自民党の麻生太郎副総裁は25日、北海道で衆院選の公認候補とともに街頭演説し、道産米について「昔、北海道のコメは『やっかいどう米』と言うほどだったが、今はやたらうまいコメを作るようになった。農家のおかげか、違う。温度が上がったからだ。温暖化というと悪いことしか書いてないが、いいことがある」などと発言した。温暖化にメリットがあるかのような発言だが、品種改良に取り組んだコメ農家の努力などには触れておらず、波紋を広げそうだ。
麻生氏は演説で「おぼろづき、こちぴかり、金賞取った。いずれも北海道米だ」とも発言した。「こちぴかり」という名の道産米ブランドはなく、事実誤認とみられる。【高橋由衣】 毎日新聞 10/25(月) 21:00配信
*https://news.yahoo.co.jp/articles/28468e5d2d05d6e695d0fa51e1bdb4eec802f9f8 より
「温暖化したおかげで北海道のコメはうまくなった」 自民・麻生氏 10/25(月) 16:30配信
■ 自民党・麻生太郎副総裁(発言録)
暑くなった、温暖化した、悪い話しか書いてないけど、温暖化したおかげで北海道のコメはうまくなったろ? 北海道米は昔は厄介道米って言われてたじゃないの。それなのに今はコシヒカリだ、コチピカリだ、ねえ、なんか怪しげな名前だけど、おぼろづきとか名前をくっつけて金賞をとって、その米を輸出してんだよ。
そういったものは温度が2度、お米の花が実に変わるあのころの温度が2度上がった。それだけで売れるようになった。おいしいお米になって。それを輸出してる。これが今の現実じゃありませんか。
北海道の雪がいいから、フランスからオーストラリアからスキーやりに人が来てる。倶知安だ、ニセコだ、みんな行ってるわけだ。そういったことを思い出していただくと、北海道にはこれで新幹線だ、この小樽経由で札幌まで行くんでしょ。今の札樽道路も通ってくる。一つ一つ明るい将来というものが出てくる。(北海道小樽市の街頭演説で)
麻生氏「コメがうまいの温暖化のおかげ」発言 火消しに躍起の政府 毎日新聞 2021/10/26 20:46
自民党の麻生太郎副総裁が「北海道のコメがうまいのは、農家ではなく地球温暖化のおかげだ」と発言したことが波紋を広げている。北海道を中心に農産関係者の反発は強く、政府・与党は火消しに追われた。
麻生氏は25日、北海道内であった衆院選候補者の応援演説で「昔、北海道のコメは『やっかいどう米』と言うほどだったが、今はやたらうまいコメを作るようになった」とした上で、品質向上は農家の努力ではなく「温度が上がったからだ。温暖化というと悪いことしか書いていないが、いいことがある」などと述べた。
しかし、北海道庁などによると、実情がまったく異なる。北海道は特有の厳しい気候に適した品種の開発・改良を数十年にわたって継続し、全国屈指のコメの主産地となった。1988年に登場した「きらら397」をはじめ、「ななつぼし」「ゆめぴりか」といったブランド米も次々と誕生している。
9月25日現在の北海道の2021年産米の作付面積は10万3300ヘクタール、主食用米の予想収穫量は52万6000トンに上り、いずれも新潟県に次ぐ規模だ。道内の農家で構成する「北海道農民連盟」の大久保明義委員長は26日、「全国でも北海道米が高い評価を得ているのは、全道を挙げてコメの品種改良を重ね、官・民・農が一体となって協力し、地位を確立した結果。生産者の努力と技術をないがしろにするような発言は断じて許されない」と抗議する談話を出した。
政府・与党は後始末に追われている。松野博一官房長官は26日の記者会見で「コメントは差し控えたい」と沈静化を図った。金子原二郎農相も閣議後記者会見で同様の対応でかわそうとしたが、記者から詰められると「農家の皆さんの努力に尽きる。気候どうこうというより、気候に合ったものを作る努力をした結果、今日がある」と麻生氏の発言を事実上、修正した。
気候変動はコメの品質にどの程度、影響するのか。拓殖大北海道短大の田中英彦教授(作物学)は「稲が実るには穂が出た後の40日間で、気温が一定の水準に達する必要がある。温暖化が収量や品質に貢献する部分はある」とする一方で、「おいしいコメを生み出すには品種改良や農家の努力などの積み重ねが前提になる」と麻生氏の発言は正しくないとの見方を示した。【浅川大樹】
米屋の親父としては「無視-スルーできない」話である。
あちこちから批判が出るのも当然!
