛次(佐久間盛政・佐久間安政・柴田勝政・佐久間勝之の父)がいる。
尾張国愛知郡山崎(現在の名古屋市南区)に生まれ、織田信秀に仕えた。後に幼少の織田信長に重臣としてつけられ、信秀死後の家督相続問題でも一貫して信長に与し、信長の弟・信時を守山城に置くよう進言し、城主だった信長の叔父・織田信次の家臣・角田新五らを寝返らせ、信長の弟・信行の謀反の際も稲生の戦いで信長方の武将として戦った。その功により以後家臣団の筆頭格として扱われ、「退き佐久間」(殿軍の指揮を得意としたことに由来)と謳われた。ただし、信盛の撤退戦での具体的な活躍を記した記録や史料は一切ない。むしろ織田軍の先鋒としての侵攻戦での手柄のほうが多く記録されている。
*Wikipedia より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます