「鬼若子/姫若子/土佐の出来人 長宗我部 元親」
長宗我部 元親(ちょうそかべ/ちょうすがめ もとちか)は、日本の武将、戦国大名。長宗我部氏第21代当主。幼名は弥三郎。土佐国岡豊城主・国親の長男。
国司家一条氏を追い出し、土佐を統一した。その後、各地の土豪を倒して四国を統一した。しかし、豊臣秀吉の四国征伐によって降伏し、土佐一国の領有を許された。秀吉の九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役に従軍した。「長宗我部元親百箇条」を定めた。
家督相続前
幼少の頃は、長身だが色白で大人しく人に会っても挨拶も返事もせずにぼんやりしていたため、軟弱ともうつけ者とも評される性格から「姫若子」(ひめわこ)と揶揄されており、父の国親は跡継ぎとして悩んでいた。
初陣の長浜の戦いの際、家臣の秦泉寺豊後に槍の使い方と大将の行動を聞いたという逸話がある。 秦泉寺豊後は「槍は敵の目と鼻を突くようにし、大将は先に駆けず臆さずにいるもの」と答えた。そしていざ戦になると元親はその通りに行動し、敵兵を見事に突き崩し(『元親記』)、「鬼若子」と賞賛された。
四国制圧期の逸話
土佐一国を統一する大名に成長し、土佐の出来人と呼ばれた。
*Wikipedia より
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