まず「農家のおかげ」について
やはり「農家の力」あってこその「お米」である。これを疎かに扱うことはあってはならない。
そこをなしがしろにしたような発言は失言と言わざるを得ない。
ここで今一度「北海道産米」の歴史を復習してみたい。
北海道米がたどって来た歴史
新米のおいしさを知ったら、いよいよ本題!北海道米のおいしさに迫ります。先ほど述べたように、北海道は昔、寒い気候により『不作の大地』と呼ばれていたんです。実際に生産するお米も、「おいしくない」といわれ続けてきたそう。
それが今では、全国の有名ブランド米と肩を並べるような品種が続々と登場するまでに改良されましたよね。ここに至るまでの歴史をざっと振り返ります!
1869年 1692年より始まった米づくりが、「土地が稲作に適さない」という理由で一時禁止に…
1873年 『赤毛』という品種で北海道寒冷地稲作が成功!
1961年 米の収穫量が新潟県を抜き初の日本一に!!!
1979年 減反政策により政府買い入れ価格に銘柄間格差が導入されるが、北海道米はほとんどが最低ランク…
1980年 優良米の早期開発に取り組む
1988年 『きらら397』が誕生!!!一躍ブームとなり北海道米が全国的に注目される
1996年~2008年 『ほしのゆめ』『ふっくりんこ』『おぼろづき』などブランド米が続々誕生!!
2011年 『ゆめぴりか』『ななつぼし』が、北海道米で初めて食味ランキング最高位『特A』を獲得!!
このように、最初は作ることすら制限され、そのうち大量に作れるようにはなったけれど、「おいしくない」と酷評され…優良米の早期開発に取り組んだ結果、『きらら397』が爆発的ヒット!!!それからは、ヒットを連発し今では北海道米=おいしいというイメージがしっかり根付きましたよね。
*https://asatan.com/articles/91 より
「やっかいどう米」と揶揄された北海道米がブランド化するまでの歴史を振り返る 2019-10-07
今週のお題は「#わたしの推し米」です。
どうやらタイアップ企画のようで2週間くらい続くようですね。
私自身はお米の品種についてはさほど拘りはない方ですが、北海道米の「ゆめぴりか」が好きです。
今でこそ美味しくなった北海道米ですが、ここに辿り着くまでには先人達の気が遠くなるような努力がありました。
今回はそんな北海道米の歴史を振り返ってみたいと思います。
北海道の稲作
北海道の稲作の歴史は意外に古く、時代は元禄まで遡ります。
元禄5(1692)年には、東部亀田村(現在の道南地方)で吉田 作右衛門 氏が開田を試みた記録が残っています。
その後も松前藩による開田事業が行われましたが、あくまで北海道内で比較的温暖な道南地方に限られたもので、成果も芳しくなかったようです。
それを受けてか、明治2(1869)年に設置された北海道開拓使の農業育成方針では、稲作は北海道に向かないとして禁止。畑作、畜産を推進していく方針がとられました。
しかし、明治4(1871)年に農業指導者の中山 久蔵 氏によって耐冷品種である「赤毛」が道央で作付けされ、翌々年には収穫に成功します。
耐冷品種とはいえ、当時は風呂の湯をくんで苗代に入れたり、川から引いた水を日光で温めてから水田に引くなど並々ならぬ努力と工夫があったようです。
その後も中山 氏は品種や栽培方法の研究を続け、改良した種子を開拓者に配布。このことから「北海道稲作の父」と称されるようになりました。
「やっかいどう米」時代
品種改良や生産技術の進歩によって道北地方での栽培も可能となり、北海道全域に生産が拡大。昭和36(1961)年には作付面積で日本一になりました。
しかし、1970年代に入るとパン食の普及などにより米が生産過剰になり、北海道は作付面積を半分近くに制限されてしまうことに。
その原因は米の質。美味しくない、売れない割に量だけは穫れるため「やっかいどう米」と揶揄されたそうです。
若い世代からすると信じられない話かと思いますが、1980年代後半〜平成の初期くらいまで「北海道米はまずい」というのは一種の常識でした。
ブランド米の開発
1979年には政府の米の買い入れ価格に銘柄間格差が導入され、北海道米がほとんど最低ランクと評価されてしまいました。
そのため、翌年の1980年から北海道が優良米の早期開発に着手。関係者の必死の努力により昭和63(1988)年に「きらら397」が誕生しました。
実際に登場すると、パッケージの愛らしいイラストの効果もあり、従来の「美味しくない」北海道米のイメージを覆し大ヒットとなりました。
この流れが後年の「ほしのゆめ」「ななつぼし」の登場につながったようです。
