「杜と水の都 盛岡」
盛岡を指す雅称として「杜陵」があり、転じて「杜の都」とも言う。岩手県立盛岡第一高等学校の「学生歌 杜の都」(制定年不明)や盛岡市立城西中学校の校歌(1962年(昭和37年)4月制定)には「杜の都」と歌われている。ただし現在、市のウェブサイトでは「杜の都」は使っておらず、「杜と水の都」が使われている。*Wikipedia より
水と杜の都の「美しい川に囲まれた風景」 2022.03.02
日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、東北ナビゲーター・山口由さんより、岩手県盛岡市の「美しい川に囲まれた風景」をご紹介いただきました。
地元好きにとって盛岡が持つ魅力の全てが愛おしい
盛岡といえば南部鉄器や漆器、古代型染めなどの伝統工芸品が豊富で、じゃじゃ麺、冷麺、わんこそばといった麺文化も盛んな街です。そのほかにも美しいものや美味しいものが目白押しで、日々の暮らしの中でもふとした瞬間に「盛岡っていいなぁ」と感じることがたびたびあります。
今回、そんな盛岡の「100年先に残したいもの」をご紹介するのは、ふるさとLOVERSナビゲーター東北支部の山口由です。子どもの頃に岩手から関東へ引っ越したものの、「故郷の山、岩手山が見える場所で暮らしたい!」という思いを捨てきれず、10年ほど前に盛岡市へUターンしました。
盛岡のあふれる魅力を一つに絞ることは難しいですが、この街を象徴するような何かはきっとあるはず。そう考えた私は、まずは街を散策してみることにしました。
街に繰り出すと川のある風景にしばしば出会う
盛岡の街を歩いていると、古いレンガ造りの建物や歴史を感じさせる町家などに出会います。なかには何十年も姿を変えることなく営業を続けている喫茶店もあり、日常の中に「今」と「昔」の両方が息づいているような、不思議な雰囲気が漂っています。
そんな街のいたる所で目に飛び込んでくるものといえば、市内を流れる川の姿。その清らかな流れを見ているうちに、私が思う盛岡の「100年先に残したいもの」は、この川じゃないかと思うようになりました。
街の中心部を流れる川に泳ぐアユと遡上するサケ
盛岡には岩手県の中央部を北から南へと流れる北上川(きたかみがわ)を始め、大小さまざまな河川があります。市役所のすぐ裏手を流れる中津川には夏になると子供たちが水しぶきを上げて遊ぶスポットがありますし、アユ釣りが解禁になる7月上旬からは、釣り人たちがこぞって北上川や中津川に長い竿を出します。
特に盛岡駅から車で10分ほどの場所にある明治橋からは、雄大な北上川と釣り人、さらには岩手山も望むことができるので、個人的に大好きな場所です。アユ釣りができるのは夏から秋の終わりにかけてと限られているため、この時期は朝一番で釣りを楽しんでから会社に出勤するというつわものもいるそうです。
そして毎年10~12月にかけて、中津川では産卵のために遡上するサケの姿も見られます。この季節は駅から徒歩20分ほどの場所にある上ノ橋(かみのはし)や、その下流に架かる毘沙門橋(びしゃもんばし)などで、川をのぞきこんでいる人をよく見かけます。かくいう私も、その一人。川の流れに逆らいながら泳ぐサケを見て季節の移り変わりを知り、「そろそろ冬支度しなきゃ」と思うのです。
アユ釣りの解禁日やサケが遡上するタイミングはその年によって異なるため、事前に盛岡市観光課へ問い合わせて、今年の状況を確認するのがおすすめです。
また市内にはいたる所に清水が湧き出し、その中には今も"お茶っこ”(盛岡の言葉でお茶のこと)を淹れるのに使ったり野菜を洗ったりと日常的に利用されている場所があります。今回の取材中も、地域の方が一人、また一人と水を汲みに訪れていて、水との距離が近い盛岡ならではの日常が息づいていました。
四季折々に違った顔を見せる川は、まるで一つの生き物のよう
私が関東からUターンして最初に驚いたのは「盛岡の川には表情がある」ことでした。もちろん怒ったり泣いたりするわけではありません。冬の間は冷たく青黒い色をしていた川面が、春になると雪代(ゆきしろ/雪解け水)で柔らかい色になり、夏には青々と涼しげな流れへと変わっていくのです。
みんなが憩う城跡で川のせせらぎに耳を傾ける
そんな美しい川に囲まれた盛岡の街が誕生したのは、時をさかのぼること江戸時代。北上川と中津川の合流地点にある丘陵部を利用して盛岡城が築城され、それぞれの川が外濠として利用されていました。長い歴史の中でお城そのものは失われてしまいましたが、城跡に作られた盛岡城跡公園では今も白い花崗岩で作られた立派な石垣を見ることができます。
盛岡の中心地に位置し、駅から循環バスが出ているので観光スポットとしても人気の場所。緑が多くベンチもたくさんあるので、街歩きをして疲れた時の休憩場所としてもおすすめです。
長い時間をかけて人の手で取り戻すことができた清流
江戸時代から変わらず美しい川だったのかと言えば、決してそうではありません。戦後の人口増加や都市化などによって汚水が流入し、川はどんどん汚れていきました。
特に「東洋一の硫黄鉱山」と呼ばれた松尾鉱山から出た大量の強硫酸水は大きな社会問題に発展。松尾鉱山が閉山した後、その跡地に「旧松尾鉱山新中和処理施設」が建設され、今も休むことなく中和処理を続けています。
これまでもこれからも、美しい川とともに生きる
現在の北上川には、魚や鳥、植物など多くの生き物が息づいています。その雄大な流れを見ていると、人は自然を壊すだけでなく、再生することもできるのだということを身を持って教えてくれているように思います。
そんな慈愛に満ちた川のほとりで歴史を刻んできた盛岡の街。できるなら少しでも多く、盛岡を訪れた人に生き生きとした川の表情が伝わりますように。そして100年後もその先も、この街に今と変わらない美しい川が流れていますように。そう願わずにはいられない、盛岡ならではの川のある風景です。
*https://tabi.furu-po.com/article/180 より
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