この3種はそれぞれ特色があり「きらら397」は粒が固めのタイプで「ほしのゆめ」は味を主張し過ぎないタイプ。「ななつぼし」は粘りや甘味のバランスが絶妙で、冷めても美味しいと評判です。
とりわけ「ななつぼし」は平成22(2010)年に北海道米では初の食味ランク「特A」の評価を獲得。他府県のブランド米に引けを取らない質であることを証明しました。
そして平成23(2011)年、やや高級路線をとった「ゆめぴりか」が全国デビュー。
1997年に交配を行ってから10年以上の歳月を費やした品種で、当初は「味は抜群だが収量不足」とされたり、デビュー前の2009年には冷害に遭うなど困難もあったそうです。
現在は定番と化した「きらら397」「ななつぼし」や同じく高品質路線の「ふっくりんこ」と並ぶ人気品種です。
挑戦は続く…
もともと稲は温暖な気候を好む植物。耐寒性と病害虫対策、収量、味を両立させることは至難でした。
それらを先人の努力でクリアーしてきたわけですが、北海道は地区により気象条件が大きく異なり、それによる品質のばらつきが課題とされています。
また、ブランドとしてのネームバリューも他府県の有名品種と比べるとまだ1歩及びません。
今後どのような品種が登場するのか、個人的には期待大です。
*https://www.mukai-kaze.com/entry/2019/10/08/002755 より
昭和44年から「自主流通米制度」が始まり、「お米の取引」が今までとはガラッと様変わりしました。
その少し前の昭和37年には「新潟こしひかり」が、昭和59年には「秋田あきたこまち」が誕生し、全国で「良質品種」が栽培され市場に流通されることに。
配給制度から「自主流通米制度」に切り替わり、「品種」での販売が米屋で始まった。
小学校4年の社会の授業で、「家ではどんなお米を食べているか、お米の袋などを持ってきなさい」と宿題が出された。
少々私は困惑したw 今まで一般的に売られているお米の「袋」に入ったものを食べていたわけではないから。そりゃ当然だわな、お米は売るほど店にあり、わざわざ「米袋」に入ったものをお袋が台所に持ってくるはずもない。お店に行って、精米された袋詰めされていないものを適当に取ってくるだけだものw
親父に相談すると・・・「玄米の袋にはエフ-いわゆる荷札がついているから、それをいくつか持っていきなさい」と。
今まで「店では遊ぶな」と言われてきたため、「玄米」が積んでいることはわかっていても、それほどマジマジと見たこともなかった。まぁ遊ぶなと言われた本当の理由は、小1の時に店で遊んでいて骨折したからだがw
「玄米」の袋には、そのお米の「産地など」が書かれたもの-エフが付いていた。(今から考えてみると闇米ではなかったということだw)
そしてのそのエフを集めた。
たぶん、「新潟」「富山」「福井」そして「北海道」など数種類のエフを次の社会の授業に持って行った。
担任の先生は、うちの姉キの担任をしたことがあったので、うちが米屋だということも知っており、それを見るなり「やっぱり米屋の子」と笑われた。
当時-昭和47・8年頃だから、殆どの友達は「産地名」の書かれた米袋などは持ってきていなかったように思う。
先生は、黒板に日本地図らしきものを書き、持ってきた袋から読み取った「産地名-県産名」を書いていた。でも物足りないものになった。思ったほど各地の県が集まらなかったから。
そこで取り出したのが私が持ってきたエフ。
「ほぉ~北海道もあるんだ」と先生。
この授業では、全国各地でお米が作られていることを学ぶためのものだったのだ。
帰宅して親父に話したら・・・「北海道のお米は今はたいしたことないが、いずれ楽しみなものになるぞ」と言われたことを覚えている。
そう、昭和40年代後半では「北海道米はたいした食味ではない、つまり低品位米だった」ということ。*上記に書かれている北海道米の歴史の裏取りでもある
米屋に戻った今から25年前。低品位米と蔑まれた北海道米は食味を向上させていた。親父に言われた「いずれ楽しみなものになる」と言う言葉を思い出し、北海道米を積極的に取り寄せ、また勉強もした。
そしてその数年後、組合で販売キャンペーンを行うまでに。
ただ親父の年齢に近い人だけでなく、私に近い年齢の人まで、「北海道米に対するアレルギー」はすごいものだった。勉強会・試食会をし、情報を流し、ようやくキャンペーンができるように。
決して我々は「やっかいどう米」などという言葉は使いはしなかったが、ほとんどの米屋さんが毛嫌いしていたことは間違いなかった。
ようやく消費者の方にも「おいしい北海道米」と認知されるようになったことは、嬉しい限りである。
「いずれ楽しみなものになる」という言葉は、本当に親父には確信があったのか?いろいろなことで思うのだが、親父を知る人がよくいう「あんたの親父は宇宙人」だったのかも?w
北海道産米のおいしさの秘密の要因はいくつかある。
一番はやはり「品種改良」。
北海道米の最優良食味米「ゆめぴりか」の歴史を見てみると・・・
第1話 北海道の美味しいお米「ゆめぴりか」の誕生 ~ 道総研農業試験場のお米の品種改良 道総研 上川農業試験場長 紙谷 元一
北海道の新しい優良品種「ゆめぴりか」は食味が非常に優れ、各方面から注目を集めています。
今から30年前、北海道のお米は食味が劣り、「やっかいどう米」などと消費者に不評でした。
そこで北海道は「ササニシキ」や「コシヒカリ」並の極良食味品種の開発を目標に1980年から「優良米の早期開発」プロジェクトをスタートし、機器分析による成分育種が大きな効果を発揮しました。
北海道で生産するお米は本州に比べ低い温度条件下で登熟(とうじゅく)するため、澱粉の一成分であるアミロース含量が高く、またタンパク含量も高めでした。
そのため、お米の粘り気が少なく、固くなる傾向があります。農業試験場では、アミロースやタンパク含量を測定する分析装置を導入し、毎年何万点という試料を分析して品種改良を進めました。
こうした5期30年にわたるプロジェクト研究の中で、「きらら397」(88年 上川農試)、「ほしのゆめ」(96年 上川農試)、「ななつぼし」(2001年 中央農試)など美味しいお米が開発されています。
「ゆめぴりか」は、97年に「札系96118」を母本、「上育427号」を父本として交配を行いました。母本は(独)農研機構北海道農業研究センターで育成された低アミロースの良食味系統です。「きらら397」の変異系統で、低アミロースのうるち遺伝子を有しているため「コシヒカリ」よりも低いアミロース含量を示し、食味の向上に大きく寄与しています。
交配種子はおしべから稲をつくる葯培養(やくばいよう)を経て選抜が進められ、さらに生産力検定試験や各種特性検定試験、奨励品種決定現地調査などを行い、2009年に北海道の優良品種に認定されました。
「ゆめぴりか」は炊飯米につやがあり、ねばりが大変強く、もちもち感もあって消費者による食味試験でも大変美味しいと評価されています。参考品種ながら、日本穀物検定協会の食味ランキングで、基準米よりも特に良好なものに相当する「特A」となりました。
食味に関していえば、優良米開発プロジェクト発足30年にして、いよいよ当初の目的が達成されたといえます。ただし、耐冷性や耐病性についてはまだ十分とはいえず、改良すべき点も残されています。
品種改良は長い年月と多くの労力を必要とするプロジェクトです。効率化の進む水稲でも、交配から品種認定まで約10年、現地調査だけでも数年にわたり延べ50カ所以上で、栽培農家や農業改良普及センターのお世話になり実施しています。
今後も、温暖化による気象変動や持続可能な農業に対応するため、農業試験場内の連携はもちろん、関係機関のご協力をいただきながら試験研究を進めていきます。
*https://www.hro.or.jp/info_headquarters/domin/magazine/2011415.html より
「上川農試」の努力は大変なものだったと思う。毎年のように全国各地で「新品種」が出てくるが、そのほとんどが数年も経たないうちに姿を消す。その中にあって「北海道米」の新品種は成功を収めている。その大きな要因は「組織力」ともいわれる。そう「ホクレン」の力。まぁこの話はまた別の機会に。
麻生さんの失言は「勉強不足」が原因と言われる。演説の中で話された「新品種名」?
たぶん「ゆめぴりか」のことだったろうけど、「こちぴかり」って何だ?w
話は戻るが・・・
麻生さんの「言いたかったこと」は、「温暖化が全て悪者ではない」と言いたかっただけだろう。
それがお得意の「失言」につながった。調子に乗って演説すると、どうも間違いを犯しやすいw
ただ「温暖化の影響」はたしかに少しは影響していると考える。ある専門家は「ほとんどない」、一方である専門家は「ある」という。「全く関係ない」という見解はまだ見たことないw ということは「少しは影響ある」と言えるのでは?
麻生さんの言いたかったであろう「温暖化は全てに対して悪者」ではないということだろう。
「北海道米の良食味・高品質」は、「農試の品種改良」と「農家の努力」そして「組織力」が支え、「温暖化も多少の影響」を与えたものだと結論付けられるのでは?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます